関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

雨中の帰省

2012年05月05日 | 日記
5月3日は、東日本は大雨だったが、西方面もまだまだ雨が残っていた。
前の晩の大酒が残っていたため、運転を相方にたのみ、後部座席で静かに移動。
中国道を一路亀嵩(島根県奥出雲町)をめざす。
暗く低い雲が続いていた。


午後3時半頃田舎の家に到着。
普段は空家なので、まずは掃除。
みんなで埃をふき取り雑巾がけ。
仏壇の花を換え、線香をあげる。
家の周りは、この冬の大雪にもなんとか耐えてくれたようだ。
裏の方が少し荒れていたが、一応問題なし。
隣のA部さんにご挨拶にいき、お礼を申し上げた。
何度も雪かきをしていただいた。本当にありがたいことだ。
水道元栓・ガスの元栓を開け、何とか泊れるようにして、
全員で近くの温泉(玉峰山荘)へ風呂に行く。
〔夕暮れの玉峰山荘玄関付近〕


夜は、奥の部屋に積み上げてあった本を整理。
ダンボールに入れながら、ついつい本を開いて読みふけりそうになる。
それでも、10箱ほど整理できた。
まだまだたくさん残っている。



亀嵩へ

2012年05月03日 | 日記
明日(3日)は、久しぶりの田舎への帰省だ。子たちも2人付いてきてくれ、相方とあわせて4人の道中になる。
無人の家は、この冬の極寒と豪雪に耐えたのだろうか。かなり心配だ。
今回は、田舎に置かせてもらっている私蔵本の整理にとりかかることが主な目的。かなりの分量だが、これから少しずつ運び出すよう、めどをつけておきたい。
それというのも、自宅の近所にアパートを借りていた次女が就職のためそこを引き払ったため、そこにあった荷物(それも私の本がかなりあった)を、これまた近所に倉庫を借りて移動したおかげで、そこに収蔵スペースが確保できたためだ。
これまでバラバラになっていた本を一ヶ所に集める展望が出てきた。何とかやってみたい。
2012年5月2日記

乗客は2人だった

2012年05月03日 | 日記
4月30日には、再び上京した。翌日のメーデーへの参加と2日の某重要会議に出席するためだ。その二日間が休めていたら、新聞発行も連休は休刊なので9日連続の休暇であったのだが・・・。
大型連休なので、新幹線はさぞ込んでいると覚悟を決めて新大阪に向かったのだが、なぜか車内はガラガラ。写真のとおりタバコが吸える16号車(ひかり号だが)の新大阪からの乗客は2人のみであった。

夙川点景

2012年05月03日 | 日記
4月29日の夙川
先月29日に、西宮に帰宅した。
午前中は、ゆったりしていたので久しぶりにカメラを持って近くの夙川べりを歩いてみたが、新緑が萌え落ち着いた気分で散歩が楽しめた。
歩いてみると、あらためていい景色に出会えたので写真を飾っておく。

北夙川橋の欄干に据えてある「街灯」。

なぜこんな凝った形にしたのか知らないが、どこにでもある「近代的」な様式ではないのは良いし、作られてからかなり経っているので、周りの景色に溶け込んでいるように思える。ただし、この形が地域の文化や歴史を反映して、出来るべくして出来たものかどうかは分からない。

堤防に咲くツツジと夙川上流の河川敷。

背景は六甲山系のゴロゴロ岳(標高565・6m)。私は「苦楽園山脈」と呼んでいる。
河川敷では、いつも幾人かの人たちが佇んでいる。
本当のところ、私はツツジとサツキの区別がついていない。この花はおそらくツツジだと勘で判断した。
そんな時いつも思い出すのは、幼い頃、田舎で父親が育てていた鉢植えの花だ。それは、やはりツツジだったのかどうか今でも分からないままでいる。

ツツジ群の上に覆いかかる葉桜の枝。

夙川の桜は見事だ。そして、花の盛りが終わったあとでもその新緑の迫力もまた格別だと思う。それでも人の目線は、次の出番を待っていた低層に咲くツツジの花の方を向いてしまう。

北夙川橋から南を見渡した景色。

正面を横切る橋は、阪急電鉄甲陽線の鉄橋。周りの緑の6割方が桜の新芽だ。
甲陽線は阪急電車の神戸線夙川駅からの支線。北の方角に向かって伸びているが駅は中間の苦楽園口駅と終点甲陽園の二駅しかない。戦前の甲陽園方面の宅地開発にともない、阪急資本が線路を通したそうだ。構想ではその先の六甲山系最東端の山、甲山(かぶとやま)の下をトンネルで貫通し、船坂方面まで通したかったようだ。今でも試掘のトンネル、戦中には防空壕だったようだが、その跡があるそうだ。その掘削工事には朝鮮からの強制労働者が使われていたと聞く。7~8年前、この甲陽線と県道との交差の踏み切りを廃して、立体交差にしようという工事が実施されそうになった。先の写真にある鉄橋も壊し、線路を半地下式にするという構想で、その先にある桜並木などを掘り返してしまうものであり、電鉄と市役所段階ではほぼ決定の計画だったが、地域住民から猛反対の住民運動が起こり、その計画は白紙撤回となった。確かに交通行政の観点からは、踏み切りの構造は危険なものだったが、地域の人々は長年親しんできたその風情と環境を守ることを選択した。
おかげで、今ものどかな景色と花を見ることができている。

充実の「個人立博物館」

2012年05月01日 | 日記
4月29日は兵庫に帰り、
新聞に連載記事を投稿してもらっている
「日本玩具博物館」の井上館長を訪ねた。
日本玩具博物館は1974年設立の
全国でもめずらしい「個人立」の博物館であり、
世界の玩具を約10万点を所蔵している。
姫路市北部の香寺町にある。

姫路駅から播但線香呂駅まで約15分。
そこから歩いて15分ほどのところにあり、
こんもりとした森の中に蔵を思わせる白壁の建物で
1号館から6号館まであるこじんまりとした博物館だ。
地域性のあるおもちゃは、
子どもの遊び道具というより、
文化が凝縮された遺産である。

受付で名刺を渡し、井上館長とお会いできた。
さっそく連載のお礼を申し上げ、約1時間お話をうかがった。
1年間続いた連載も、そろそろ最終回に近付いている。
記事を見て見に来た人もいると聞き、うれしい気持にもなった。
運営の大変さもお聞きすると同時に、
記事だけではわからなかった数々の取り組み、
文化としての玩具、その学問確立への情熱など
充実した話を聞くことができた。
「ちりめん細工」復興への取り組みなど、
さらに興味深い話も聞けた。

博物館へのもより駅(播但線香呂駅)


新緑の庭を持つ博物館
正面は6号館、この日は「端午の節句」特別展示


古民家を再現した5号館には囲炉裏があり、この日は雛飾りも展示


5号館の縁側にさりげなく置いてあった煙草盆

昔父親がこれとほぼ同じものを使っていたので懐かしくなった。

博物館訪問の後は、近くの友人宅へ行き、焼肉パーティー。
大きくなった子どもたちの近況も聞き、
帰りは、姫新線播磨新宮駅まで送ってもらい、帰宅。

写真は、新装なった播磨新宮駅改札口