おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

何もかもが輝いた1日だった。

2007年09月24日 09時57分28秒 | 母の事(肺がん) そして絆
母の熱はいっこうに下がらなかった。
K大学病院には2度目の外来である。
朝8時からの受け付けに私は6時から行った。

9時から診察が始まる。
細胞診の結果は判定がつかなかった。
A病院の先生は小さくて病理検査にでなかったが
肺がんであることには間違いない。だった。

診察の順番がまわって来た。
先生にはA病院の結果と先生からの手紙を渡した。

K大学病院の先生は読んでくださって
「分りました。病理では出なかったが、定位放射線の治療をしましょう。」
と言ってくださった。

『やった。』私は心の中でこぶしを握った。

先生は母に治療の為に寝て真っ直ぐに手が上げられるか等を検査して頂いた。
いよいよ治療ができる。
私は母に「よかったね。」と何度も声をかけた。
先生に礼を言い、どうかよろしくとお願いした。

入院日を決めるのだが、私は明日にでも気持ちだった。
先生は予定を調べてくださった。
「10月25日から入院して10月30日から11月2日が治療に
しましょう。」
私は病気の疑いが6月に 結果が出たのは8月 その他の検査等で
9月末になってしまいました。4ヶ月が経過しています。その上に
1ヶ月待って手遅れになったりしませんか。と聞きました。
「大丈夫。」と言って下さった。
この日を逃してなるまいとの気持ちで入院日を決めました。

帰りにK病院の食堂でエビフライ定食を食べました。
エビの衣がサクサクしていてとてもおいしかった。

この世に生を受けて1番嬉しく何もかもが輝いた1日だった。
(2006年9月下旬)


コメント
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