おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

おかあちゃん おはよう

2012年01月18日 07時04分53秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、おはよう。
昨日、おかあちゃんのお仏壇が来たよ。
私、これにして良かったと思う。
おかあちゃん、おかあちゃんのお家がやっと決まった。嬉しいな。ホッとした。
49日に間に合った。おかあちゃんと私の対話の場所だよ。
今のお飾りは49日が済むとかたずけるんだ。
おかあちゃん、ありがとう。
私ね。1つ成し遂げた気持だよ。21日に開眼法要が終わったらおかあちゃんともっともっと
お話出来る気がするよ。今までは、泣いてばかりいたもんね。
「しっかりしいや。しっかりしいや。」おかあちゃんが心配して言ってくれてるんやな。
おかあちゃん、私は大丈夫。頑張るで。見てて。私の頑張りを。

杖をついて踏切を渡るおばあさんを見たよ。私「大丈夫ですか。」って言って手を出した。
おばあさんと手をつないて踏切渡ったよ。おばあさんの手はすごく暖かだった。
おかあちゃんと、この踏切をこうして渡ったなって思った。
もう、おかあちゃんと手をつないで渡れない。でも、おかあちゃんは私の中にいるから
踏切渡る時も、どこへ行く時も一緒だよ。一緒やんな。おかあちゃん。

昨日は、阪神淡路大震災から17年。私は昨日の事のように思い出すよ。
朝まだ暗かった。京都も揺れたね。初めての経験だった。
なんかあったに違いない。私は外に出た。だれも近所の人は出ていなかった。
家では停電してテレビがつかない。私は車のラジオをつけて情報を求めた。
でも、ラジオはお気楽な内容のいつもの放送だった。
しばらくしてテレビが映し出した映像は高速道路が崩れているものだった。
その後は悲惨だった。おかあちゃんが涙を浮かべてテレビを食入るように見ていたのを
思い出すよ。私は、おかあちゃんを抱きしめたっけ。
おかあちゃんは今回の東北の災害に「かわしそう。」と言ってのを思い出す。
こんな状態になっても、他の人を思いやるおかあちゃん。優しいなって思った。

おかあちゃん。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
おかあちゃん。大大大大大好きです。
幸せです。愛しています。これからもよろしくね。