ばーばの独り言

愛する娘へ。孫と過ごす喜びと身辺の出来事

☆ 昔の写真 家族

2006-06-15 01:42:28 | 孫・家族
 

 写真を整理していたら昔の写真がたくさん出て来ました。
大正14年から始まり、私の生まれた直後の昭和の15年頃の
写真までをご紹介します。

古い写真を、その上から撮ったので、
綺麗では有りませんがお許しください。

この写真の台紙の裏には

「大正14年1月6日 育ててくれた母と。」
下谷区中根岸93番地

と書いて有りました。
今の上野駅近くだと思います。
私にとっては義理の祖母です。

生みの母は小さい頃に亡くなったそうです。
大正2年生まれの母は当時12歳ということになります。

裁縫学校時代の母 (左から2番目)




掛け軸の絵を覗き込む母方の祖父
職業は経師屋



新婚(?)の父母




母の肖像



雛祭り(本所にて)
左から父方の祖父、父に抱かれている生後5ヶ月の私、母




昭和15年頃の乳母車(本所にて)




私の入浴写真




つくづく、時代の変遷を感じさせる写真です。
このころ大東亜戦争から太平洋戦争に突入し、
第2次世界大戦と呼ばれる悲惨な戦争に
拡大して行ったのです。

でもまだこのとき内地では、戦争前夜の静かな時間を
過ごしていたようです。










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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
皆様 (Unknown)
2006-06-15 08:59:57
いかにも江戸っ子!という

粋な雰囲気が漂うお写真ですね。

セピア色の写真もいいですね。
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大切 (春堤)
2006-06-15 16:18:58
こんなに 写真を 大切にとってあるなんて・・・

実家の写真はどうなっているのか? 心配です。

どこにも ないかも・・・。

曾おじいちゃん・おばあちゃんは 見たこともありません。

祖父母の 若かった頃も 見たことありません。

両親の 子供の頃の写真も・・・。

あるのかな~。 見てみたいな~。

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母方の祖父は (kk)
2006-06-15 21:08:21
江戸っ子なので、母は江戸っ子の長所も欠点も

見事なくらい持っていました。

父方の祖父は四国の善通寺市なので、「父の俳句」にも有るとおり、農家だったようです。



父が、亡くなった自分の父を偲んで歌った俳句を改めて紹介します。



一握の 新米に祖を かへりみる



太陽に 麦踏めば父 よみかへり



陽に抱かれ 麦踏む幸を 誰に告げむ

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春堤さんへ (kk)
2006-06-15 21:17:18
きっと春堤さんのご実家にも、探せば沢山

見付かると思いますよ~。

必要にならなければ見えないものなんですよ。

こういう写真って。

見たくなったらいつでも見れますって!



私もこの歳になったからこそ、大事に次の世代に

引き継ぎたいと思うようになったのです。

だから大丈夫です。

新しい思い出を作り続けてくださいな。





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親ー子。 (さらさ)
2006-06-15 23:08:45
素晴らしい写真の数々

ありがとうございます!



着物といい、結髪といい

日本の古き良き時代を見せていただき感激です♪



それから、お父様が詠まれた、歌。



ご自分のお父様と、農の営みを誇らしく思う気持ちが

ひしひしと伝わってきます。



幸せな親子関係が、感じられます。



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さらささんへ 父の俳句を  (kk)
2006-06-16 00:53:02
あの俳句を父が亡くなってから13年後に読んだ時、

思わず目頭が熱くなりました。

亡くなった父を恋しがる日も、陽差しの中で麦を

踏んでいた少年時代を懐かしむ日も有ったのだと。



他にももう一句、ご紹介させて下さいね。

父の母は若くして亡くなったそうです。

「美しい人だった」と聞いたことがあります。



幻の 母の瞳に泣き 衣更え 



大人になった男の人でも、自分の母を恋うて、胸が

いっぱいになる日もあるのかと父を思ってこちらも

胸が一杯になりました。
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お写真 (Unknown)
2006-06-16 12:49:40
拝見すると

kkさんも美人でいらっしゃるし

娘さんも美しい方ですね。

やはり遺伝なのでしょうか。

羨ましいかぎりです。
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赤面で~す (kk)
2006-06-16 15:30:54
顔はその日の体調や気分によっても

変わるので・・・

過分なお言葉、お恥ずかしい限りです(^^;



プロフィールの写真は色つきの遠近両用の

大きなメガネを掛けて変装している

つもりなのですが。

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