ショックなことに、金曜日に携帯電話が故障してしまいました。
充電器に置いても充電しなくなったことと、画面表示が消えてしまうようになったので近くのドコモショップに持って行きました。
私の携帯暦は10年程でしょうか。
仕事で都内の何箇所かに出向く事が結構あったので、会社との連絡用と、いざという時に自分の居場所を知らせる護身用に購入したのです。
輸入雑貨関係の仕事をしていた私の行き先には「月島倉庫」がありました。
上階に行く時利用するのは、倉庫ゆえトラックが荷物を積んだまま乗り込む為の、馬鹿デカイ時代物の黄緑色のエレベーターで、広々としたスペースに人間が「おじゃまします。」と肩身を狭くしながら乗せていただくのです。 正直言ってまだこんな物が動いているのかと目を丸くしました。(関係者の方、ごめんなさい。)
3~4機くらいあったのでしょうか?
そのエレベーターたるや、「ギーコ、バッタン、ガタガタ、ガタガタ」と戸が閉まり(中々閉まらないときもある)、古臭い大きい○ボタンを恐る恐る押すと、ギシギシギシギシ身体を震わしてから、ギーコギーコと心臓が悪くなるようなキシリ音をたててゆっくり昇り出すのです。
初めて乗った時は仲間と顔を見合わせて、生きた心地もありませんでしたが、 目的地に着いて扉が開いたときの安堵感といったら! 胸を撫で下ろし、やっと息が出来ると言った有様でした。 やたらその後、はしゃいだ記憶があります。
行き先は5階だったか6階だったのか、今になってはハッキリと覚えてはいませんが、もの凄く長い時間に感じられたものでした。
エレベーターを降りると、コンクリート打ちっぱなしのだだっ広い空間があり、そこには仕切りなぞ存在せず、荷物がダンボールに入ったまま、幾重にも積み重ねてありました。
隣の会社との境目は、「この柱から向こうは他の会社」といった状態でした。
会社の人と一緒に乗るときのエレベーターは未だ良いけれど、タマに一人で乗り込む羽目になると、恐怖もいや増して、ここで扉が開かなくなったらどうしようとか、吊り上げるロープが切れて落ちたらとか、何の因果でこんな古い型のエレベータに乗らなきゃいけないんだとか、関東大震災級の地震で閉じ込められたら私はここで死ぬのか、そしたら私が死んだ場所さえ家族は知らないのだ、と際限なく悲劇的に、悪い方へと考えてしまい、昇り着く頃には疲れ果てておりました。
怖がりの私は、娘に言って置きました。
「もし何時間たっても連絡が無かったら、月島のエレベーターの中だと思ってね。もし地震が起こって帰って来なかったら、あのエレベーターの中だからね」。
「判った。ママが閉じ込められたら、必ず私が助け出す。もし埋まっていたら必ず掘り出して助けるからね。」とその当時の娘は雄々しく言ってくれましたが、今は東京に勤務する娘の身を案じる身分になりました。
会社の人が言いました。
「この間エレベーターが突然止まってね。 中に閉じ込められちゃったんだよ。すきま(?)から お~い、開けてくれ~って叫んだけれど、しばらく誰も気づいて貰えなかったよ。」
「えっ!それでどうしたんですか?」
モチロン時間は何時間か掛かったけど助け出されたそうですが、
「それ以来、あのエレベーターはずっと故障中なんだよ。」
床板の鉄板が何枚か外れていて、下が丸見えになっていることも。
普通車がダイビングして落ちそうな大きさです。
下を覗き込むなんてことは怖くて到底出来ず、目は宙を飛んでいました。
エレベーターの中に閉じ込められた話しは2回ほど聞いたので、もう(自分の身は自分で守らなければ!)と決心し、携帯電話を購入したのでした。
怖かった話しばかり書きましたが、旧式だからこそのノンビリ感も有ったような気がします。
裏の川で魚釣りをした話しを聞いたことや、レインボーブリッジが間近に見える事。
風の強い日に見た夜景の素晴らしく綺麗だったこと。
そこに居た人達の温もり。
エレベーターは怖かったけど、思い出は美しく、懐かしいものに変わりました。
仕事から離れてから7年、あれから月島倉庫は変わったのでしょうか?
最近は「あなたは何時も携帯電話を携帯していないのね。」
と連絡してきた友人に文句を言われ、娘や嫁などには
「メールしたけど見てくれた?」と電話で聞かれ、
「ゴメン、一昨日から見ていない。」
そして家の電話から自分の携帯に電話して、着信音が聞こえている場所に走り寄るのです。
◇ メモリーが消失!?
取り敢えず以前の携帯を復活させることにしました。
なんと、使い勝手の悪いこと!
たった1年2ヶ月前なのにクラシックな機種を使っているみたいです。
古い携帯に残っているのは、電話番号だけでした。
何故かメールアドレスは消えていました。
携帯に関しては、物持ちの良い私の機種変えは10年にたった3~4台なのです。
ドコモに修理に出したら、2週間くらい掛かるのと、メモリーは消失する可能性が大だという事を聞かされてショックあ~あ。
充電器に置いても充電しなくなったことと、画面表示が消えてしまうようになったので近くのドコモショップに持って行きました。
私の携帯暦は10年程でしょうか。
仕事で都内の何箇所かに出向く事が結構あったので、会社との連絡用と、いざという時に自分の居場所を知らせる護身用に購入したのです。
輸入雑貨関係の仕事をしていた私の行き先には「月島倉庫」がありました。
上階に行く時利用するのは、倉庫ゆえトラックが荷物を積んだまま乗り込む為の、馬鹿デカイ時代物の黄緑色のエレベーターで、広々としたスペースに人間が「おじゃまします。」と肩身を狭くしながら乗せていただくのです。 正直言ってまだこんな物が動いているのかと目を丸くしました。(関係者の方、ごめんなさい。)
3~4機くらいあったのでしょうか?
そのエレベーターたるや、「ギーコ、バッタン、ガタガタ、ガタガタ」と戸が閉まり(中々閉まらないときもある)、古臭い大きい○ボタンを恐る恐る押すと、ギシギシギシギシ身体を震わしてから、ギーコギーコと心臓が悪くなるようなキシリ音をたててゆっくり昇り出すのです。
初めて乗った時は仲間と顔を見合わせて、生きた心地もありませんでしたが、 目的地に着いて扉が開いたときの安堵感といったら! 胸を撫で下ろし、やっと息が出来ると言った有様でした。 やたらその後、はしゃいだ記憶があります。
行き先は5階だったか6階だったのか、今になってはハッキリと覚えてはいませんが、もの凄く長い時間に感じられたものでした。
エレベーターを降りると、コンクリート打ちっぱなしのだだっ広い空間があり、そこには仕切りなぞ存在せず、荷物がダンボールに入ったまま、幾重にも積み重ねてありました。
隣の会社との境目は、「この柱から向こうは他の会社」といった状態でした。
会社の人と一緒に乗るときのエレベーターは未だ良いけれど、タマに一人で乗り込む羽目になると、恐怖もいや増して、ここで扉が開かなくなったらどうしようとか、吊り上げるロープが切れて落ちたらとか、何の因果でこんな古い型のエレベータに乗らなきゃいけないんだとか、関東大震災級の地震で閉じ込められたら私はここで死ぬのか、そしたら私が死んだ場所さえ家族は知らないのだ、と際限なく悲劇的に、悪い方へと考えてしまい、昇り着く頃には疲れ果てておりました。
怖がりの私は、娘に言って置きました。
「もし何時間たっても連絡が無かったら、月島のエレベーターの中だと思ってね。もし地震が起こって帰って来なかったら、あのエレベーターの中だからね」。
「判った。ママが閉じ込められたら、必ず私が助け出す。もし埋まっていたら必ず掘り出して助けるからね。」とその当時の娘は雄々しく言ってくれましたが、今は東京に勤務する娘の身を案じる身分になりました。
会社の人が言いました。
「この間エレベーターが突然止まってね。 中に閉じ込められちゃったんだよ。すきま(?)から お~い、開けてくれ~って叫んだけれど、しばらく誰も気づいて貰えなかったよ。」
「えっ!それでどうしたんですか?」
モチロン時間は何時間か掛かったけど助け出されたそうですが、
「それ以来、あのエレベーターはずっと故障中なんだよ。」
床板の鉄板が何枚か外れていて、下が丸見えになっていることも。
普通車がダイビングして落ちそうな大きさです。
下を覗き込むなんてことは怖くて到底出来ず、目は宙を飛んでいました。
エレベーターの中に閉じ込められた話しは2回ほど聞いたので、もう(自分の身は自分で守らなければ!)と決心し、携帯電話を購入したのでした。
怖かった話しばかり書きましたが、旧式だからこそのノンビリ感も有ったような気がします。
裏の川で魚釣りをした話しを聞いたことや、レインボーブリッジが間近に見える事。
風の強い日に見た夜景の素晴らしく綺麗だったこと。
そこに居た人達の温もり。
エレベーターは怖かったけど、思い出は美しく、懐かしいものに変わりました。
仕事から離れてから7年、あれから月島倉庫は変わったのでしょうか?
最近は「あなたは何時も携帯電話を携帯していないのね。」
と連絡してきた友人に文句を言われ、娘や嫁などには
「メールしたけど見てくれた?」と電話で聞かれ、
「ゴメン、一昨日から見ていない。」
そして家の電話から自分の携帯に電話して、着信音が聞こえている場所に走り寄るのです。
◇ メモリーが消失!?
取り敢えず以前の携帯を復活させることにしました。
なんと、使い勝手の悪いこと!
たった1年2ヶ月前なのにクラシックな機種を使っているみたいです。
古い携帯に残っているのは、電話番号だけでした。
何故かメールアドレスは消えていました。
携帯に関しては、物持ちの良い私の機種変えは10年にたった3~4台なのです。
ドコモに修理に出したら、2週間くらい掛かるのと、メモリーは消失する可能性が大だという事を聞かされてショックあ~あ。
高い鉄製の棚から、ダンボールを下ろして「ウチはこれ10個。」「ウチは20個欲しい。」「ウチは置くスペースが少ないから5個で良い。」とかみんなでワイワイ言いながら商品を選んでいた日が夢のようです。