関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

巣鴨のとげぬき地蔵尊など

2013年11月12日 | 日記
10月6日からの一週間は、
東京から出ることのない日々だった。
基本的には、事務所で原稿を書いたり、
都内各所での会合への出席で時を費やした。

10月6日は、午前中お茶の水方面で、
消費税に反対する会合であいさつ。

少し時間の余裕が出来たので、御徒町まで歩き、
そこから山手線で帰る途中の「巣鴨駅」に降りた。
「とげ抜き地蔵尊」を見たことがなかったので、
どんなものかと商店街を歩いてみた。
「巣鴨地蔵通商店街」という大きな看板がかかっていた。
駅前の大きな通りを北に向かい、
そこから斜め左に道分かれしたのが商店街の通りだが、
もともとは中山道への出発点の本街道だったような
雰囲気の道である。
その分かれ目から150mほど行った右側に「とげ抜き地蔵尊」があった。
門を入るともうもうと線香の煙が舞い上がる場所で、
たくさんの人がその煙を吸いに手に手に煙を招いている。
(写真↓)


・・・たばこの煙の有害を喧伝されている当事者としては、
線香の煙が身体に良いという見解がどこかにあるのか?
と思わずにはいられなかった。
浅草でもそうだが、関東の寺は煙が信仰の対象になっているようだ。
正面の建物が地蔵尊だが、それは秘仏だそうで、拝めない。
その左側に長い行列が出来ていたが、
多くの人がそれを目当てに参拝しているようだ。
その先には「洗い観音」が鎮座していた。
(写真↓)


そして人々は、その身体をさすり、洗いあげていたが、
その観音像の、自分のわずらっている部位と同じ箇所を洗うと、
自分が助かるという言い伝えを信じての行列のようである。
古来病苦は何かに助けを請うという観念を生み出すものだが、
眼前の光景は、この地蔵通りの「繁栄」が、
庶民の素朴な願いを受け入れてきた歴史を物語っているのだろう。
ただし、これは「とげ抜き地蔵」ではないのだ。
今後間違えないようにしなければならない。
「とげぬき」の由来はそのうち調べておこう。

10月10日には、東電の損害賠償担当者が交代するので、
事務所にあいさつに来た。
10月11日は、業者婦人の決起集会が日比谷公会堂で開催された。
(写真↓)


オープニングでは、福島の被災者の思いを「組曲」にした合唱が行われた。
被災者の思いをもっともっと様々な表現で広げていくべきだ。
最近は、民主的運動の中からの芸術的表現の発露が
絶えてきたのではないかという思いもした。
業者婦人の力はすごい、と改めて感じ入った。

(写真↓ 日比谷公園で開かれていた鉄道まつり)


10月12日(土)は、35年ほど前、
私が中小業者運動の道に入るきっかけをつくってくれた人が、
東京に出てきたと誘いがあり、池袋で懐かしい話に花が咲いた。
当時は、自分の進む道を見出せないまま、
ある種の反発感も持っていたが、
その人が言っていた「人生は出会いから」
という言葉で自分を納得させてきた。
長い活動を経て思い返すと、自己肯定だけではなく、
そんなに間違った道ではなかったように思える自分が、今は居る。
楽しい一杯の場となった。

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