毎週火曜日に通い出した朗読・ナレーション教室。
1週目のテーマは「自然な声で読む」
教材の文章は 日本のスローフード「納豆」でした。
私にとって興味の持てない文章にしか過ぎず
平板な読みがますます平板になり困りました。
第2週目のテーマは「段落をまとまりで伝える
話す息づかいをつかむ 句読点とポーズ」
教材は女流画家の上村松園の小文「砂書きの老人」
これを2週から4週まで学びます。
やっと少しは文章を楽しめるかと期待しました。
出だしは
”まだ私が八、九歳のころ京都の町々にいろいろな物売りや、
もの乞いがやって来ていたが”
この文の時代背景が分からない。上村松園が「序の舞」を描いた
女流画家なのは知っている程度でした。
それでもやっと人間が出てきて文の内容には、驚きや感動も含まれて
いるので、少しだけ興味が持てました。
説明会には私くらいの年齢の男性が一人来ていましたが
1週目は女性だけの出席。あれっ!申し込まなかったのかな?
2週目には他の曜日のクラスから男性1人が加わりました。
授業は1週目に引き続き、手厳しいものでした。
前もって何度か読んで来ましたが、この時点の読みは
まだ中途半端です。
「間」とか「文章のかたまりを一息でいう」など、
勝手の分からないことを手探りの状態で学んでいました。
1人ずつ読む順番が回ってきます。
男性が先生の鋭い耳に引っ掛かりました。
遠慮なくツケツケと直されて何度も読み直しをさせられています。
連続して畳み込むように「あーしろ、こーしろ」と注意を受けても
なかなか直ぐに良くなるものではありません。
あれ~!と思いながら聴いていました。
「次の週はこの人、絶対この教室には来ない。」と思いました。
熱心さのあまり、早口で畳み込むように注意をすると、
捉えようによってはヒステリックに聞こえてしまいます。
この段階では私も「この先生、ヒステリック?」と思ってましたから。
講師陣の顔触れは、男性がずっと多いようですが
この教室は女性講師。受講者はほとんど女性。
その前で恥を掻かされた格好になります。
女性の受講者も同じなのですが、男性はナイーブですから。
この方はきっと男性講師の教室から来られたのではないかと
思いました。
第3週の男性は別の方で30代か40代。やっぱり男性は1人でした。
先生の説明の後、1人ずつ順番の読みになりました。
2時間の内、3回くらい自分の番が回ってきます。
その男性の声は深くて意味があって素晴らしい声でした。
ただものじゃない、素人の筈はない、とすぐ分かりました。
が、先生の意図する読み方ではなかった!
さて、どうするのかな~と人ごとながら心配していましたが
2回目の時、遂に先生は彼に襲い掛かりました。
「違う!違う!そうじゃなくて。」尖った声が飛びました。
その男性もやんわりと「こういう解釈もある」と疑問を呈していましたが
先生はマッタク受け付ける様子もなく、更に声高に・・・ガミガミ!
この時点では味も素っ気もない読み方の練習のような
気がしてきました。
他の方の読みを注意するのを聞いていて思うのは、
針小棒大にいうことでした。
「助詞のアクセントが違う!そんなんじゃありませんよ!」
私たち受講者には、「ほんの少し」にしか聞こえないけれど
先生は30倍くらいに誇張して皆に聴かせます。
誇張された言い方はとても重ったるくダサく聞こえます。
最初は そこまで大げさに嫌みな言い方しなくても、と思いましたが
回を追っていくごとに、その方が効果的なやり方だと分かってきました。
自分の欠点は、誇張して言われないと身に沁みて分からないのです。
受講する私たちにとっては、それが一番効果的な直し方なのでしょう。
そこまで言われたら、そりゃあ誰だって同じところで恥掻きたくないです。
槍玉に上がった男性は青年座の方で舞台俳優。
アニメの声優もしている方でした。
後で考えました。
彼の味のある声は非常に魅力的。 でもここは基礎コース。
彼の読みは基礎コースの読みではなかった。
上級コースなら通じる読みでも基礎では受け入れられない?
それと、アナウンサー出身の方の朗読と、劇団出身の方の
朗読とは違いが有るのじゃないかと思いました。
私が初めて習ったのは、舞台出身の先生の朗読。
5月7日に八重洲のブックセンターで聞いた久米明の
「トロッコ」という朗読はこれも味があって素晴らしいものでした。
彼は「素晴らしい世界旅行」のナレーションを長くやっていました。
今はもう82歳だそうで、円熟の境地!
人間的な暖かさに溢れ、少年のトキメキや寂しさ、恐怖を
余す所なく伝えてくれました。彼は元々は舞台俳優で劇団出身です。
一方、BSハイビジョンで日曜日の夕方18時45分から10分間
「私の藤沢周平」と題して朗読を交えて、藤沢作品を紹介する番組があります。
その中の「山桜」を初めて聴いたとき、その朗読は長谷川勝彦でした。
淡々と読み進めているように聞こえながら、その語りは主人公や周りの景色や
山桜の素朴な華やかさ、野の匂いが際立って聞こえました。
感動しました!
私もこんな朗読したい、と思いました。
で、私はその時、劇団出身の方と、アナウンサー出身の方の朗読は、
物語の内容に迫る道が少し違うのじゃないかと思いました。
到達する場所は同じでもやり方が違って当然で、一本の道だけしか無い筈はない。
生きてきた背景によって様々な物語が語られればそれは楽しい!
話は違いますが、森繁久弥の朗読で「葉っぱのフレディ」があるそうですよ。
脱線しましたが。
続く・・・
1週目のテーマは「自然な声で読む」
教材の文章は 日本のスローフード「納豆」でした。
私にとって興味の持てない文章にしか過ぎず
平板な読みがますます平板になり困りました。
第2週目のテーマは「段落をまとまりで伝える
話す息づかいをつかむ 句読点とポーズ」
教材は女流画家の上村松園の小文「砂書きの老人」
これを2週から4週まで学びます。
やっと少しは文章を楽しめるかと期待しました。
出だしは
”まだ私が八、九歳のころ京都の町々にいろいろな物売りや、
もの乞いがやって来ていたが”
この文の時代背景が分からない。上村松園が「序の舞」を描いた
女流画家なのは知っている程度でした。
それでもやっと人間が出てきて文の内容には、驚きや感動も含まれて
いるので、少しだけ興味が持てました。
説明会には私くらいの年齢の男性が一人来ていましたが
1週目は女性だけの出席。あれっ!申し込まなかったのかな?
2週目には他の曜日のクラスから男性1人が加わりました。
授業は1週目に引き続き、手厳しいものでした。
前もって何度か読んで来ましたが、この時点の読みは
まだ中途半端です。
「間」とか「文章のかたまりを一息でいう」など、
勝手の分からないことを手探りの状態で学んでいました。
1人ずつ読む順番が回ってきます。
男性が先生の鋭い耳に引っ掛かりました。
遠慮なくツケツケと直されて何度も読み直しをさせられています。
連続して畳み込むように「あーしろ、こーしろ」と注意を受けても
なかなか直ぐに良くなるものではありません。
あれ~!と思いながら聴いていました。
「次の週はこの人、絶対この教室には来ない。」と思いました。
熱心さのあまり、早口で畳み込むように注意をすると、
捉えようによってはヒステリックに聞こえてしまいます。
この段階では私も「この先生、ヒステリック?」と思ってましたから。
講師陣の顔触れは、男性がずっと多いようですが
この教室は女性講師。受講者はほとんど女性。
その前で恥を掻かされた格好になります。
女性の受講者も同じなのですが、男性はナイーブですから。
この方はきっと男性講師の教室から来られたのではないかと
思いました。
第3週の男性は別の方で30代か40代。やっぱり男性は1人でした。
先生の説明の後、1人ずつ順番の読みになりました。
2時間の内、3回くらい自分の番が回ってきます。
その男性の声は深くて意味があって素晴らしい声でした。
ただものじゃない、素人の筈はない、とすぐ分かりました。
が、先生の意図する読み方ではなかった!
さて、どうするのかな~と人ごとながら心配していましたが
2回目の時、遂に先生は彼に襲い掛かりました。
「違う!違う!そうじゃなくて。」尖った声が飛びました。
その男性もやんわりと「こういう解釈もある」と疑問を呈していましたが
先生はマッタク受け付ける様子もなく、更に声高に・・・ガミガミ!
この時点では味も素っ気もない読み方の練習のような
気がしてきました。
他の方の読みを注意するのを聞いていて思うのは、
針小棒大にいうことでした。
「助詞のアクセントが違う!そんなんじゃありませんよ!」
私たち受講者には、「ほんの少し」にしか聞こえないけれど
先生は30倍くらいに誇張して皆に聴かせます。
誇張された言い方はとても重ったるくダサく聞こえます。
最初は そこまで大げさに嫌みな言い方しなくても、と思いましたが
回を追っていくごとに、その方が効果的なやり方だと分かってきました。
自分の欠点は、誇張して言われないと身に沁みて分からないのです。
受講する私たちにとっては、それが一番効果的な直し方なのでしょう。
そこまで言われたら、そりゃあ誰だって同じところで恥掻きたくないです。
槍玉に上がった男性は青年座の方で舞台俳優。
アニメの声優もしている方でした。
後で考えました。
彼の味のある声は非常に魅力的。 でもここは基礎コース。
彼の読みは基礎コースの読みではなかった。
上級コースなら通じる読みでも基礎では受け入れられない?
それと、アナウンサー出身の方の朗読と、劇団出身の方の
朗読とは違いが有るのじゃないかと思いました。
私が初めて習ったのは、舞台出身の先生の朗読。
5月7日に八重洲のブックセンターで聞いた久米明の
「トロッコ」という朗読はこれも味があって素晴らしいものでした。
彼は「素晴らしい世界旅行」のナレーションを長くやっていました。
今はもう82歳だそうで、円熟の境地!
人間的な暖かさに溢れ、少年のトキメキや寂しさ、恐怖を
余す所なく伝えてくれました。彼は元々は舞台俳優で劇団出身です。
一方、BSハイビジョンで日曜日の夕方18時45分から10分間
「私の藤沢周平」と題して朗読を交えて、藤沢作品を紹介する番組があります。
その中の「山桜」を初めて聴いたとき、その朗読は長谷川勝彦でした。
淡々と読み進めているように聞こえながら、その語りは主人公や周りの景色や
山桜の素朴な華やかさ、野の匂いが際立って聞こえました。
感動しました!
私もこんな朗読したい、と思いました。
で、私はその時、劇団出身の方と、アナウンサー出身の方の朗読は、
物語の内容に迫る道が少し違うのじゃないかと思いました。
到達する場所は同じでもやり方が違って当然で、一本の道だけしか無い筈はない。
生きてきた背景によって様々な物語が語られればそれは楽しい!
話は違いますが、森繁久弥の朗読で「葉っぱのフレディ」があるそうですよ。
脱線しましたが。
続く・・・
朗読って奥が深いのですね
いろいろなご趣味の方とお話しましたが
思えば朗読の方は、ばーば様が初めてです
でもこんなに厳しい先生に、よくぞお稽古が
皆様続くものですね
何だか、わたくしも身を引き締めて
頑張らなくちゃ!とつくづく思いました
それにしても、よくこんな愚痴の長文を読んでくださいました!ありがとうございます。
あまり厳しいと憂鬱になりますが、優しくされるのも嬉しいけれど、人間て「打たれるのも好き」という不思議な部分も有りますよね。
細木数子さんがテレビで猛威を振るっているのも、その部分を突いた企画ではないかなと思います。
生け花も極めれば極めるほど奥の深いお仕事でしょうね。
私も がんばらなきゃ♪
最近は俳優がナレーターをしているテレビ番組がたくさんありますが、魅力のある声で語られると自然に引き込まれて、さすがプロだと思います。
昔、ラジオしかなかった頃は、耳で聞くだけでも十分背景が想像できて、感情移入させられていました。
小学校の通信簿にも、話す、聞くという評価欄がありますが、テレビばかり見ている子どもは、話すことも聞くことも下手になりそうです。
今までは鞭ばかりだったけど!
私の声低いんです。
いつも「低く出るな、高く出ろ!」と叱られてばかりですが、
その低い声を今日は「いい声だ」と褒められました!
ビックリ~!
が・・・基礎の上にまだまだ3段階も有るのです。
テレビのドキュメントや物語りでのナレーターさん、俳優でも劇団出身者が多いですね。
ナレーターの存在って大きいですね!色々な想像力を
刺激されて、脳をどんどん働かせますから。
そういえば小学校の通信簿、「聞く」という評価欄ありましたっけ? 国語の聞く、と先生の話を聞く。
今は「聞く」の欄があったらどのような評価が書き込まれてくるのでしょう?