ツタンカーメンの金色の面に出会ったのは、高校1年の時だった。
文化祭の市中を練り歩く仮装行列の山車のテーマに選ばれたのだ。
クラスの誰の提案だったか覚えていないが、学校から近い我が家でリヤカーに組上げて行った。
金色の部分は親父のツケか、会社か知らず金色の塗料とシンナーをどんどん使った。
練り歩いた後ファイヤ・ストームで青春の炎と燃えあがった。
感動の涙で見ていたが、学校中で一番金が掛かっていたかもしれない。
今となっては確かめようもないが、ファイヤ・ストームの輪の外で親父が人知れず別の涙を流していたかも知れない。
文化祭の市中を練り歩く仮装行列の山車のテーマに選ばれたのだ。
クラスの誰の提案だったか覚えていないが、学校から近い我が家でリヤカーに組上げて行った。
金色の部分は親父のツケか、会社か知らず金色の塗料とシンナーをどんどん使った。
練り歩いた後ファイヤ・ストームで青春の炎と燃えあがった。
感動の涙で見ていたが、学校中で一番金が掛かっていたかもしれない。
今となっては確かめようもないが、ファイヤ・ストームの輪の外で親父が人知れず別の涙を流していたかも知れない。