関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

6月 参議院委員会審議に随行 京都で試着も

2014年08月06日 | 日記

(写真↑ 雨の日に)

6月6日(金)は「不公平税制をただす会」のシンポジウム(於:高田馬場)に出席。おりからの大雨に遭遇し、びしょ濡れとなった。
6月8日(日)は自治体問題研究所の総会参加
(会場の中央大学駿河台記念館↓)


この日の帰りに自転車後輪がパンクしていることが発覚。
6月13日(金)は新宿西口で原発再稼働反対の宣伝行動。
宣伝カーから8人の弁士が代わる代わる訴えたが、その司会をおおせつかった。
その後、食事の間もなく各界連会議で夕方が来た。
6月15日(日)は来年の商工交流会の実行委員会。
開催地の兵庫からも参加者があったが、交流する間もなかった、

6月17日(火)参議院の経済産業委員会で審議されている「小規模企業振興基本法案」についての参考人質疑があり、そこに全商連の副会長が出席し陳述した。その随行として委員会に出席。2時間半の委員会では、基本法案の重要性とともに、地域経済振興との結合、税制の改善(消費税増税中止)、金融対策の充実などが議論された。インターネットで中継されており各地から反応が返ってきた。
夜は、日比谷野外音楽堂で開かれた憲法集会に参加。解釈改憲に反対する世論(常識)が徐々に高まってきている。

6月20日(金)、この日は実質的な通常国会最終日。
集団的自衛権行使容認の閣議決定をめぐっては、
世論と運動が反映して今国会期中の決定は見送られたが、
危険極まりない安倍内閣の暴走は続いている。
昼の国会前集会に参加した。
もはや安倍退陣を求める声が多数だ。

6月21日(土)は、11月のとある身内イベントのための衣装あわせで京都へ。御所の近くの貸衣装屋で試着。鏡を見るとまるで七五三だ・・・貫禄というものが一切ない。「家紋は?」の問いに「丸に蔦」と答え、準備は徐々に整ってきた。
その後、京阪電車で樟葉へ立ち寄った。30数年前は、樟葉駅前の松坂屋の屋上で夏のビヤガーデンのボーイのアルバイトの毎日があった。今は、その百貨店は跡形もなく、当時の何倍もの高層アパートが立ち並び、洞が峠方面には大規模な団地が広がる風景となっていた。そういえばその団地建設でも「バラシ」のアルバイトで連日のように働いたことがあった。西宮に帰宅。
6月22日(日)は上京し、午後からの社会保障推進協議会の学習会で若干の発言をした。

(写真↓ 6月3日の夕焼け)


6月24日(火)は消費税増税に反対する宣伝行動。
25日(水)は、わが職場の人事異動にともなう歓送迎会が新大久保で行われ、
焼肉屋さんでの語り合いとなった。
その後一部の人が、歌舞伎町に移動しスナックへ。私もその一員となった
(写真↓歌舞伎町界隈)


6月26日(木)災害対策連絡会としての復興庁交渉に参加。思い起こせば17年ほど前だったか、阪神大震災への公的支援拡充を求めて大勢で復興庁に来たことがある。その頃から見れば、制度は確実に前進し被災者支援の道が広がってきた。しかし、被災者を主役にした地域復興という、日本の災害支援・復興への大道は未だ政治の目的にはなっていない。東日本からのさらなる発信とその運動への全国支援が大切だ
そのまま、12:30からの経産省交渉に移動した。こちら側(国民大運動実行委員会)の参加者4人にくらべ、当局は15人も出席してくれた。真面目なやりとりで約1時間。その後、御茶ノ水に移動し災対連の会議に出席。会議終了後、懐かしい人と本郷で一杯の夜となった
6月27日(金)朝から会議。
夜はお茶の水でI川教授と我が同僚T野氏と3人でさまざまな問題を談義
6月28日(土)はノーニュークスデーの集会が明治公園で行われた。雨模様だったがパレードの頃には天候回復。代々木公園までデモ行進。その後、高田馬場でラーメンを食べて帰った
6月30日(月)は、職場の若い同僚の出勤最終日。英国への留学を志しているそうだ。奮闘を願って送り出した。

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