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中国で「スパイ活動」を行ったとして実刑判決を受け、10月に解放され帰国した日中青年交流協会
<一般社団法人日中国際交流協会
事業: | 1) | 中国の江沢民主席と小渕恵三総理が取り決めて創設した「日中緑化交流基金」で資金を交付する中国僻地の植林運動協力と現地緑化作業への参加活動。 |
2) | 中華全国青年連合会・中国国際青年交流中心への訪中代表団派遣などの日中青年交流運動。安徽省合肥市人民政府・河北省唐山市人民政府との経済・人文交流の推進。 | |
3) | 在日華人(帰化・長期滞在認可)を協会メンバーに迎え入れ、人権・居住や公的サービスにつき、正当な接遇を得るべく支援と協力を行い、様々な外国人と平穏で快適な共棲の国際社会の構築に努力する。 | |
4) | 日中双方の留学や技能実習生・特定技能者などの受け入れなど様々な斡旋と援助。急速に高齢化社会へ傾斜していく中国社会のニーズに対応し、日本の先進的な介護福祉ノウハウを伝授する指導教員の派遣と教育キャリキュラムの編纂などの支援を行う。 | |
5) | 中国語や中国文化の学習を志す日本の高等学校生への中国訪問旅行や留学などの支援と協力。又中国人青少年の親善訪日団を受け入れ、日中青少年交流を促進する。 | |
6) | 日本の先進医療を求めて来日する中国人患者を適正にガイドし、専門医療機関で最適診療が合理的に受信できるように手配・誘導する医療コ―デネイト事業(経産省ヘルスケアー登録No.B-046)。 | |
7) | その他関連する諸事業。 | |
会長:海江田 万里 :衆議院議員 衆議院決算行政監視委員長
理事長:長谷川 隆淑:元社団法人日中青年研修協会 理事長
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揚子江の大洪水を契機に水土保全機能を強化する植林事業が求められ、
小渕恵三総理が1999年訪中した折、中国の江沢民国家主席と会談し、中国僻地の緑化植林事業を支援する為、100億円の基金が設けられ「日中緑化交流基金」が創設され、理事長はじめ当協会役員が創設当初より本事業に関与して来ています。
実際の資金ルートと事業は、日本の民間友好団体と提携する中国側カウンターパートの全青連(中国国際青年交流中心)が仲介窓口となり、日本側友好団体経由で受取った交付金を緑化植林事業の現地へ送り実施されています。
実際の資金ルートと事業は、日本の民間友好団体と提携する中国側カウンターパートの全青連(中国国際青年交流中心)が仲介窓口となり、日本側友好団体経由で受取った交付金を緑化植林事業の現地へ送り実施されています。
具体的には、全青連の幅広い組織網を使って各地の逼迫した窮状により選定した助成先を申請し、その申請を日本の緑化基金本部で審査し交付を決定する。資金は日本の友好団体より北京の全青連(国際青年交流中心)を経て中国各地の全青連支部へ、最終的に緑化植林の作業現場へ配分される。
緑化植林事業通年の現地作業は、中国の国家林業局地方組織の協力を得て、地元全青連組織の監督管理下で、作業を委任された地元農牧民が中心に遂行されている。
毎年一回現地の緑化植樹式典には当協会より数名が代表として参加、全青連本部と支部及び地元農牧民等の関係者と友好交流の拡大と相互理解の深化をも推し進めている。
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中国の周恩来総理と親交篤き故岡崎嘉平太先生が会長として1979年に興された 外務省所管の「日中青年研修協会」で、主要役員として薫陶を得たメンバーが中心となり、 世界第2位の経済力をつけた中国を前向きに評価・正しく対応する為、2009年5月に新しく「一般社団法人日中国際交流協会」を設立いたしました。
2009年12月17日 当協会会長の羽田孜元総理大臣を団長に、第1回訪中代表団 総勢18名を派遣し、北京では中華全国青年連合会(全青連)本部を表敬訪問、全青連主席で中国共産主義青年団第一書記の陸昊氏との会談と歓迎宴の接待を頂戴した。
長谷川理事長はじめ当協会主要メンバーと旧知の全青連幹部職員である倪健主席助理・萬学軍副秘書長は旧交を暖め、全青連と当協会は従来通り日中友好交流増進に全面的に協力し合うことを約束した。その他、親交のある中国文化部の蔡武部長(大臣)との会見や中国国際青年交流中心の鄧亜軍主席の歓迎宴など大歓待を受け。初回訪中は成功裏に終始した。
長谷川理事長はじめ当協会主要メンバーと旧知の全青連幹部職員である倪健主席助理・萬学軍副秘書長は旧交を暖め、全青連と当協会は従来通り日中友好交流増進に全面的に協力し合うことを約束した。その他、親交のある中国文化部の蔡武部長(大臣)との会見や中国国際青年交流中心の鄧亜軍主席の歓迎宴など大歓待を受け。初回訪中は成功裏に終始した。
その後も毎年、当協会の訪中代表団を派遣し、主な対応先である全青連本部を友好交流の訪問を行ったり、日中緑化植林事業の中国側カンターパートナーである中国国際青年交流中心との協同植林事業の為に訪中を繰り返し実施している。
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の元理事長、鈴木英司氏(65)
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1957年茨城県生まれ。
法政大学大学院修士課程修了。
専攻は中国の政治外交。
1983年、中華全国青年連合会の受け入れにより初訪中。
以降訪中歴は約200回。
1983年張香山氏(中国共産党中央対外連絡部副部長や中日友好協会副会長、中日友好21世紀委員会の中国側首席委員などを歴任)と出会い、交友を深める。
1997年に北京外国語大学の教壇に立ち、2003年まで3大学で教鞭をとる。
現在、一般社団法人日中青年交流協会理事長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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が30日、東京の日本外国特派員協会で記者会見し、拘束から解放までの状況を語った。
「中国は物事を達成するために手段を選ばない怖い国になった。
世界第2の経済大国がこのままでいいはずがない」と人権状況を批判した。
鈴木氏は2016年まで200回以上訪中し、日中交流を推進したが、同年7月、帰国直前に北京の空港で拘束。
逮捕前に隔離部屋で尋問される「居住監視」が約7カ月間続き、17年に起訴され、19年に懲役6年の実刑判決を受けた。
空港では男6人に車に押し込まれ、アイマスクをつけられ暗い隔離施設に連行された。
「弁護士にも会えず本すら読めない。7カ月間で太陽を見たのは15分だけだった」と厳しい居住監視の実態を語った。
起訴理由には、日本の情報機関の代理人として活動し、朝鮮問題を中国外務省に聞いたとする〝違法行為〟が挙げられた。
裁判では当局が10年から鈴木氏を監視し、「友好人士のお面をかぶったスパイ」とみていたことも分かった。
無実を訴えたが審理は非公開で開廷されたのも一度だけ。孤立無援だったという。
上訴も棄却され、21年には刑が確定。
刑務所に収監され、今年10月に解放された。
「『友好』と言うだけでいいのか。日中は言いたいことを言い合える関係にならなければいけない」と述べた。(桑村朋)