関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

オーストリア・ドイツで再生可能エネルギー学習

2012年11月17日 | 日記
25日には大塚で原発賠償シンポジウムに出席
26日は、あの東電本社での交渉に臨んだ。午後からは経済産業省へ
その後、準備していたスーツケースを転がして成田エキスプレスに乗車
成田のホテルに宿泊。明日からオーストリアだ。
〈写真↓成田空港〉


10月27日から11月5日まで、オーストラリアとドイツの再生可能エネルギー事情視察に参加した。
10月27日(土) 成田出発⇒ウィーンへ(現地は同日の16:00着)約12時間の飛行機は、何といっても禁煙とのたたかいであった。
10月28日(日) 現地27日 この日はウィーン泊。垣間見た市街は、見事としか言い様がない。説明できない。翌日には、映画「第三の男」に出てくる大観覧車を見に行くことができた。
〈写真↓ウィーンの街並〉




〈写真↓大観覧車〉ゴンドラが大きい!


オーストリア帝国、古くは神聖ローマ時代から東西文化と公益の接点であったようで、富の集積が甚だしかったことが、ハプスブルグ家というヨーロッパの各王国の本家のような威勢を可能にしたのだろうか。映画「会議は踊る」に出てくる王宮の広間も見てきた。

10月30日(火) 現地29日 前日の夜からウィーンの南方にあるギュシングという町に移動。そこのペレット発電や液化ガス施設を視察した。各戸への温水供給も含め地域エネルギーの150%を再生可能エネルギーの自家開発でまかなっているのである。
〈写真↓ギュシングの木質ペレット発電、ガス抽出プラント〉

〈写真↓ギュシング古城〉


翌日10月31日(水)現地30日は、ザルツブルグへ移動した。モーツァルトの生まれた街で、音楽の都というそうだ。なるほど古い。ここでは、周辺の企業を訪問し「スマートグリッド」なるシステムの開発の様子を見てきた。
〈写真↓ザルツブルグの街)


11月2日(金)現地11/1日は、ミュンヘンへ移動。2年前にも行ったホフブロイハウス(ビヤホール)でうまいビールを飲んだ。
〈写真↓東京・お台場で催されたオクトーバーフェスタ〉


〈写真↓ドイツの農村〉農家の屋根にはほぼソーラー設備が設置されていた


ミュンヘンでは、バイエルン州環境省でレクチャーを受けた。
〈写真↓ミュンヘンの大聖堂・ステンドグラス〉


その後、アウグスブルグに移動。地域の発電施設見学。
〈写真↓アウグスブルグの街並〉


11月4日(日)現地3日には、フライブルグへ移動し、近くのフライアムト村で農家でのエネルギー自給状況、住民が管理する大規模な風力発電施設を視察した。ここでは、反原発の闘士といわれる人の講演を聞くこともできた。
〈写真↓フライアムトの農村風景〉山の上に風力発電施設

〈写真↓高さ130メーターの最新式風力発電所)


11月5日(月)現地4日には、チューリッヒへ移動し、ウィーン経由で ドイツから帰国した。またしても12時間近い禁煙とのたたかい。
〈写真↓チューリッヒ空港の喫煙所)そこには椅子があった。・・日本とは違う


〈写真↓車窓から見たアルプスの山並〉


日本時間5日の午前8時頃成田空港に無事帰還。そのまま京成線で、アパートへ帰った。


手作り水車発電機

2012年11月17日 | 日記
10月20日・21日は、西宮に帰宅、長期出張の準備
21日は、神戸での会議に参加。手作り水車発電器を見た

24日は午前中の会議をそそくさと済ませ、
12時から新宿駅西口で街頭宣伝

〈写真は、自動車のダイナモを利用した水車発電機〉


池袋でK教授と

2012年11月17日 | 日記
17日は月末からの視察の打ち合わせ会議。
神戸から来たK藤教授と久しぶりに池袋で一杯。
18日は、国会内で会議、午後は総務省交渉、
夕方は東京駅でK弁護士と待ち合わせ、水俣病補償の教訓を聞く。
夜は代々木方面で会議。

福島・仮設、飯坂温泉

2012年11月17日 | 日記
10日の半日会議の次は
11日・12日と福島・会津若松方面への出張
地元の各種団体を訪問する活動
途中、福島市内の仮設住宅(浪江町からの避難者)を訪ねて話を聞くことができた。
帰るめどもたっていないそうだ。
泊りは飯坂温泉。「奥の細道」にも登場しているそうだ。
〈写真は福島の仮設住宅〉


〈写真↓福島交通・飯坂温泉駅〉