幼い時から何でも活字を読むのは好きだった。
字を読めない頃の記憶は、母が絵本を読んでくれたこと。
小学校就学前、私は字は読めなかったと思う。
塗り絵が流行り、ひたすら塗り絵に夢中になっていた。
終戦の翌年の昭和21年、小学校に入学して 字を覚えた。
雑誌も「小学○年生」や「冒険王」等を読みふけっていたことを思い出す。
小学校1年から3年生までの先生は石原先生という女の先生で大好きだった。
優しい人だったけれど、厳しい面も有ったと微かな記憶がある。
優しいだけの人に子どもは本気で懐かないと思う。
小学校4年から新たに担任になったのは年若い男性教諭だった。
ひと目見て、ガッカリして、そして敬遠した。
小学生の女子の感受性はとても鋭い。
「○○さんはいつも少女小説、読んでいるのだろう?」
「また 少女小説か?」
といつもからかい気味に言われていた。
担任教諭の言葉の響きは、快いものではなかった。
時に、身近な大人の女性の本を 密かに手に取ることは有った。
そこには男と女が近づいて 唇を触れ合わせのを示唆する場面があり、
禁断の大人の世界をのぞきみて、おませな少女だった私は
ドッキンドッキンと心臓の鼓動が高鳴ったことを思い出す。
その頃、父は吉川英治の「宮本武蔵」を読んでいた。
私が小学校4年? それとも5年生になっていたのか・・
5年生?の夏休み、暑さでぼうーとしていて外に遊びにも行かなかった或る日、
退屈なあまり、父が読み終えた「宮本武蔵」を手に取った。
難しいと思った本は、読んでみると案外読める。
内容にも興味を引かれた。 それこそ、貪るように読んだ。
その夏休みは、宮本武蔵に始まり、宮本武蔵に終わったといって良い。
何時も私が寝転んで本を読んでいると、父に厳しく叱られた。
父が居る間は起き上がって本を読み、父がその場を去ると
私は又寝転んで「宮本武蔵」を読み出した。
母はいつも近くにいるから、そんな私を叱ったが聞こえない振りをしてやり過ごした。
「お使いに行きなさい」と命じられたがそれも聞こえないふりを装って行かなかった。
その夏の間ずっと掛かって、10巻読み通した。
本を読み出した最初の方は叱られたが、活字中毒の娘を諦めたのか、
その後はあまり叱られず、思う存分その夏は本に熱中した。
武蔵は乱暴者だったのが沢庵和尚に救われてから、旅にでて帰らず
剣の試合ばかり。 お通はそのあとをひたすら追いかけ。
弱くてずるい又八も、お杉婆も朱実も嫌いだったのだが。
中学生になった時、学校で吉川英治作の「宮本武蔵」の話をしたら
男子が「貸して欲しい」と言ったので、父に黙って貸し出した。
そのうち、本はクラスの男子の間を巡り巡り、なかなか返してもらえず
遂に父に問い詰められて白状した。
父は叱らなかったと思う。
何ヶ月か経ってやっと10巻、すべてが手元に戻ってきた時には、
手荒に扱われて本の閉じは緩くなり、かなり薄汚れていた。
私は父に返すことが出来るのは嬉しかったが、父の落胆を想像し
ごめんなさいと、心の中で呟いた。
確かに父は大切にしていた本の惨状を知り、ショック状態だったけれど、
日頃は強情で聞かん気の娘がいつに無く小さくなってうな垂れているのを見ると
叱るに叱れなかったようだった。
父は90歳で亡くなる間際まで、藤沢周平や池波正太郎を読んでいた。
私の時代物好きは、父の影響である。
字を読めない頃の記憶は、母が絵本を読んでくれたこと。
小学校就学前、私は字は読めなかったと思う。
塗り絵が流行り、ひたすら塗り絵に夢中になっていた。
終戦の翌年の昭和21年、小学校に入学して 字を覚えた。
雑誌も「小学○年生」や「冒険王」等を読みふけっていたことを思い出す。
小学校1年から3年生までの先生は石原先生という女の先生で大好きだった。
優しい人だったけれど、厳しい面も有ったと微かな記憶がある。
優しいだけの人に子どもは本気で懐かないと思う。
小学校4年から新たに担任になったのは年若い男性教諭だった。
ひと目見て、ガッカリして、そして敬遠した。
小学生の女子の感受性はとても鋭い。
「○○さんはいつも少女小説、読んでいるのだろう?」
「また 少女小説か?」
といつもからかい気味に言われていた。
担任教諭の言葉の響きは、快いものではなかった。
時に、身近な大人の女性の本を 密かに手に取ることは有った。
そこには男と女が近づいて 唇を触れ合わせのを示唆する場面があり、
禁断の大人の世界をのぞきみて、おませな少女だった私は
ドッキンドッキンと心臓の鼓動が高鳴ったことを思い出す。
その頃、父は吉川英治の「宮本武蔵」を読んでいた。
私が小学校4年? それとも5年生になっていたのか・・
5年生?の夏休み、暑さでぼうーとしていて外に遊びにも行かなかった或る日、
退屈なあまり、父が読み終えた「宮本武蔵」を手に取った。
難しいと思った本は、読んでみると案外読める。
内容にも興味を引かれた。 それこそ、貪るように読んだ。
その夏休みは、宮本武蔵に始まり、宮本武蔵に終わったといって良い。
何時も私が寝転んで本を読んでいると、父に厳しく叱られた。
父が居る間は起き上がって本を読み、父がその場を去ると
私は又寝転んで「宮本武蔵」を読み出した。
母はいつも近くにいるから、そんな私を叱ったが聞こえない振りをしてやり過ごした。
「お使いに行きなさい」と命じられたがそれも聞こえないふりを装って行かなかった。
その夏の間ずっと掛かって、10巻読み通した。
本を読み出した最初の方は叱られたが、活字中毒の娘を諦めたのか、
その後はあまり叱られず、思う存分その夏は本に熱中した。
武蔵は乱暴者だったのが沢庵和尚に救われてから、旅にでて帰らず
剣の試合ばかり。 お通はそのあとをひたすら追いかけ。
弱くてずるい又八も、お杉婆も朱実も嫌いだったのだが。
中学生になった時、学校で吉川英治作の「宮本武蔵」の話をしたら
男子が「貸して欲しい」と言ったので、父に黙って貸し出した。
そのうち、本はクラスの男子の間を巡り巡り、なかなか返してもらえず
遂に父に問い詰められて白状した。
父は叱らなかったと思う。
何ヶ月か経ってやっと10巻、すべてが手元に戻ってきた時には、
手荒に扱われて本の閉じは緩くなり、かなり薄汚れていた。
私は父に返すことが出来るのは嬉しかったが、父の落胆を想像し
ごめんなさいと、心の中で呟いた。
確かに父は大切にしていた本の惨状を知り、ショック状態だったけれど、
日頃は強情で聞かん気の娘がいつに無く小さくなってうな垂れているのを見ると
叱るに叱れなかったようだった。
父は90歳で亡くなる間際まで、藤沢周平や池波正太郎を読んでいた。
私の時代物好きは、父の影響である。
吉川英治『宮本武蔵』では美作国の宮本村が生誕の地となっているそうですが、現在の岡山県美作町大原で、わが町のすぐ近くです。大原町には武蔵ゆかりの建物などが多くあり、「武蔵の里」として有名です。
私も時代物は好きです。池波正太郎はドラマで「鬼平犯科帳」「剣客商売」などありました。藤沢周平のの「蝉しぐれ」「武士の一分」もよかったです。
40年くらい前に購入した、山岡荘八の「徳川家康」全巻と、世界文学全集の何十巻かのセットは、今でも確か姉の家にあると思います。
本はいいですね。最近はミステリーばかり読んでいます。それも安い文庫本を毎月3冊は買って、夜寝る前に少しずつ読みます。それが癖になっていてすこしでも読まなければ寝つかれなくなっています。習慣ってこわいですね。
社会人になって、はじめての面接試験のとき、
愛読書はと聞かれて、「宮本武蔵」と答えると、怪訝な顔をされました。
どうしてなのか、いまでもわかりません。(笑)
映画では、内田吐夢監督の「宮本武蔵」五部作・・
一乗寺下がり松の決闘のあと、
比叡山に立てこもったシーンは鬼気せまるものがありました。
お父さんとの思い出を本を通してやさしく語られて、
亡くなられたお父さんのお気持ちとして、とても嬉しいことであったと思います。
本が高くて中々買える時代ではなかったので嬉しかったです。 その頃のお気に入りは「アルセーヌ・ルパン」でした。ルパンの中でも「ゼリコ侯爵」が大好きでした。
たけぞうの生まれた美作は、岡山県のレディーさんのお近くでしたか!
先ほど美作市のHPで拝見しました。
あんなに沢山の武蔵の史跡が残っているとは知りませ
んでした!
テレビドラマの「鬼平犯科帳」始まりのギター曲も良かったですね。
私もレディーさんと同じく「剣客商売」「蝉しぐれ」「武士の一分」みんな観ました♪
山岡壮八の「徳川家康」、私も全巻読みました。
徳川家康は「狸じじいで、たなぼただけの男」という既製のイメージを見事に引っ繰り返した、読み応えのある本でしたね。 私のOL時代だったので本が出版された時はいつも寝不足で出勤していた心苦しくも懐かしい思い出があります。 父が読み終えてから、でしたが。
世界文学全集! 私はドフトエフスキーやツルゲーネフの文章は苦手で読めず、トルストイは大好き、と結構むらがあるのです。 私の小学校のクラスメイトにヘッセの高名な研究者がいて、未だにヘッセを薦められるのですが、読めません。
本は図書館かブックオフ専門で、今は15歳くらいの少年少女の成長物語など、癒し系の本を読んでいます。
ばーば様の文章が、まるで文学書のように
読み応えがあり、惹きつけられます。
わたくしは、吉川英治著「新平家物語」を全12巻
病院で入院中に、読みました。
音楽と同様、時代や政治的背景はバラバラで
滑稽かも判りませんが、モーパッサンや、
エミール・ゾラなど海外物が大好きでした。
時代物はあまり読みませんでしたが、新平家物語の
おかげで、今さまざまな出来事にも理解できること
があるのだと、感謝しております。
でも皆さますごいですね。
わたくしも、また、読書を読み直したくなりました。
私も春さんと同じく、どうしてなのか いまでもわかりません。
「若きウェルテルの悩み」等という答えを期待していたのでしょうか?
「宮本武蔵」映画、観ました。 誰の主演か忘れていましたが、タケゾウは中村錦之介だったのですね。 今でも杉の大木(?)に縛り付けられて獣のように咆哮する姿を覚えています。 そして一乗寺下がり松の決闘シーン、二刀を油断無く構え、四方の気配をさぐっている緊迫したシーンも思い出します。 比叡山かは特に記憶していませんが凄まじいシーンが続いたのは、覚えています。 もしビデオかDVDでも有ったらあの頃の映画、観て見たいものです。
父のホノボノした愛情を感じる思い出、結構有ります。
それも父が亡くなってからやっと気が付いたのです。
私の宝物ですね(^^)
恐縮でございま~す。
吉川英治の「新平家物語」私も一番初めの巻を読んだ後に、
直ぐ次の巻読みたくてたまりませんでした。
全ての巻を読み終わったときには、もっと読みたくて残念でした。
これこそ格調高く読み応えのある叙事詩のようでしたね。
新平家、というからには平家だけかと思いきや、あらゆるものが含まれていて、最後には頼朝と義経の新源氏物語かと!
得難い歴史の勉強にもなりました。
私も若い頃は海外物が好きでモーパッサンの「女の一生」はずっしりとした物語だと覚えています。 ゾラは怖くて読めませんでした マリア・シェルで映画にもなりましたよね。
みなさんと本の話で盛り上がれるのは最高です♪
物心ついてからは
家にあった小説を読み漁っていました。
母の戸棚からは
「ジェーン・エア」や「風と共に去りぬ」
「レベッカ」など忘れられません。
父は海外ミステリーが好きなので
今のミステリー好きは
父の影響だろうと思います。
前にYちゃんに
「スカーレットに似てる」
と言った覚えがあります。
ビビアン・リーに似てますよね>Yちゃん
近年読書に更ける事はまったくなくなりました
文学全集にはあまり縁なく今に至っています
一時、萩原葉子の小説にはまりました(暗かったな~)
あとは佐藤愛子だとか田辺聖子、古くは源氏鶏太、吉屋信子、あまり本を読まなかった私は物事を思量深く考えられない、ヤッパリ本をたくさん読むことはいいことだと思います
皆読みましたし、映画も観ました。
スカーレットのマネをして私も思春期の頃はヴィヴィアンリーのように眉をピッと上げてコケテェッシュな表情と作るのに苦労していました(笑) 誰も感心してくれなかったけど、遣ってみたい時期、あるんですよね。
まさかYもそんな練習していました?
でもコケティッシュな笑顔は性格的に作れないような気が・・ じょうだんならできたでしょうけど
お父上のミステリーは、
スチーブン・キングやクーンツじゃないですよね?
それともレイモンド・チャンドラーの長いお別れ?
興味津々!
こちらは昨日は雪になる筈が小雨になり、比較的暖かで渋谷の街を歩くのも楽でしたよ。
でも私はお宅っぽくて、家で過ごすことが割り合い好きなのです。
昔は娯楽は、数少ない本でしたね。
今のように活字が溢れている世の中とは違いましたね。
吉屋信子や源氏鶏太、盛んに読みました。
10代から20代に掛けてだったでしょうか。懐かしいです。
田辺聖子や佐藤愛子も楽しかったです。今ならゲームをやる所が、そんなの無かったから、空想好きで怠け者の私の家での遊びは、本だったというだけかも知れません。その証拠に今ではゲームにも夢中です。あまりブログには書きませんが・・・
本を読んでいても私はうららさんほど思慮深くありませんよ