6月に近所の医者に血液検査の結果 ガンの疑いがあると告げられてから2ヶ月。
やっと、母のガンは肺のみと分った。
長かった。でも、これからだ。
母の治療は放射線のみと決まった。
放射線でも短時間で手術と同じ効果があるとされる定位
放射線治療(ピンポイント放射線)を希望した。
しかし、この治療を受けるためにはまだまだ関門があった。
大学病院に紹介状を書くもなかなか引き受けてくれない。というのだ。
とにかく、大学病院へ行く事にした。
当日、私はレントゲン写真等と一緒に手紙を先生に渡した。
内容は、母は高齢なので手術が受けられないこと。放射線
は期間が長く母の気持ちが滅入ってしまいそうな事。等々。
最後に母は私の宝であり この病気で失う事は出来ないと思っている。
そして、病気の事は この治療を受ける事ができると分った
時に打ち明けたい旨等を書いた。
順番がきて病室には、ついて来てくれた叔母と一緒に入った。
先生は分った。と言って下さった。
ありがたかった。叔母の援護射撃も功をそうした。
但し、条件があった。
母はいろんな検査はしたものの細胞診だけはしていなかった。
「これをしてから もう1度来るように。」と先生が言われた。
私は、細胞診で出ないかも知れない事を告げた。
「細胞診で出なくとも、これはガンに違いないと言われています。
それでも、やってくださいますか。」と問うた。
先生は力強く「細胞診で出なくともやります。」
深々と頭を下げ礼を言った。この時の心境は言い表す事が
出来ないくらいに嬉しかった。
叔母は私と母が病室を出た後も先生に頼んで
くれていた。ありがたかった。
真っ暗のトンネルから遠くに光がさしてきた気がした。
母は助かる。確信にも似たものが込み上げてきた。涙も出てくるのを感じた。
この日の感動は一生忘れる事はない。例え私が加齢のために何も考えられなくなったとしても忘れてはならないと思う。
(2006年8月下旬)
やっと、母のガンは肺のみと分った。
長かった。でも、これからだ。
母の治療は放射線のみと決まった。
放射線でも短時間で手術と同じ効果があるとされる定位
放射線治療(ピンポイント放射線)を希望した。
しかし、この治療を受けるためにはまだまだ関門があった。
大学病院に紹介状を書くもなかなか引き受けてくれない。というのだ。
とにかく、大学病院へ行く事にした。
当日、私はレントゲン写真等と一緒に手紙を先生に渡した。
内容は、母は高齢なので手術が受けられないこと。放射線
は期間が長く母の気持ちが滅入ってしまいそうな事。等々。
最後に母は私の宝であり この病気で失う事は出来ないと思っている。
そして、病気の事は この治療を受ける事ができると分った
時に打ち明けたい旨等を書いた。
順番がきて病室には、ついて来てくれた叔母と一緒に入った。
先生は分った。と言って下さった。
ありがたかった。叔母の援護射撃も功をそうした。
但し、条件があった。
母はいろんな検査はしたものの細胞診だけはしていなかった。
「これをしてから もう1度来るように。」と先生が言われた。
私は、細胞診で出ないかも知れない事を告げた。
「細胞診で出なくとも、これはガンに違いないと言われています。
それでも、やってくださいますか。」と問うた。
先生は力強く「細胞診で出なくともやります。」
深々と頭を下げ礼を言った。この時の心境は言い表す事が
出来ないくらいに嬉しかった。
叔母は私と母が病室を出た後も先生に頼んで
くれていた。ありがたかった。
真っ暗のトンネルから遠くに光がさしてきた気がした。
母は助かる。確信にも似たものが込み上げてきた。涙も出てくるのを感じた。
この日の感動は一生忘れる事はない。例え私が加齢のために何も考えられなくなったとしても忘れてはならないと思う。
(2006年8月下旬)