母の主治医は前から抗がん剤は絶対にしないと言う。
母の腫瘍マーカーは上昇している。
近所の医師はこのままだと3ヶ月と言った。
私の乳がんの医師に母のことを相談した。
医師は「今は副作用の少ない抗がん剤があるから試すべきだ。ここの消化器の先生に言っておくからおかあさんを連れてきなさい。」と。
私は「主治医に手紙を書きました。だからそれからにします。」
先生は「何もしてくれない医師にそんなに義理立てすることはない。早くしたほうがいい。」と。
考えたあげく私は母に話した。母は最初 「何で医師を変える必要があるのか。今の先生はよくしてくれている。変える気持ちはない。」と言った。
「今の先生は何もせずただCTの結果を見ているだけだ。このままだと悪くなってしまう。
私には絶えられない。どうか診察をうけてほしい。」と頼んだ。
母は診察を受け半信半疑ながら検査も受けてくれた。
医師は抗がん剤について試して見るべきだと話してくれた。
PETの検査を29日に受ける。1年半ぶりだ。
この検査が終わったら抗がん剤を始める。効果があってほしいと祈る。
私はまったくの無信心者だ。そんな私でも何かに祈らずにはいられない。
どうか母をもう少し生かせて下さい。
母は身長135センチ体重34キロ
腰も曲がっている。だけど私にとっては何より大切な人だ。
『お母ちゃん。私は貴女をまだ離したくない。どうか私から離れないで。』
病院からもらった化学療法の冊子を読んだ。
それには副作用がいっぱい書かれていた。先生には母は見ての通り小さくて抵抗力をない。
だから軽い薬にして下さい。と頼んだ。
先生は 「軽いと言えど抗がん剤ですから副作用はあります。
ですが、食欲不振とか日常生活に支障が出ないならよしと言う事です。」
と言われた。今でさえ食欲などない。これから先どうなるのだろう。
私は判断を誤ったのでは。母に大変なことをしようとしているのではないだろうか。
私は苦しませたくはない。しかし生きていてほしい。
散歩に出れるくらいに。近場の温泉に行ける位に。
生きているとはこんな事をいうのであって 苦しんでただ息をしているということではない。
そこを医師に伝えたい。
母の腫瘍マーカーは上昇している。
近所の医師はこのままだと3ヶ月と言った。
私の乳がんの医師に母のことを相談した。
医師は「今は副作用の少ない抗がん剤があるから試すべきだ。ここの消化器の先生に言っておくからおかあさんを連れてきなさい。」と。
私は「主治医に手紙を書きました。だからそれからにします。」
先生は「何もしてくれない医師にそんなに義理立てすることはない。早くしたほうがいい。」と。
考えたあげく私は母に話した。母は最初 「何で医師を変える必要があるのか。今の先生はよくしてくれている。変える気持ちはない。」と言った。
「今の先生は何もせずただCTの結果を見ているだけだ。このままだと悪くなってしまう。
私には絶えられない。どうか診察をうけてほしい。」と頼んだ。
母は診察を受け半信半疑ながら検査も受けてくれた。
医師は抗がん剤について試して見るべきだと話してくれた。
PETの検査を29日に受ける。1年半ぶりだ。
この検査が終わったら抗がん剤を始める。効果があってほしいと祈る。
私はまったくの無信心者だ。そんな私でも何かに祈らずにはいられない。
どうか母をもう少し生かせて下さい。
母は身長135センチ体重34キロ
腰も曲がっている。だけど私にとっては何より大切な人だ。
『お母ちゃん。私は貴女をまだ離したくない。どうか私から離れないで。』
病院からもらった化学療法の冊子を読んだ。
それには副作用がいっぱい書かれていた。先生には母は見ての通り小さくて抵抗力をない。
だから軽い薬にして下さい。と頼んだ。
先生は 「軽いと言えど抗がん剤ですから副作用はあります。
ですが、食欲不振とか日常生活に支障が出ないならよしと言う事です。」
と言われた。今でさえ食欲などない。これから先どうなるのだろう。
私は判断を誤ったのでは。母に大変なことをしようとしているのではないだろうか。
私は苦しませたくはない。しかし生きていてほしい。
散歩に出れるくらいに。近場の温泉に行ける位に。
生きているとはこんな事をいうのであって 苦しんでただ息をしているということではない。
そこを医師に伝えたい。