関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

墓参り

2015年10月17日 | 日記
奥出雲町 斐伊川


8月14日(金)朝からS穂嬢と合流し、3人で奥出雲町をめざして西宮を出発した。
途中から電話をいれてそのまま阿井の親せき宅へ直行。

3月に亡くなった伯母の墓参りに連れて行ってもらった。
奥出雲町・三沢という山間の小さな町並みを見下ろす蔭涼寺の裏山にその墓はあった。
真新しいその墓石には「蘭香院華園妙空太姉」の戒名。
「行年九十五才」であた。
その隣には「昭和二十年四月二十四日 於ルソン島戦死」「海軍少尉」
と刻まれた夫の墓石が並んでいた。


戦後70年、彼女にとっては25歳から95歳までの、
結婚してすぐ戦争暴力で夫を奪われた未亡人としての70年。
力強く生き抜いた70年だったと思う。
私にとっては、母の姉、父の学友、会えば大きな声で励ましてくれてきた伯母だった。
葬儀には参列できなかったが、心の引っ掛かりが少しとれた墓参となった。

それにしても、もっと話を聞いておけばよかった。
時は「戦争法案」反対の大世論が巻き起こっている。
憲法は、先の大戦の惨禍、
犠牲者・遺族の悲しみを繰り返さない立場でつくられたのだから、
その声を引き継いでいくことが「反動」を止める力なのだと思うだけに・・・。

その日の夜は、いつもの亀嵩温泉で風呂に入り古い家で就寝。


8月15日(土)朝から近くの親せきを訪問し、
ここでも最近亡くなった義理の伯父の位牌に線香をあげてきた。

玉峰山にある雄滝を見に行った。
 

子どもの頃の遊び場だった。
沢ぞいに登って行っていたら岩の下に蛇がいた。
女房殿が発見して大騒ぎ。
よく見たらマムシ(蝮)だった。
あわてて川岸に避難。滝壺をめざした。

〈岩の下にひそむ蝮君〉


近所の幼友達宅には、先日の同窓会と記念誌へのお礼のあいさつも行い、
午後3時ころ西宮に向けて帰路に着いた。

〈夙川で遊ぶ麦わら帽子の少年〉

8月16日(日)は、16年間・16万キロを走破した愛車F号
の後継車を探しに車屋さんで話を聞き、その後上京。

東京のアパートに帰ったら、とある人からの「暑中見舞い」が着いていた。



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