おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

おかあちゃん 会いたいよ

2011年12月14日 02時46分30秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、ごめんね。
私が最愛のおかあちゃんを苦しめた。
ぜーぜー言うおかあちゃんに私も看護師も吸引をして横になるおかあちゃんを起して
背中をたたく。おかあちゃんは「ううー」と言って呼吸をしなくなった。
背中をたたき続ける看護師に「やめて。もうダメなら何もしないで」そう言った。
「ごめんね。ごめんね。こんな別れ方はいやだ。」そう言う私に看護師は「ごめんじゃない。ようやった。
ようやらはった。ごめんじゃない。」そう言った。
でもね。おかあちゃん。私は今でも私がおかあちゃんの命を縮めた。そう思う。
遺影のおかあちゃんは微笑んでる。
おかあちゃん辛いよ。前のようにお手手をつないで行かないと1人で行けるの。
もう1度抱っこしてあげたかった。お風呂に入れてあげたかった。
私が、私がおかあちゃんを。愛していたのに。
最後は私が。誰もがよくやった。と言うけど違うよ。
幸せだったのは私でおかあちゃんはずっとしんどかったね。
私のわがままに、小さな体で耐えてくれた。5年もの間。
85歳の母親が逝ってもなぜそんなにかなしむのか、と言う人もいる。
私にはおかあちゃんはかけがいのない存在。何も言わなくてもいい。
そばにいてほしかった。後悔ばかりごめんね。

今にも崩れそうになる心と体。友に助けを求めた。
私は弱くない。きっと復活するから。しばらくの間たすけてほしい。
何でもいいから毎日メールがして。今日は寒いね。とか花が咲いたよ。でいいから。
と、4人にメールした。当日4人、2日目3人がメールをくれた。
一人じゃない。そう思えた。嬉しかった。何度も何度もメールを読め返した。
日常の1コマが嬉しい。私を支えてくれる。
4人のうち3人。全部じゃないけど優しい友人を持ったと思う。
コメント
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