最近、嗅覚障害に悩まされています。
私の生活から匂いが失われてしまったのです。
腐った臭いも、芳しい花の匂いも、
美味しそうな香ばしいにおいも、無くなりました。
危険を知らせるキナ臭いにおいも。
初めての出来事ではありません。
娘が10年間付き合っていた人と結婚したのが3年8ヶ月前。
その人と離婚したのが翌年の11月。
その一ヵ月後の12月10日、母が90歳で亡くなりました。
例え老衰でも私にとって母は母。
離婚による引越しの手伝いで引いた風邪が、
翌年の2月になっても治らない、
鼻詰まりが何時までも続く、と思ったら
何の臭いも感知しなくなっていました。
娘もその後大変でしたが、知らぬ間に私にも
強いストレスが掛かっていたようで、
免疫力の低下としか言いようがない出来事でした。
内科に通っていたけれど、治らないので
耳鼻咽喉科に行ったら、何度か薬を試した後で
「ケテック錠」をいただきました。
服用始めてから3日目の朝は日曜日。
一人暮らしを始めた娘の部屋で迎えました。
布団の中でノンビリ目覚めると、馥郁たる春の香り!
ぴったり閉まった窓の隙間からでも、
春の香りがやって来たのです。
やっと嗅覚障害が治り始めました。
お昼ごろから多摩川べりを二人で散歩して
桜の花を探しました。
春はアチコチに来ていました。
なが~い冬篭りだった私達にも
やっとその日から春が遣って来たのです。
ちょっと寂しげだったけど、
それでも清々しかった娘。
夕方にはリュックの中に単行本を8冊入れて
「図書館まで付き合ってね。」と言われ
二人で出掛けました。
8冊返して、又新たに8冊借りて来て。
コンビニに寄ったり、又本屋さんに寄ったり。
夜の灯りがともりだすと、バーミヤンに入り
二人用のセット3150円也を頼んで食べたり。
そして娘の去った近頃は、
じわじわと嗅覚障害が又始まり、
気が付いた時には無臭の中にいました。
それに味覚障害が加わり始めました。
甘いか辛いか大雑把な味しか分らない。
娘のことで辛い話が続いたりすると
突然、頭の血管がドクドク流れて
頭が割れそうになる。
医者に行かなければと思いつつ・・・
でも、普段は前よりは耐えやすくなっている筈。
クーくんが来ている時は、
いつもと余り変わらぬ(つもりの)私だったし。
デパートの食品売り場を
涙を流しながら歩く事も少なくなったし。
モチロン、父親にも弟にも
身体症状は出ているのです。
深すぎる悲しみは、身体を痛めつけることで
逃げ場をさがしているんでしょうか?
ばーばさん。
娘さんのこと、誰かにちゃんと聞いてもらえてますか?話したいこと、言ってしまいたいこと
聞いてもらいたいこと、受け止めてくれる人、誰かそばにいますか?
胸のうちを出してしまうことで、少しは
慰めになるんじゃないかと・・・。
差し出がましいこと言ってごめんなさい。
こんなことで、ばーばさんの気持ちに寄り添うことなんてできないだろうけど、
ばーばさんの悲しみは痛いほどわかります。
どうか、お薬を頼りにしてでも、においの世界を
もどしてくださいね。
味覚は・・。口腔外科?でしょうか?
おだいじにしてください。
あの日からもう一ヶ月。今日は月命日になります。
今朝方は風音さんが、娘の為に愛情とたくさんの優しさで心の輪を作り、友人や私たちと祈りを分かち合おうと呼びかけてくれました。
だから、祈りは孤独じゃなくてみんなの若い心と一つになることが出来てとても温かかったです。
少しでも娘を感じていたくて、普段着ていたセーターを抱しめましたが、嗅覚障害の悲しさで匂いは感じる事が出来ませんでした。
本気で早く直さなくちゃ、と焦りました。
日常はだいじょうぶ。
ツレアイが夜は大体居ますから。
ただ娘の話をするのは苦しいらしく嫌がります。
クーくんのママが子供を亡くした先輩なので
(とても悲しいことなのですが)アドバイスしたり、
私を守ってくれています。
友だちも電話で時々話をしたり。
ブログでも、随分助けられています。
不思議にブログに向かっている時は頭痛はしないのです。
やさしい言葉や雰囲気のブログを訪れたり、記事を書いたり・・・
その時は比較的しゃんとしています。
心配してくれる心を感じるだけで、やさしさに包まれます。ありがとう。
今日は遅めに起きてから、クーくんのママの運転で
斎場へ最期の支払いに行き、位牌も注文して先ほど
帰宅しました。
お返事遅くなってごめんなさい。
応えるのが難しい話にコメントいただいてありがとうございます。
まだいろいろと有るでしょうが、なんとか乗り越えて行くつもりです。
いらっしゃるご様子で、安心しました。
疲れがたまらない様、
ゆっくりしてくださいね。
周りは優しくしてくれますが、やはり寂しさは
果てしがありません。
だいじょうぶ、なんて嘘八百。
いつか埋められる時がくるのでしょうか?
と今夜は弱気になる私です。
他の方のコメントに、kkさんは気丈に返事を書かれていますが...無理に頑張らなくていい。忘れようと努力しなくていい。出来もしない努力はみ~んなストレスになってしまう。
小生の経験から言うと味覚、聴覚、臭覚はストレスからおこる事がある。現役時代、逃れられないある嫌な事が続き、「馬鹿食い」や「深酒」で気を紛らわした......が、効果なし。その結果、肥満、高血圧、耳鳴り、難聴、目まいなどの症状が出始め、そして不眠。参った。
会社の同僚(相手の不幸を良しとする連中ばかり)、ボスの外国人等は悩みを打ち明ける相手ではない。
ストレスのはけ口が無かった。
待ちに待った定年60歳で退職。ボスからはもう数年会社に残るように云われたが、「真っ平ご免」とばかり、キッパリ60歳で年金生活に入る。退職後翻訳の仕事の誘いを受けたがこれも辞退。退職後数ヶ月は毎日、10時間以上寝ただろうか。熟睡。夜中に一度も起きなかった。運動が功を奏したのだろうが、耳鳴りは止み、体調も良くなった。
好きなこと以外は何もしない。身体の脂肪は8キロも取れたが、血管壁のコレステロールは取れなかった。代償は「狭心症」。「難聴」は今も続いている。医者は「年です」と事も無げに言う。ストレスが再備蓄される。
kkさんは「不思議にブログに向かっている時は頭痛はしない」といわれた。それで良いと思う。「いやな事を、辛いことを忘れようと努力する」。そんな出来もしない努力をするより、何か好きなことに「夢中で打ち込む」が良いのでは。
そして、心の中にしまい込まないこと。むしゃくしゃしたらブログに悩みを思いっきりぶつけたり、我慢せず、泣きたい時は声を出して、思いっきり派手に。また、気の置けない人に愚痴をこぼして悩みを思いっきり聞いてもらう事も。
それでも、辛い、悲しい、苦しい....困ったな~。そうですね~、禅寺で泊り込みで座禅を組み、仏様の供養など環境を変えてみるのも一法かと。後は時間が悩みを和らげてくれるのでは....。但し、「暴飲・暴食」は何の効果もありません。実証済み。
小生は最近新たなノイローゼに悩まされている。狭心症で死ぬ思いをしてから「70歳まで生きられないのでは..後3年少々しかない」の不安。もう一人の自分は「70歳までまだ3年少々もあるじゃ~ないか」。
物事全て自然の赴くままにと楽天的に考えれば良いのだが。慰めようと書き出したら、愚痴になってしまった。
ごめん!
その時はメールしますので、ヨロシクお願い致します。
最近の私の憧れは、お遍路さんの旅に出ること、と
昔に旅した比叡山を歩きたいこと。
むかし延暦寺近くをを歩いていたら、墨染めの衣を着た修行僧が清潔な佇まいで行き来しておりました。
あの深い杉林の中を歩きたい。
49日が過ぎたら娘を連れて・・・
それが望みです。
力づけていただいてありがとうございます。
励ましの言葉しっかり受け止めています。
嬉しいです。
息子が「80歳まで生きたとして、おやじ10年は寿命が縮まったな。」
と言いました。
「そしたら、今68歳だからあと2年しか生きないってことになるじゃない。それじゃ困るよ~」
と言う会話がありました。
同じような感じでしょうか?
でも私の父は60歳で狭心症を発してから度々死ぬような発作に教われましたが、90歳まで生きて心筋梗塞から心不全を起こし亡くなりました。
亡くなる2ヶ月前まで発作を起こしても、それ以外はピンピンしていましたよ。
あまり心配しないで下さいね。
それが又ストレスになるから。
父は一病息災だったと思っています。
訂正させてください。
Yさんはお母様の書く文章を読んで、その表現力の素晴らしさにとても驚いた、と言っていました。
私は彼女のことを忘れません。
こんなに広い世の中で、こんなに素晴らしい彼女に出会たこと。
感謝の気持ちでいっぱいです。
このようなコメントを残すことで、お母様のお心を傷付けてしまうのではないかと思ったのですが、どうしても感謝の気持ちを伝えたく投稿させていただきました。
お母様、どうかお体お大事になさってください。
コメントしていただいて嬉しいです。
娘と良く喧嘩もしたけど、仲もよかったのに。
もう、生身の彼女に逢えないのは辛いですが、
それまで精一杯生きたくれたことに感謝しています。
そしてそんな素晴らしい言葉頂けて、親として
有りがたく思います。
時々は娘の事、思い出してやってください。
きっと喜ぶでしょう。
お願い致します。