半世紀にわたって尼崎・武庫之荘で暮らした人間国宝で落語界の重鎮、桂米朝
さんがお亡くなりになって5年たちました。
街の人たちは今でも、米朝さんは「わが町の米朝さん」として、心の中でしっ
かりと生き続けています。
豪邸じゃないけ瀟洒なお屋敷の目印のように、庭から桜の古木が姿を見せてい
ます。
「外面はええけど家から見たらさっぱりや」と米朝さんをボヤかせたという桜は、
今年もたくさん蕾をつけ、ピンク色に染まっています
米朝さんの話芸は最高でした。
端正なお顔から紡ぐはんなりとした関西弁には上品な香りが漂い、至芸の話術で
ニヤリ、ワハハ、クスクス・・・
「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」、「饅頭こわい」、
「鴻池の犬」、「千両みかん」、「らくだ」などなど・・・最高でしたね。
新婚当時、引っ越して間もない夜、家の前をぶつぶつつぶやきながら乳母車を
押して、若い人が行ったり来たりしています。
女房に「変な奴がいるから気をつけよう」と気味悪く感じたことがありました。
その「気味の悪い人」は、後に米朝さんをして「あいつは弟子やない、ライバル
や」「私よりずっと大きくなる」と言わしめた、桂枝雀さんだったのです。
枝雀さんは59歳で自裁、落語ファンを悲嘆にくれさせることになるのですが。
米朝さんは晩年、お弟子さんや双子の息子さんに両脇を支えられて我が家の前を
散歩、花の手入れをしている私に「これは何という花かいな」とか、気さくに話
しかけてくれました。
足腰はかなり弱っているのに頭脳明晰、言葉は明瞭、話の受け答えもしっかりさ
れていたのが印象に残っています。
平成8年に人間国宝(9年に文化勲章)に選ばれ、町内でお祝いをしましたが、
お返しに「かつら米朝」を染め抜いた浴衣地を配られた。
胃がん手術で2か月入院した時、カセットテープ「米朝落語全集」全41巻を持
ち込み、繰り返し聞いて単調な入院生活を慰めてもらったのも忘れられない。
「米朝さくら」は間もなく満開になり、地域の人たちは改めて米朝さんのお人柄を
しのぶことでしょう。
<米朝さくら 塀に優雅な花の影(昨年写す)>
人間国宝お祝いのお返し、浴衣地
米朝落語全集のカセットテープ