おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

涼しくなれば・・・・・

2007年09月21日 15時40分00秒 | 母の事(肺がん) そして絆
母の担当医を変えてほしいと伝えました。
何故かと聞いてくるので、常勤の先生でない事、今月いっぱいで辞められる事等々そして先に調べておいた先生を担当医にお願いしました。
受付は何人かでヒソヒソ話をしています。
私は、しっかりと意志を伝えました。
先生は「分りました。これからは私が担当になります。」と仰って下さいました。
第一段階を突破しました。
これからは、この先生と治療方法等 話し合い決めていけばいい。
嬉しかった。
先生も、「これから、お母さんの体の負担にならないような治療方法を探して行きましょう。」
と言って下さった。

この日から、母の戦いが始まったと思いました。
検査、検査が続いて行きます。

(2006年8月)

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この頃の母は、歳のせいでしょうか。
あまり外に出ず、大半は寝ています。
食欲もあまりありません。
栄養になるものと考えて作ってもほとんど食べてくれません。
暑いしね。お母ちゃん 秋になって涼しくなったらきっと食べられるよ。
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私の病院との交渉が始まりました。

2007年09月21日 15時35分58秒 | 母の事(肺がん) そして絆
       *****ミニトマト たくさん出来ました。*****

母はその後も変わりなく私に接していました。
何で。泣けばいい。苦しい、悲しいと私に訴えてくればいいと思いました。

私の活動が始まりました。
すぐにかかりつけ医師のもとへ行きました。
詳細を話しました。
そして、他に方法はないのか聞きました。

医師は「そんな事はない。何故、そんなに小さいのなら手術をしないのか。
手術が出来るか、どんな事なら出来るのか調べるだけでもしたらどうか。
体に負担にならない検査をしたらいい。」と言ってくれました。

私はすぐに叔母に一緒に聞いてくれるように頼み病院の担当医師を尋ねました。
私はこのまま、放っておいて悪化して死を待つだけになる事には耐えられません。
母は私の命です。苦しんだりするのをただ見ていることはできません。
希望を断ち切らないで下さい。年寄りだって生きたいはずです。
母はいつもと変わらず生活しています。けれどきっと生きたいと思っています。
切々と医師に訴えました。叔母も援護射撃をしてくれました。
医師は「分りました。では検査を始めましょう。」と言ってくれました。
終りではなく、始まったのです。

かかりつけ医師に報告に行きました。
「よかった。病院の担当医師の名前は。」と聞かれました。
私が名前を告げると先生は調べてくれました。
そして分った事は、その先生は毎日来られている医師でない事です。
私の心は 週に1回のアルバイト的な先生に母の命を任せられない。という事です。

もう一つ分った事は先生はこの月いっぱいで辞めるという事です。
もう数日なのです。
何でそんな先生が私の母の命を決めるのか、納得がいきません。
私の病院との交渉が始まりました。
(2006年8月)
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母の決断(ガン告知)

2007年09月21日 03時40分40秒 | 母の事(肺がん) そして絆
母へのガンの告知はいきなりでした。
CTの結果を待っていました。
私はどうかガンでありませんようにと祈っていました。
母の順番がきて、診察室に呼ばれました。
入っていくと、医師は「ガンが見つかりました。」
私は涙が止まりませんでした。
私が泣いたのは、医師が母に直接ガンを伝えた事でした。
むろん、最後まで隠すつもりはありませんでしたがワンクッションおいてから私自身なり、医師から伝えたかった。
この時点での、医師の告知の仕方は残念でした。


医師は続けて母に言いました。
「お母さんはお年ですから、つらい治療をしないという方法もありますよ。」
これは、死を待つだけの宣告に思えました。
ただ、何も出来ず泣いてばかりいる私の横で母は言いました。
「治療はしません。私はこのままでいいです。」
母は涙も流さずそう言いました。
医師は「分りました。では、治療はしないという事で。
では、これで終わりです。」
私は次はいつ診てもらえるのかを聞きました。
もう診断にも来なくていい。後は何もしない。医師ははっきりそう言いました。
私はパニックになりそうでした。母は病院から見放されたのです。


私は、きっと母に合った治療方法があると思いました。
そして、これからいろいろと調べはじめました。

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京都に生れて

2007年09月20日 13時39分48秒 | 日々の事・京都に生れて
          *****御室の桜*****
      背が低く地面ぎりぎりに花が咲くのが特徴

京都の御室で生れ育ちました。
御室は近くに仁和寺・妙心寺・龍安寺・双ヶ丘・広沢の池・大覚寺・嵐山と名所・旧跡が集まいる。

私は子供の頃、御室さん(仁和寺のことを京都人は親しみを込めて言う)でよく遊んだ。
当時は花見時だけ拝観料を取っていた。
寺は一般に開放されていた。
親たちは車がいないので安心だったのだろう。
夏休みになるとよく行った。涼しかった。

五重塔・本堂で遊んだ。
水掛不動には長い柄のひしゃくで水を掛け教えもされなかったが年寄りたちがするように手を合わせていた。

御室の山には八十八箇所があり1つ1つの霊場に手を合わせて登るのも遊びの一つだった。

ブログを書いて改めて素晴らしい環境に育ったと思う。
そのためだろうか。一人っ子のせいだろうか。
母はあんたは「おっとりしてるな。そんなんで人の内入っていけるんか。」
と心配していた。

よく人に「家の子は、おっとり(のんびり)して きずい(わがまま)。 堪忍しとおくれやっしゃ。」とよく言っていた。
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検査が始まりました。

2007年09月20日 13時32分10秒 | 母の事(肺がん) そして絆
                  ******あじさい******

検査が始まりました。CEAの上昇でまず疑うのは、
大腸   異常なし
胃    異常なし
肝臓   異常なし
検査は婦人科に至りました。
子宮   異常なし
乳房   異常なし

この時点で先生はどこかにはある。が、場所が特定出来ない。1度 肺を調べてみるか。そして、肺ガン検診へと進みました。

そこに、ガンはありました。
2・5センチ 小さいものでした。 
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本当に仲がよい。

2007年09月20日 05時29分21秒 | 乳がん記録
      *****天王寺動物園 レッサーパンダ*****

これは、乳腺クリニックへ行った時に携帯からPCにメールを入れました。
その時の 心境を書きました。
               
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拝啓、kyoto309(自分宛に)さん。
今日乳腺クリニックへ行きました。
N先生に手術の時は先生がしてくれるんですよね。
ちゃんと言ってきました。
1つガンと思わしいものがありました。検査のために取るのだそうです。
先生はJ病院へ行かれるそうです。
連絡はくれるとの事。
私達、親子は本当に仲がよい。
去年 お母ちゃんが肺ガンに。今年は私が乳がん。
私はお母ちゃんより長く生きられますか。
お母ちゃんは看取ってあげたい。子供を看取るなんて最大の親不孝ですから。
不思議と涙もでないし、悲しいと思う気持ちも沸いてこない。
今はまだはっきりと結果が出ていないからかも。
はっきりした時どんな私が出てくるのか。
新しい私に会える楽しみ。


私はいつまで生きられますか。
苦しみませんか。
耐えていけますか。

Fri, 24 Aug 2007 04:12:11

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この時、超音波の映像を診て先生が「あー。これな。」
と言われたとき、ベットに上がった私はゴクンとつばを飲んだ。
後で分ったけどこの症状は ストレスがかかった事に出るらしい。
私は小心者だな。と再確認した。
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非浸潤がん

2007年09月20日 05時16分39秒 | 乳がん記録
             *****天王寺動物園 ペンギン*****

乳がんかも。と言われて7ヶ月が過ぎました。
今も検査は続いています。
まさに針のムシロ状態です。

乳がんのなかの石灰化(非浸潤がん)で調べてみました。
体験者のブログや取り組んでいられる医師の話等をみました。
医師のなかでも、意見は違います。

◎石灰化(非浸潤がん)はガンではあるが取り除く必要はない。
◎石灰化(非浸潤がん)は極初期のガンである。この時点で取り除けば100%に近い治癒率がある。

体験者のブログの中で細胞を取ってみたが それにはガンはなかった。
しかし、乳房全体にある石灰化(非浸潤がん)にガン(浸潤がん)があるかも知れない。
彼女は全摘出を選んだ。と言うものだった。
摘出後、乳房にはガン(浸潤がん)はなかった。
それを、彼女はよかったと言っている。
彼女は乳房再生も終え、摘出前と変わらぬ乳房を取り戻した。というものでした。

では、私はどうする。
担当医は石灰化(非浸潤がん)は取らなくてもよい。取ったとしても生存率は同じである。
経過を注意深く診ていくことでよいのでは。
今、ガン(浸潤がん)と判明したのを取り除くことにしよう。
こうなると私は一生ガンでは ガンに移行(浸潤がん)したのではと心配ばかりして過ごす事になってしまわないだろうか。

全摘出か浸潤がんのみを取り除くか迷っている。
ある日は全摘出にしょうと決心する。人が傷口は小さい方がいい。全摘出は止めなさい。
そう言われて又迷う。の繰り返し。


まだ時間はある(?)じっくり考えよう。
怖い。

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MRの結果

2007年09月20日 05時11分04秒 | 乳がん記録
(9/10)に病院でMRを撮りました。
結果を待っている間2時間以上はあると思い私は病院を出ました。
朝を抜いていた為、軽い朝食を取りました。

MRを撮る際のことですが、もう一つかかっている乳腺クリニックでは左乳房に疑わしい個所があると言われています。
が、病院では右乳房に疑わしい個所がある。との事です。
MRを受ける際に、技師さんには左だと主張しましたが、
結局 当病院では右の指示が出ているとの事で
昨日は右のオッパイのMRを撮りました。

2時間後病院に帰ると次が私の番です。
私が呼ばれるまでの時間、どんなに長く感じた事か。
ドキドキとかはしません。
ソワソワという感じです。座っていても落ち着かず手を組んだり下を見たり。

ついに私が呼ばれました。
おはようございます。と入っていきました。
ストレスが私に推しかかっています。

しばらく空白があって 医師の口が開きました。
「ご苦労さんです。東京の先生はどうでした。」
私はテレビで見た神の手を持つと言う先生に先月会いに行ってきました。
30分21,0000円 こちらからフイルムを持って行き意見を聞くと言うものでした。
高いと思うかはその人の感じ方です。
私は、はっきり言って新しいものは得る事は出来ませんでした。
しかし、今の病院等を信じて治療していけばいいのだ。という事を確信出来たのが安心に繋がりました。

そして先生の口から出たのは
「今回 前にあったのが消えている。安心してください。私も嬉しい。」
私は本当にそうなら嬉しいけれど クリニックでは左乳房だと聞いています。
クリニックで撮った先生の印のあるマンモのフイルムを見せました。

しばらく見て「この部分を言っているのだろう。MRではないので詳しくは分らない。右は大丈夫。これからは半年に1度位は検査をする方がいいだろう。」と。

私は手放しで喜べない気がしました。
左のオッパイもMRをかけてもらう事で予約を入れてきました。

今年に初めから私の頭から乳がんではないかという事が頭から離れる事はありません、
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これから

2007年09月20日 05時03分39秒 | 乳がん記録
私の場合、石灰化の乳がんの疑いとの事でした。
それが2月初旬。私は若い頃から乳腺に水が溜まりよく抜いてもらっていました。
線維腺腫といわれていました
何年も繰り返し症状がでるのでよく乳腺クリニックに行っていました。
その先生はテレビでも紹介された神の手を持つカリスマ医師です。
その時は何もなくても1年に1度は調べてもらおうと思っていました。
でも、症状が出なくなると足は遠のいていました。
今回のドックの際も、触診の先生は「大丈夫です。マンモグラフィも撮るんですね。
安心して行って下さい。」
と言われ気にもしていませんでした。

6月にマンモグラフィとMRを撮った時に「怪しいのが1つある」と言われました。
マンモトールをして見るか。でも採った部分になくとも安心とは言えないし。
もうちょっと様子を見ましょう」と言われました。
マンモトールは最初からして見るか。と言われていましたが、
とても痛いと聞き私自身、踏み切れませんでした。

最初の再検査の後、以前にかかっていた乳腺クリニックへ行きました。
先生は変わって居られたけれどよく説明をしていただきました。
石灰化は取らなくてもいい。様子を見ていこうと。
病院と同じでした。
これからは病院とクリニックで経過を見ていこうと決めました。
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母の体調が・・・・

2007年09月17日 17時55分36秒 | 母の事(肺がん) そして絆
               *****大阪 通天閣******


母は昨年の6月に極度の貧血で近所の医院に受診しました。
先生から私に話があるから来てほしい。と母は聞いていましたが私には伝えませんでした。
高齢の母は私に心配かけないようにしようとしたようです。
看護婦さんからの電話で私は何かあるのだと思いました。
先生は血液検査の結果、母にはガンの疑いがある。と。
腫瘍マーカーのCEAが上昇していました。
疑いと言うより決定と感じました。
すぐに病院で検査を始めました。
もちろん母には病気の事は内緒です。

母の検査は続きました。
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