(赤城山)
(榛名山)
2015年1月11日(日)群馬・高崎で法事に出席した。
身内だけの集まりだったが肝心の義父がインフルエンザで不参加。
天気が良くて赤城山も榛名山もきれいに見えた(写真↑)。
その後F子さんともども椎名町へ
(井野駅)
2015年1月14日(水)から翌日にかけて福島の被災地へ行った。
昨年末に突然、政府と東電が原発損害賠償のうち営業損害について来年で打ち切りという方針を発表した問題についての話し合いだった。
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夕方からは南相馬へ移動し相馬市で一泊したが、途中の飯舘村は以前「帰還困難」「居住制限」地域になっており、人気のない民家と建物、あれ放題の農地、そこに山積みされている除染回収土砂の山がますます目立っていた。南相馬のスーパーや泊まったホテルは、除染で全国からの来ている作業員の人で賑わっていた。相馬から福島市へ向けての高速道路建設が急ピッチで進められており、国道はダンプカーの列であり、それがほとんど「宮城で登録された車両だったのが、この工事の矛盾を物語っているように思えた。即ち「復興」に位置づけられた巨大公共事業のお金は地元にはそのまま落ないということだ。