世界標準技術開発フォローアップ市場展開

ガラパゴス化から飛躍:小電力無線IEEE802規格開発会議・・・への寄与活動拡充

自助,近助,社会参加,2018/5 肝臓がん->18/9死ぬまで働け

2018-11-05 20:10:32 | 連絡
2018/5/8,がんで闘病中のプロ野球解説者、大島康徳氏(67)が2016年10月に「余命1年」と宣告されたことを初めて告白。がんと分かったのは16年10月。最初はダイエットがうまくいっていると思っていた。疑問に感じた奈保美さんに促され、受けた検査の結果はステージ4の大腸がん。肝臓にも転移していた。「でもショックはあまりなかった。なるようにしかならないから考えても仕方ないかと」 翌11月の大腸がん手術は成功した。だが、肝臓のがんは今もそのまま。抗がん剤治療で経過観察を続けている。がんと分かってから、今まで以上に「やりたいこと」に貪欲になった。仕事をすることが最高の治療ですよ」 テレビ解説の仕事復帰は、手術半年後の17年4月4日。ZOZOマリンでのロッテVS日本ハムだった。「自分が生きていく場所はやっぱりここだ」と改めて確信した。ブログも生きる励みになっている。がんと生きる過程を「ズバリ!大島くん」で公開中。がん闘病記をつづった小林麻央さんのブログに感動し、17年2月に立ち上げた。麻央さんと面識はなかったが、お互いのブログで励まし合ったこともある。今年1月に他界した星野仙一氏、先月急逝した衣笠祥雄氏も、がんと闘いながら最後まで自身の務めに全力だった。特に同じ評論家として、他界する4日前までテレビで解説していた衣笠氏について「サチさんは最後の最後まで仕事人でしたね」。目標ができた。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180508-00000078-spnannex-base
2018/9/11,捕手として活躍しただけでなくバッターとしても数々の記録を打ち立て、4球団で監督を歴任した野村克也さん(1935->、83歳)。家計に限らず子供の教育も近所付き合いも、すべて妻沙知代さん任せだったという。その野村さんに、一人の暮らしとなってからの生活、終活などについてうかがった。Q1,聞き手:今でも支えになっている沙知代さんの言葉は他にもあるのでしょうか?A1,「死ぬまで働け」かな。とにかくずっと働けと言われ続けていたからね。一人になってみると、仕事があってよかったとしみじみ思うよ。何もする気にならなくても、仕事があれば外に出かけるし、人とも話すからね。https://style.nikkei.com/article/DGXMZO34862440R30C18A8000000?channel=DF280120166590&style=1&n_cid=NMAIL007

自助,近助,社会参加,2015/3左手のピアニスト->2018/3出来ることに集中

2018-11-05 20:07:27 | 連絡
2015/3/15、「左手のピアニスト」舘野 泉(1936年生まれ、82歳):2002年、65歳の時、フィンランドでの演奏会の最中に、曲が残りあと2ページというところで右腕の動きが遅れ出し、やがて完全に止まった。動く左手で何とか曲を弾き終えて立った途端に倒れ、病院に搬送されました。診断結果は脳溢血で、右半身が動かなくなってしまいました。リハビリ生活の始まりでした。周囲の人たちの支えで、とにかくリハビリに没頭しました。http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20150305/278275/?P=5
2015/07/22,左手のピアニスト 「舘野泉80歳へのプロジェクト」https://www.youtube.com/watch?v=3PZW9H8aFWA

2016/9/17、生理的な生には限りがあり、死は必至で不死の願いは叶えられない。死が避けられないとすると、生の意味を拡大解釈して死の苦悩を和らげようとする考えが出てくる。死から目を逸らさず、今のうちから時間を共有できる相手を見つけて共に今日一日を精いっぱい生きる方が、この人生に満足し安心して旅立てるような気がする。http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20160915-OYT8T50018.html?page_no=3
(+)2015/08/19、時代 - 中島みゆき(フル)https://www.youtube.com/watch?v=BpHk8Sjy7Vs
自分ができることを自分なりにやり続けていく、「一歩一歩少しずつ、一歩一歩一つごと」と、時々唱えながら生きています。
2018/3/14、76歳で死去したスティーブン・ホーキング博士(1942年、英オックスフォード生まれ)は、学生時代に神経の難病である筋萎縮性軸索硬化症(ALS)を発症したが第一線で研究を続け、公の場でも車イスと、合成音声による意思伝達装置を使って活動した。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28110390U8A310C1000000/?n_cid=NMAIL007
2018/3/14、体に障害がある人に送るアドバイスは、自分ができることに集中し、できなかったことを後悔する必要はないということ。体だけではなく、心までも無力になってはダメだ。https://hare-media.com/1336/

自助,近助,社会参加,2011/5 Voice4u->2016/8まだ見ぬ「生涯の友」

2018-11-05 20:05:34 | 連絡
2011/5/13、"言葉の壁"を越えたコミュニケーションを実現するVoice4u、https://wirelesswire.jp/2011/05/35466/
2011/12/D、内科医(当時28歳)、脳梗塞で倒れ、半身麻痺のため、聴覚と言葉を失い、声はFacebookでしか届きません!https://ameblo.jp/thanamizu/、https://ja-jp.facebook.com/yoko.kondo.547
2014/7/16,元横綱の輪島大士さん(66)が、2013年12月、65歳の時に咽頭がんの切除手術を受け、声を失っていた。夫人(43)が16日、フジテレビ系「ノンストップ!」の取材に応えて明らかにした。家族の間では口の動きで察しています」と、コミュニケーションは家族愛に支えられているようだ。 本人も活動的で、友人とはメールでやり取りし、約束して食事に出掛けることも。ほぼ毎日、ウオーキングし、買い物に行くこともあるという。元横綱は石川・七尾市出身だが、「輪島水軍」から漁師へ転じた輪島功一氏の一家は北へ移って樺太へhttps://www.daily.co.jp/newsflash/general/2014/07/16/0007149676.shtml
(+)2016/10/09, 輪島朝市  水森かおり, https://www.youtube.com/watch?v=n14MxbyTq_M
(+)2018/10,「黄金の左」と呼ばれた型破りな元横綱が逝った。第54代横綱でプロレスラーにもなった輪島大士さん(本名輪島博)が8日午後8時、自宅で亡くなった。70歳。死因は下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱だった。学生出身では初の横綱に昇進し、左下手投げを得意に歴代7位の14度優勝。年寄名跡を借金の担保にして廃業後、全日本のプロレスラーでも活躍した。https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201810100000107.html
(+)2018/10/15,デーモン閣下「我が輩は世を忍ぶ仮の小学校低学年の時から輪島関のファンでした。長い間、お疲れさまでした」
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20181015-00000024-nnn-soci
(+)2009/08/17, デーモン小暮閣下「地上の星」with群馬交響楽団, https://www.youtube.com/watch?v=NtQ9rJFABWA
2016/8/16,まだ見ぬ「生涯の友」と生きる | Masako Wakamiya | TEDxICU,
高齢者のネット上の交流サイトであるメロウ倶楽部の副会長である若宮正子さん。高齢者の積極的な社会参加を促進するために、ICTを用いて様々な活動に携わっている。
https://www.youtube.com/watch?v=pMnoS75zrPE
(+)2017/6/6、「人間って生物だから、いつかは死ぬ時が来ます。でも、生きているうちに何かを残したい。どこかにいる誰かに、82歳になってもプログラム「hinadanアプリ」ができるっていう希望を差し上げることができたとしたら、それが遺産になると思っているんです」、「今が一番楽しいです! メロウ倶楽部に入会した時に、『人生は60になると面白くなる。70になるともっと面白くなる』というメッセージを送ってもらったんです。じゃあ、80を過ぎたら? もっともっと楽しくなりました」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170606-00010008-bfj-sci&p=3
(+)2014/5/31、Now is the time to get your own wings | Masako Wakamiya | TEDxTokyo, https://www.youtube.com/watch?v=gUjXiYtOC7Y
(+)2018/11/5,世界アルツハイマーデー(9月21日)関連行事の記念講演会が11月4日、仙台市青葉区の市シルバーセンターであった。認知症の人と家族の会県支部が主催し、約120人が集まった。60歳でパソコンを習い始め、81歳でスマートフォン向けゲームアプリを開発した若宮正子さん(83)=神奈川県藤沢市=が、「デジタル機器はシニアの強い味方」と題して講演した。 「物忘れの悩みはICTが解決する」と強調し、思い出せない言葉のインターネット検索、カレンダーアプリを使った予定管理などを勧めた若宮さん。話し掛けると動作するAIスピーカーは「シニアの自立にすごく役立つ」と紹介した。 若宮さんは「社会の進歩や変化を嘆くのではなく、(加齢で)失った以上の新しい知識や技能を身に付けよう」と呼び掛けた。https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201811/20181105_13030.html