関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

4月の覚書的メモ(上)

2013年04月28日 | 日記
4月8日(月)
読売新聞本社を訪問
広報室に、消費税税率引き上げをめぐる「増税推進の論調」を改めるよう申し入れ
4月9日(火)
I川教授上京につき、中野方面で一杯
(写真↓中野駅から中野サンプラザ)


4月10日(水)
朝から国会方面であれやこれや
夜は、前泊組のみなさんと一杯
4月11日(木)
「消費税大増税中止を求める国民集会」に参加
全国から5000人が集まり、「増税中止こそ必要」とアピール採択
国会まで長蛇のデモ行進を見守る。その間2時間半
4月13日(土)
午前5時33分 淡路島で地震の報
家に電話するもしばらくは不通
各方面との連絡ののち、大難なきを知り安堵
震度6、マグニチュード6.0だったようだ。
午後、事務所に顔を出し、その後近所を散歩してみた。
椎名町駅(写真↓)

・・・改装してから全体を俯瞰したことがなかったが、
たいそう立派な駅舎になった。

長崎神社(写真↓)

・・・由来は知らないが、秋の祭りはたいそうなもの。
短いが参道も都市の喧騒からは別世界に入れる雰囲気がある
(写真↓境内にネコが1匹)


南長崎花咲公園(写真↓)



(写真↑)ときわ荘モニュメント)
・・・漫画家たちが暮らしたときわ荘はすでにないが、
近くの公園にモニュメントができていたので、
写真を撮ってみた。ときわ荘の模型だ。

4月14日(日)~15日(月)
岩手方面への「震災2年後の実態調査」に出発
14日正午に盛岡で現地と合流し、遠野を経て釜石に到着
早速、現地の皆さんからお話を聞き、周辺を見て回る
仮設商店街で酒屋さんから詳しく話を聞くことができた(写真↓青葉仮設商店街)

終戦前の2度にわたる米軍の艦砲射撃のことやら、
店舗再建のめどが立たない地域復興の遅れなどなど

夜は、仮設の飲食店街「呑べい横町」の「とんぼ」で一杯(写真↓)




4月15日(月)
釜石から北へ大槌町、さらに吉里吉里方面まで視察
大槌町では、津波に破壊された町役場跡を見た(写真↓)

多くの人がここでなくなりました。
この建物は、津波の記憶を忘れないために保存されるのだそうだ。
さまざまな意見があったと聞く

(写真↓ガレキが撤去され真っ平らになった大槌町)


大槌町では、仮設商店街を2か所視察した(写真↓)

店に入って、現状も聞き取る
「いろんな人が何度も聞きに来た。しかし、
それが反映した支援があったようには思えない」
の言葉に、背筋が伸びる

再び南進し、釜石を通過した際、新しいコンセプトの仮設住宅を見た(写真↓)




玄関が向かい合わせ、さらに通路はデッキ状でコミュニケーションがしやすい、
バス停が広場になっており、その横に仮設商店街を併設、奥には診療所まで設置
つまり、村をそのまま移したようだ。
阪神の時にも要望してきたことだが、当時はできなかった・・・

大船渡、陸前高田へ急ぐ(写真↓壊れたままの堤防・陸前高田)


夜は、一関で新しい仕事おこしに取り組む中小業者のみなさんと懇談会
一関泊りで、翌朝一番の新幹線で、帰京
(写真↓一ノ関駅)


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