中国は米政権が15日に予定していた中国製品への新たな制裁関税に対抗し、化学製品や木材など広範な米製品に5〜10%の追加関税を課す方針だった。
中国初の宇宙飛行士楊利偉さん(54)が初来日し、14日、東京・お台場の日本科学未来館で開かれたイベントで同館館長の宇宙飛行士毛利衛さん(71)と対談した。
楊さんは宇宙開発分野での両国の協力について「これまでも宇宙飛行士は国際会議などで交流しており、将来素晴らしい協力ができると信じている」と話した。
2003年に宇宙船「神舟5号」で中国初の有人宇宙飛行に成功した楊さんは、中国の有人宇宙開発の責任者として22年の完成を目指す同国独自の宇宙ステーション計画などを進めている。
日中間の協力について毛利さんは、「研究者レベルでの交流はずいぶんあるが、宇宙飛行士が具体的なミッションを一緒にやろうというのはまだない。難しさはあるが、何ができるかを探るときだ」と指摘。楊さんも「国際協力は今のトレンドだ。今回の交流も次のステップにつなげる基礎になると思う」と期待を寄せた。
楊さんは宇宙開発分野での両国の協力について「これまでも宇宙飛行士は国際会議などで交流しており、将来素晴らしい協力ができると信じている」と話した。
2003年に宇宙船「神舟5号」で中国初の有人宇宙飛行に成功した楊さんは、中国の有人宇宙開発の責任者として22年の完成を目指す同国独自の宇宙ステーション計画などを進めている。
日中間の協力について毛利さんは、「研究者レベルでの交流はずいぶんあるが、宇宙飛行士が具体的なミッションを一緒にやろうというのはまだない。難しさはあるが、何ができるかを探るときだ」と指摘。楊さんも「国際協力は今のトレンドだ。今回の交流も次のステップにつなげる基礎になると思う」と期待を寄せた。
2013年にはフィンランドのオーケストラを南相馬に、震災後初めて呼びました。
舘野:最初は大変でした。フィンランドの「ラ・テンペスタ室内管弦楽団」の人たちに南相馬での演奏会を切り出すと、「絶対行きたくない」という人が圧倒的に多かったのです。フィンランドは、チェルノブイリ原発事故で影響を受けた国でもあります。震災そのものよりも、福島第1原発事故のことが世界中で報道されていましたから、みんなとても怖がっていたのです。「僕だってもう何度も行っているし、命に別状があるわけではないのだから」と何度も言って、長男のヤンネと一緒に必死に説得しました。
フィンランドのオーケストラを説得
何度も説得しているうちにみんなも折れて、「分かりました、行きましょう」と言ってくれたのだけれど、また、「コンサートの時だけ南相馬に行って、あとはすぐ別の場所に移りたい。日帰りで行きたい」なんて言ってきた。だから、それではだめだと、「僕も泊まるんですから、皆さんも現地に泊まってください」とさらに話し合いを持ちました。1日目は仙台、2日目は南相馬に宿泊してもらい、そのあとで大阪、山形、長久手、東京と、各地で演奏してもらいました。
2015/07/22
JapanArtsCorporation
舘野泉 応援プロジェクト:http://kibi.co/1LlpkJn
いつも「音楽があれば幸せですよ」と、笑顔で話す舘野泉さん。 「左手のピアニスト」として語られることの多い昨今ですが、若い頃から世界を飛び回り、いくつも武勇伝をもち、音楽の視野と可能性を広げてきました。病に屈することなく、78歳の今なお、私たちに多くの感動と勇気をもたらしてくれます。 「舘野泉80歳へのプロジェクト」は、80歳となる来年に向け、更なる挑戦をはじめる舘野泉さんを応援する取り組みです。音楽を愛して止まない皆さまのご支援を、心よりお願い申し上げます。
舘野 泉(たての いずみ、1936年11月10日 - 83歳)は、東京生まれのフィンランド在住のピアニスト。
2002年1月9日、フィンランド・タンペレでのリサイタル中に脳溢血で倒れ、その後遺症として右半身に麻痺が残る。リハビリを経ても右手が不自由のままであったが、2003年8月のオウルンサロ音楽祭で復帰を果たす。その中でスクリャービンやリパッティによる、左手のためのピアノ作品を演奏した。それをきっかけに、本格的にこの分野を開拓していこうと決意し、翌年には日本で左手のピアノ作品によるリサイタルを開き、マスコミにも大きくとりあげられた。以後、演奏会、録音ならびに新作委嘱などを通して、左手ピアノ曲の普及に努めている。