森山良子のコンサート「ロマンティックな衝動」に友人と行ってきました。
会場は幸いにも我が家から歩いて数分のところ。
近くでは、他にも知り合いが誰かと待ち合わせしていたので
小さく手を振って挨拶。きっと探せばもっと知り合いがいるのでしょう。
開場10分前、
4列縦隊が2本出来上がり、もの凄く長い列になっていました。
私とTちゃんはどうせ全席指定なのだから後で入っても良いよね、
とノンビリしていたので、コンサート会場に入る人たちを見物していましたが、
次から次へと列は絶えず、延々と続くので いつ入場できるのか?
と不安になったほどでした。
一段落してから入場すると、やっぱり満席!
この周辺の年配の女性すべてがこの会場に集結した気配(ちょっと大げさか?)
さすが周囲は華やいだ雰囲気でした。
席に着くと、入場の案内のアナウンスが聴こえてきました。
本日はご来場くださいましてありがとうございます、とか、
着席の案内とか、携帯の電源ををお切りくださいとか? 内容は
アバウトにしか覚えてないのですが、その声は森山良子自身!!
ご本人のお茶目な温かい声での案内にびっくり! 良い感じです。
「この広い野原いっぱい」「30年を2時間半で・・」など良い歌は
沢山ありましたが、私は「さとうきび畑」に一番感動し、涙が溢れて
ティッシュを山のように使いました。
一緒に行ったTちゃんは ”ご夫婦のうた”(題名ではありません)で
涙を流していました。 後から思い出した歌の題名は「家族写真」でした。
彼女は昨年、ご主人を亡くしたばかりなのです。
あの歌も、この歌もみんな良かったけれど、今回印象に残ったもう一曲、
「あれあれあれ」
これは新曲だそうです。
森山良子さんはあるコンサートの帰りに、村上ゆきさんとご一緒に、
食事に行かれたそうです。
その食事の席で森山良子さんが話す時、名詞が出て来ず「あれあれあれ」とか
「それそれそれ」の代名詞が、会話の中に余りにも多いので、村上ゆきさんが
「良子ちゃん、この次、それを歌にしようか。」と言う事になり
「あれあれあれ」の曲が出来上がったそうです。
舞台中駆け回ってのコミックな演技と歌に、聴いている私たちは
クックックック と肩を揺すって共感のクスクス笑い。
あれあれあれ、と言って走っていった先で あれ が何か思い出せない、
次に別の場所に行っても、なんでそこに居るのか忘れてしまう。
あれあれ、と思いついて、また次に行っても忘却
歌を聴くだけでなく、生で観た方が何倍も楽しいです。
実は悲劇的な面もあるのを開き直って喜劇にすれば、それは陰に篭らず、
前向きになれそうな気がします。
日ごろ、あれあれそれそれ?に内心大きなコンプレックスを持っている熟年者が
かなり救われた時間でも有りました。
森山良子ってそんな年齢? と頭の片側では?でしたが
パンフレットには昭和48年とありましたので61歳!
お孫さんも出来たそうでお祖母ちゃんを楽しんでいる様子です。
コンサートも終わって会場を出たら9時近く。
友人が「昔と変わらず良い声だったね~。」と感激していました。
森山良子のコンサートの良さを上手に表現できません。
それで、コンサートで渡されたパンフレットから
森山良子さんのメッセージを一部転載させていただくことにします。
転載始めます。
「歌い続けてくれてありがとう」
人生には、どんな人にも等しく、苦しみと喜びがあります。 普段はそれ
らを心の底に押し込めて暮らす人々に、歌がある瞬間フッと取り付き、 感
情を湧き上がらせる。 私は人との営みと歌の力をそんなふうに感じてきまし
た。
長年歌ってきた「さとうきび畑」はそうした力をとりわけ持っている
歌です。
今から40年前、私はこの歌と出合いました。 静かで美しいメロディーに
載せる歌詞は、言葉に尽くせない戦争の苦しみを味わった沖縄の人々のこ
とを描いています。
21歳の時から、この歌を歌うことになりましたが、あまりのテーマの重
さと深さに圧倒され続けてきました。 ステージで歌えなくなったり、自信
を失い、歌うことすら封印したり。 この歌をめぐる葛藤は私の歌手人生の
中で最も重く、長い時間を要したのです。
2001年に、私は沖縄でこの歌を歌う機会を得ました。
沖縄の人間でもなく、戦争も体験していない私などが歌っていいのだろ
うか、はたして歌えるのだろうかと、再び自問自答を繰り返しました。 そ
して迎えたステージ。 暗闇の客席に、同世代の人々が涙を溜めて聴いてく
ださる姿を見つけました。 終演後、「良子ちゃん、『さとうきび畑』を歌い
続けてくれてありがとうね」と言ってくれた沖縄のファンの方。 その涙と
笑顔に、この歌との長く深い葛藤が氷解したように感じました。 それは私
自身がこの歌に救われ、癒された瞬間でもありました。
聴き手に芽生えた感情や言葉が私に還ってきた。 それが私の中で歌の意
味を鮮明にし、癒しさえもたらしてくれたことは、私にとっては宝物のよう
な体験となりました。 そして、改めて歌の力を知ったのです。
 ̄  ̄  ̄  ̄  ̄
以上転載終わります。
段落はそのままです。
この下の「忙しい一日」には、森山良子さんや谷村さんの2007年に行われた
チャリティーコンサートの様子も、後の方に書いてあります。
↓
☆ 忙しい一日
会場は幸いにも我が家から歩いて数分のところ。
近くでは、他にも知り合いが誰かと待ち合わせしていたので
小さく手を振って挨拶。きっと探せばもっと知り合いがいるのでしょう。
開場10分前、
4列縦隊が2本出来上がり、もの凄く長い列になっていました。
私とTちゃんはどうせ全席指定なのだから後で入っても良いよね、
とノンビリしていたので、コンサート会場に入る人たちを見物していましたが、
次から次へと列は絶えず、延々と続くので いつ入場できるのか?
と不安になったほどでした。
一段落してから入場すると、やっぱり満席!
この周辺の年配の女性すべてがこの会場に集結した気配(ちょっと大げさか?)
さすが周囲は華やいだ雰囲気でした。
席に着くと、入場の案内のアナウンスが聴こえてきました。
本日はご来場くださいましてありがとうございます、とか、
着席の案内とか、携帯の電源ををお切りくださいとか? 内容は
アバウトにしか覚えてないのですが、その声は森山良子自身!!
ご本人のお茶目な温かい声での案内にびっくり! 良い感じです。
「この広い野原いっぱい」「30年を2時間半で・・」など良い歌は
沢山ありましたが、私は「さとうきび畑」に一番感動し、涙が溢れて
ティッシュを山のように使いました。
一緒に行ったTちゃんは ”ご夫婦のうた”(題名ではありません)で
涙を流していました。 後から思い出した歌の題名は「家族写真」でした。
彼女は昨年、ご主人を亡くしたばかりなのです。
あの歌も、この歌もみんな良かったけれど、今回印象に残ったもう一曲、
「あれあれあれ」
これは新曲だそうです。
森山良子さんはあるコンサートの帰りに、村上ゆきさんとご一緒に、
食事に行かれたそうです。
その食事の席で森山良子さんが話す時、名詞が出て来ず「あれあれあれ」とか
「それそれそれ」の代名詞が、会話の中に余りにも多いので、村上ゆきさんが
「良子ちゃん、この次、それを歌にしようか。」と言う事になり
「あれあれあれ」の曲が出来上がったそうです。
舞台中駆け回ってのコミックな演技と歌に、聴いている私たちは
クックックック と肩を揺すって共感のクスクス笑い。
あれあれあれ、と言って走っていった先で あれ が何か思い出せない、
次に別の場所に行っても、なんでそこに居るのか忘れてしまう。
あれあれ、と思いついて、また次に行っても忘却
歌を聴くだけでなく、生で観た方が何倍も楽しいです。
実は悲劇的な面もあるのを開き直って喜劇にすれば、それは陰に篭らず、
前向きになれそうな気がします。
日ごろ、あれあれそれそれ?に内心大きなコンプレックスを持っている熟年者が
かなり救われた時間でも有りました。
森山良子ってそんな年齢? と頭の片側では?でしたが
パンフレットには昭和48年とありましたので61歳!
お孫さんも出来たそうでお祖母ちゃんを楽しんでいる様子です。
コンサートも終わって会場を出たら9時近く。
友人が「昔と変わらず良い声だったね~。」と感激していました。
森山良子のコンサートの良さを上手に表現できません。
それで、コンサートで渡されたパンフレットから
森山良子さんのメッセージを一部転載させていただくことにします。
転載始めます。
「歌い続けてくれてありがとう」
人生には、どんな人にも等しく、苦しみと喜びがあります。 普段はそれ
らを心の底に押し込めて暮らす人々に、歌がある瞬間フッと取り付き、 感
情を湧き上がらせる。 私は人との営みと歌の力をそんなふうに感じてきまし
た。
長年歌ってきた「さとうきび畑」はそうした力をとりわけ持っている
歌です。
今から40年前、私はこの歌と出合いました。 静かで美しいメロディーに
載せる歌詞は、言葉に尽くせない戦争の苦しみを味わった沖縄の人々のこ
とを描いています。
21歳の時から、この歌を歌うことになりましたが、あまりのテーマの重
さと深さに圧倒され続けてきました。 ステージで歌えなくなったり、自信
を失い、歌うことすら封印したり。 この歌をめぐる葛藤は私の歌手人生の
中で最も重く、長い時間を要したのです。
2001年に、私は沖縄でこの歌を歌う機会を得ました。
沖縄の人間でもなく、戦争も体験していない私などが歌っていいのだろ
うか、はたして歌えるのだろうかと、再び自問自答を繰り返しました。 そ
して迎えたステージ。 暗闇の客席に、同世代の人々が涙を溜めて聴いてく
ださる姿を見つけました。 終演後、「良子ちゃん、『さとうきび畑』を歌い
続けてくれてありがとうね」と言ってくれた沖縄のファンの方。 その涙と
笑顔に、この歌との長く深い葛藤が氷解したように感じました。 それは私
自身がこの歌に救われ、癒された瞬間でもありました。
聴き手に芽生えた感情や言葉が私に還ってきた。 それが私の中で歌の意
味を鮮明にし、癒しさえもたらしてくれたことは、私にとっては宝物のよう
な体験となりました。 そして、改めて歌の力を知ったのです。
 ̄  ̄  ̄  ̄  ̄
以上転載終わります。
段落はそのままです。
この下の「忙しい一日」には、森山良子さんや谷村さんの2007年に行われた
チャリティーコンサートの様子も、後の方に書いてあります。
↓
☆ 忙しい一日
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