ばーばの独り言

愛する娘へ。孫と過ごす喜びと身辺の出来事

☆ 下北沢駅前にて

2006-03-04 20:11:02 | よもやま話
中学校の三期幹事会を中野の山水苑でひらいた帰りに(自分達の慰労会、自腹)、
下北沢で途中下車してみました。
この街の福原病院で足の付け根部分骨折後のリハビリをした母を思い出し、
下北沢在住の同期生に付き合ってもらい、訪ずれてみようと思ったのです。
(実は中学校卒業以来始めて会った人。違うクラスの男性)。

南口の階段を降りると駅前から小さい間口の商店街が枝分かれしていて、
何本もの道に広がっています。

夕方の気忙しい雰囲気があります。
人混みの中を通り過ぎようとしたら、メイドカフェのような格好をした二人の女性が、
ヒョウキンな踊りを踊っていました。連れもすかさず後ろに入ってパチリ。
この辺りは小劇場がたくさん有るから、宣伝の為なのでしょうか。

夕方の雑踏の中を歩くと、今は亡き母の車椅子を押して通った道や店。
思い出が胸に込み上げて来ます。
気さくに案内を引き受けてくれた連れは、
「下北沢のこちら側は若者の街、線路の向こう側は大人の街だ」と言います。 

母を病院から車椅子のまま連れ出して、退屈を紛らわせる為にアチコチ散歩しました。
小さいブティック。雑貨店の多いこと。車椅子を押して入ったレストラン。
喫茶店。ケーキ屋さん。果物屋さん。
「そういえば、ローソンもあったよね。あそこで自分用のお弁当を買って、病院で母と一緒に食べたのよ。」
「ローソンは、アッチにあるよ。」

福原病院は暮れてしまった夜の中に、静かに佇んでいました。
娘も息子達家族も私の兄弟もみんなで見舞いに来ていましたっけ。
3ヶ月間入院しましたが、前日の記憶を失ってしまう母には、リハビリは通用しませんでした。 
リハビリが有効なのは、昨日の事を覚えていられる人なのだそうです。
覚えていなければ、毎日「一からやり直し」で積み上げることが出来ないのでそうです。
その為母は歩くことが出来なくなり、生涯病院から離れられなくなりました。

あれもこれも思い出して
近かったからみんなが頻繁に見舞いに訪れる事が出来ました。
ここを退院して、片道2時間から3時間近くもかかる老人病院に転院してからは、足が遠くなり1ヶ月に3~4回から、ついに2回と少なくなって行きました。
今更悔やんでも仕方ないけど・・・

一回り下北沢を案内されて喉が渇いたので、歴史のあるレトロなジャズ喫茶「まさこ」で、ジャズをバックグラウンドミュージックに聴きながら、グレープフルーツジュースをご馳走になりました。有名人も此方にみえるとか。どうも話しの様子だとジャズ喫茶に詳しい人なので、ジャズに暗い私は恐縮。


その時いろいろ話したのですが、意外なことに共通点が見付かりました。
昔、私が今住んでいる家の近くで暮らしていたこと。
その時通ったイタリアンレストランがウチの傍。それも直ぐ出たところの店。
歯医者が同じ! 

「あの階段を登って行った所の? あの歯医者さん職人っていう感じよね。
今でも足踏みミシンのようにバタバタ踏みながら治療するのよ。
設備投資にお金かけてない分安いし信用できるのよね。」

何て言いましたっけ? あのキーンと金属性の鋭い音をだして歯をけずる道具。

「今でも? 最近オレの通っている歯医者はレーザーだよ。」ですと。
随分な違い! でも私は足踏みミシン式治療道具が気に入っているのです。

そして又駅まで送ってもらい帰宅。 ありがとうございました。

思い出すと そこには母が います。
下北沢の街の中には、あの頃の母と私がタイムスリップしたように、まだ生きて
車椅子を押して歩いているのです・・・









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