夕方、ベランダに出ると西の空が黄金色に染まって大きな夕陽が見えた。
慌てて室内に入ってカメラを探し、又ベランダに出た頃にはもう日は落ちていた。
凄いスピード!
先週の朗読教室は日本俳句紀行でナレーションをビデオに入れたのだが
家に持ち帰って再生してみると、元々入っていた音楽はちゃんと聞こえるが
私の声が聞こえない!
途中から高い声に変わった所では、声らしきものが微かに聞こえる。
確かめる為に、音量をガーンと上げた。
ザラザラで不愉快極まる声が聞こえた。
耳を覆いたくなり、すぐさま消した。自分の声が嫌いになった。
私たちの声を入れるマイクの音量をしぼり過ぎていたのだ。
お陰で自分の欠点がよ~く分かった!私はなんて馬鹿だったんだろう!
聞くも堪えない声で、薄っぺらなくせに、商業主義に乗せられて
上級コースに行こうなんて、考えてとんでもない間違いだった!
私はバカだ、バカだ、バカだ・・・
極端から極端に走るタイプな私は、本気でまた落ち込んだ。
翌日TAちゃんが来たので、その顛末を話し、自分の朗読する声や
ナレーションの声が受け入れ難くてもう聴きたくない、と話した。
すると彼女は穏やかに言った。
「あのね、吉永小百合、朗読するでしょ。良い声だよね。」
え~~~~っ?! 今それ言う???
もっと落ち込むじゃない!
で、私は言った。
「あの人、プロでしょ。ましてや『吉永小百合』じゃない!」
その時の私はかなりご機嫌斜めだった
小さい写真を無理に拡大すると、粒子が粗くなって汚い写真になる。
その原理で私の声も欠点が10倍くらいに拡大されたのだと
理屈では分かっているけれど、生理的嫌悪感を持ったら簡単には直らない。
それでも慰めは欲している、という面倒な状況になった。
そのまま日は過ぎて行き、翌週で実力コースは最終日を迎えるのに
朗読の練習も何も出来ないままだった。
そして日曜の夜、テレビで「ベルリン・フィルと子どもたち」の映画を観た。
ダンスの振付師が生徒の事を
「あの子は今 壁にぶつかっている。 壁だから必ず乗り越える。
幾つも壁はあり、その度に乗り越えていく。」という意味の事を言った。
そうか自分の声に対する生理的嫌悪感も、実は私のぶつかっている
壁なのかも知れない。
若い人は良いよね。 時間はタップリあるから何度でも乗り越えられる。
私は68歳になったしまったから、もう乗り越える時間は残されていない・・・
いいや、壁は乗り越えたい!
まだ68歳だと思おう。 もう68歳だなんていうと義母に叱られる。
義母は何日か前に91歳になった。出掛ける時にはちゃんとお洒落をして
化粧もして行くと言う。そんな義母に「私は歳だから」なんていう言い訳は
通らない。そう思うと、少し気持ちは救われた。
翌日の月曜日は、TAちゃんと映画「続3丁目の夕日」を観に行った。
1時からのを観て、帰りにカフェに入ってお茶をしながら感想を言い合った。
前作の方が感動は大きかった。
家に帰ると電話のベルが聞こえる。基礎コースで一緒だったSさんからだった。
「今、続3丁目の夕日を観て帰って来たところよ。」というと
「お姉さま、余裕が有りますね。明日はコースの最終日じゃありませんか。
練習しなくていいのですか?」と聞かれた。
え、練習? していないけど・・・
翌日のお昼を一緒に食べる確認をして電話を終えた。
その夜おそく、やっと朗読とナレーションの原稿を読む気になった。
あれほど生理的に受け付けなくなっていた自分の朗読の声を、
なんとか許せるようになっているのに気が付いた。
13日コースの最終日、入れ損ねた全員のナレーションを再度取り直し終了した。
私の場合はビデオ、持ち帰って何度も再生した。納得する部分は少ない。
ダメな部分は文章を読んでいる所だ。
読まないで語りかけろ、といつも言われている。 ナレーションだと、
ビデオに入っている情景を目と心に入れて語るのだけれどそれが難しい。
3~4ヶ所だけは、今の時点では まあ良かったかな?
欠点は分かっている。 次の段階ですこしは直せるだろうか。
家人にナレーション聞いてもらった。
「感想は?」と聞く私に
「ナレーションだろ。景色が主だろ。お前の声が邪魔!」と一言
慌てて室内に入ってカメラを探し、又ベランダに出た頃にはもう日は落ちていた。
凄いスピード!
先週の朗読教室は日本俳句紀行でナレーションをビデオに入れたのだが
家に持ち帰って再生してみると、元々入っていた音楽はちゃんと聞こえるが
私の声が聞こえない!
途中から高い声に変わった所では、声らしきものが微かに聞こえる。
確かめる為に、音量をガーンと上げた。
ザラザラで不愉快極まる声が聞こえた。
耳を覆いたくなり、すぐさま消した。自分の声が嫌いになった。
私たちの声を入れるマイクの音量をしぼり過ぎていたのだ。
お陰で自分の欠点がよ~く分かった!私はなんて馬鹿だったんだろう!
聞くも堪えない声で、薄っぺらなくせに、商業主義に乗せられて
上級コースに行こうなんて、考えてとんでもない間違いだった!
私はバカだ、バカだ、バカだ・・・
極端から極端に走るタイプな私は、本気でまた落ち込んだ。
翌日TAちゃんが来たので、その顛末を話し、自分の朗読する声や
ナレーションの声が受け入れ難くてもう聴きたくない、と話した。
すると彼女は穏やかに言った。
「あのね、吉永小百合、朗読するでしょ。良い声だよね。」
え~~~~っ?! 今それ言う???
もっと落ち込むじゃない!
で、私は言った。
「あの人、プロでしょ。ましてや『吉永小百合』じゃない!」
その時の私はかなりご機嫌斜めだった
小さい写真を無理に拡大すると、粒子が粗くなって汚い写真になる。
その原理で私の声も欠点が10倍くらいに拡大されたのだと
理屈では分かっているけれど、生理的嫌悪感を持ったら簡単には直らない。
それでも慰めは欲している、という面倒な状況になった。
そのまま日は過ぎて行き、翌週で実力コースは最終日を迎えるのに
朗読の練習も何も出来ないままだった。
そして日曜の夜、テレビで「ベルリン・フィルと子どもたち」の映画を観た。
ダンスの振付師が生徒の事を
「あの子は今 壁にぶつかっている。 壁だから必ず乗り越える。
幾つも壁はあり、その度に乗り越えていく。」という意味の事を言った。
そうか自分の声に対する生理的嫌悪感も、実は私のぶつかっている
壁なのかも知れない。
若い人は良いよね。 時間はタップリあるから何度でも乗り越えられる。
私は68歳になったしまったから、もう乗り越える時間は残されていない・・・
いいや、壁は乗り越えたい!
まだ68歳だと思おう。 もう68歳だなんていうと義母に叱られる。
義母は何日か前に91歳になった。出掛ける時にはちゃんとお洒落をして
化粧もして行くと言う。そんな義母に「私は歳だから」なんていう言い訳は
通らない。そう思うと、少し気持ちは救われた。
翌日の月曜日は、TAちゃんと映画「続3丁目の夕日」を観に行った。
1時からのを観て、帰りにカフェに入ってお茶をしながら感想を言い合った。
前作の方が感動は大きかった。
家に帰ると電話のベルが聞こえる。基礎コースで一緒だったSさんからだった。
「今、続3丁目の夕日を観て帰って来たところよ。」というと
「お姉さま、余裕が有りますね。明日はコースの最終日じゃありませんか。
練習しなくていいのですか?」と聞かれた。
え、練習? していないけど・・・
翌日のお昼を一緒に食べる確認をして電話を終えた。
その夜おそく、やっと朗読とナレーションの原稿を読む気になった。
あれほど生理的に受け付けなくなっていた自分の朗読の声を、
なんとか許せるようになっているのに気が付いた。
13日コースの最終日、入れ損ねた全員のナレーションを再度取り直し終了した。
私の場合はビデオ、持ち帰って何度も再生した。納得する部分は少ない。
ダメな部分は文章を読んでいる所だ。
読まないで語りかけろ、といつも言われている。 ナレーションだと、
ビデオに入っている情景を目と心に入れて語るのだけれどそれが難しい。
3~4ヶ所だけは、今の時点では まあ良かったかな?
欠点は分かっている。 次の段階ですこしは直せるだろうか。
家人にナレーション聞いてもらった。
「感想は?」と聞く私に
「ナレーションだろ。景色が主だろ。お前の声が邪魔!」と一言
「朗読21」のイベント情報、ある時は是非教えてください。楽しみに待っています(^^)
はるか昔の高校時代、演劇部の本読みをテープに取って聞いた時! どんなにショックで耳を疑ったか、ガッカリしたか! それが他人の耳に聞こえる自分の声だと知った時のショック、忘れられませんね
そういうレベルの話です(笑)
気に掛けていただいて有難うございます。
それから、ナレーションを頼まれたこと忘れていませんから。
それを楽しみに励んでいますのでどうぞよろしく♪
たぶん、ちゃんとナレーション入れられた時に、自分の平面的な声が消えて、本物になるのだと思います。
ご家族で、ハワイに行って来たのですね。
そちらでコメントしそびれたので、こんな所でごめんなさい。
私も母と2人でハワイに行ったこと思い出して懐かしかったです。
彼の地は永住したいくらい気候の良いところですね。
ラニ子ちゃんますます可愛くなりました
そのうちお願いごと、するかも・・・
昔、テープにとった自分の声を聞いて、なんて甲高い声なんだろう!って思い、すぐにテープを止めたのを思い出します。
こういうレベルの話ではないのですか?
もしかしてもっと上のレベルの話をされているのなら、何を見当違いなことを言っているのかと受け流してくださいね。
声ってそれこそ世界に1つしかない自分の個性ですから、自分が嫌いでも意外に周りの人は好きだったりすると思いますよ。
がんばって!
ところで最近、うちの小さなオフィスに、「朗読21」という阿刀田高さんが主催する朗読グループが入ってきたんですよ。今度イベントやるときは情報流しますね。
日本の様々な言い回し、先人の知恵をしみじみと感じます。
あっちもこっちも、とバランス良く出来るタイプではないので、熱中すると欲張ってしまうのですね。それに年取ると不愉快なことはあっても堂々と叱られることはなくなります。きっと叱られながら学ぶことが嬉しいのです
先日姪の子ども小4の男児が「釣瓶落とし」って言うのを聞いて、「どういう意味か知ってる?」と聞くと学校で習ったとかで知ってました。
でも、親である姪は「知らなかった」っていうのです。古い言い回しを親が知らないで子どもが知っているって、驚きましたね。
『温故知新』というのでしょうか、学校も粋なことをするものです。
スランプに陥ってあせってらっしゃるようですね。でも、それだけ真剣に取り組んでいる証拠でしょう。
私など、もう難しいことへ挑戦しようという気すらありません。おもしろいことにしか興味を持たないミーハーそのものです。
いくつものハードルを乗り越えて頂点を極めたときの喜びのためにがんばってください。って、あんまりプレッシャーを掛けてはいけませんね。