おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

おかあちゃん おかあちゃん

2011年12月25日 19時43分36秒 | 母の事(肺がん) そして絆
私が呼んでいるのが分かりますか。
私はおかあちゃんに子供のようにまつわりつきたい。

おかあちゃん、私は子供の頃、おかあちゃんはすごいって思ってた。
子供の頃、私達は銭湯に行っていた。
家から銭湯までそんなに距離はなかった。
それでも、私にはおかあちゃんとの遊び時間だった。
私はおかあちゃんより早く走って隠れる。
クックっと笑いを堪えて隠れている。
するとおかあちゃんは、そっと私を上から覗いた。
私は「ワァ。」と言って又走って隠れる場所を探す。
『おかあちゃんはすごいな。完璧に隠れたのに分かってしまう。』そう思ってた。
お仕事で疲れているのに、おかあちゃんは時間を作って思う存分遊んでくれた。
おかあちゃんはスーパーマンのようだった。
寝なくても大丈夫。「おかあちゃんは、どうもないよ。へちゃらや。強いんや。」
そう言ってた。私はばかだから本当にそうだと思ってた。
大きくなってお医者さんから「おかあさんは小さいし、体重も少ない。体力がない。だから風邪はひかないように
注意してあげて。」多分私は高校生だった。
おかあちゃんに言うと「医者はいろんな事言うから。どうもない。私は風邪1つ引いた事がない。」
そう言った。あの頃からの無理があったんだね。
おかあちゃん、ありがとう。
私たちはいいコンビだったね。
そう言うと、おかあちゃんは笑ってた。
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おかあちゃん 幸せだったよ

2011年12月25日 04時03分07秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、私は昨日は1日中眠かった。
座ってテレビを見ていても、柱にもたれかかって寝入った。
寝入る前すごくいい気持だった。
このまま、目が空かなくてもいいな。って思った。
1時間ほどすると、目が空いた。
おかあちゃん、こんなに寂しい、悲しい思いはもう私の人生には起こらないね。

テレビでご主人を亡くされた方が、1年は泣いて過ごしました。と、言われていた。
それを見て、少しいいんだ。と思った。
おかあちゃん、見ててね。きっと明るい私に戻るよ。
今はね。どこへ行くのも辛い。時期がね。テレビを見ても。
1人ぼっちになってしまった。
でも、絶えないとね。これから1人で生きていかないといけないんだもんね。

そばにいてくれるだけで幸せだった。ありがとう。本当にありがとう。何万回言っても足りない。
おかあちゃんの愛が、ビシビシ感じる毎日を過ごしてきた。
おかあちゃんが私を愛してくれるのを感じながら生きてきた。

おかあちゃんは、素敵だった。
私に子供の頃から「○○子、好き好き。」私は嬉しくて笑う。
すると、「○○子は」と聞く。
私も「おかあちゃん、好き好き」と言うと嬉しそうに満足そうに照れ笑いをする。
それが1日何回も。私もそれが好きだった。

おかあちゃんがあまりお話出来なくなって私は言い続けた。
「おかあちゃん、好き好き。」おかあちゃんはうんうんと頷く。
「わたしの事も好き好き。」と聞く。うんうんと頷く。
これだけで幸せだったんだ。私は世界一幸せだ。

おかあちゃん、毎日伝えられてよかった。
「おかあちゃん、好き好き。」
「おかあちゃん、私を子供にしてくれてありがとう。」
「おかあちゃん、会えてよかった。」
「おかあちゃん、愛してくれてありがとう。」
毎日、何回も言った。

おかあちゃん、私はこれからも伝えるよ。
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