嗚呼、勘違い・・・・カイゴ日記

ホントはそうでなかったかも  
まぁ コーヒー飲んで ごゆっくり

今野敏「朱夏-警視庁強行犯係・樋口顕-」

2008年02月23日 08時41分56秒 | いつか来た道
 男は真剣な口調で言った。「ただ、飯を食って、眠って、風呂に入って・・・・・・。それなら一人だってできる。家族が一緒にいる意味って何なんだ?」
「わかりません」
 恵子は正直に言った。「いずれ、娘は家を出ていくでしょう。就職がきっかけか、結婚するときか、それはわかりませんが、そのうちに親元から離れていくのです。そして、いずれ、主人か私のどちらかが先に死にます。結局一人に戻るのです」
「一緒にいる意味はないというのか?」
「意味はあります。子供を育てた実感があり、いろいろな問題を乗り越えたという思い出があります」
「思い出のためだけに一緒にいるのか?」
 恵子はわからなくなった。それだけではないはずだ。だが、家族で一緒に暮らしていることに積極的な意味を見つけようとしている人が、この世にどれだけいるだろう。
 ばらばらに暮らすより一緒にいたほうがいい。そう感じるから一緒にいるだけという人のほうが多いのではないだろうか?
 恵子は、かぶりを振った。





「しかしな・・・・・・・・」
 天童が言った。「現職の警官とはな・・・・・・・。安達といったか?どうなんだ、その後の様子は?」
「ひどくうろたえているようです」
 樋口がこたえた。「自分のやったことがよくわかっていないのかもしれません。まるでゲームでもやっていた感覚なのかもしれませんね」
 氏家がいつもの皮肉な笑みを浮かべて言った。
「そんなガキどもにはうんざりだな」
 天童が溜め息をついた。
「最近は犯罪も若年化し、なおかつ凶悪化している。どうしてなんだろうな」
 氏家がこたえた。
「ガキどもは世の中を映し出す鏡ですよ。世の中の不安がガキどもに反映する。そして、最近の若い者はトレーニングができていません」
「トレーニング?」
「そう。あらゆる意味でのトレーニングです。体を鍛えること、人と付き合うこと、困難にぶつかること・・・・・・。つまり、大人が子供を躾けられないです」
「最近の大人は子供や若者に媚びている」
 樋口が言った。「テレビを見ても、音楽を聴いても、何でもかんでもが若者向けだ。大人たちは若者の顔色を見ながら生きているような気がする。そんなんじゃ躾はできないな」
「そう。大人が自分たちの文化に自信を持てないってのも一因だな」
 天童がうなずいた。
「青春ばかりがもてはやされるからな。いい年の大人が未だに青春してる、などとばかなことを言っている」



青春の次には朱夏(しゅか)が来る。朱色の夏。燃えるような夏の時代。そして、人は白秋(はくしゅう)、つまり白い秋を迎え、やがて、玄冬(げんとう)で人生を終える。玄冬とは黒い冬、死のことだ。最も充実するのは夏の時代だ。そして、秋には秋の枯れた味わいがある。青春ばかりがもてはやされるのはおかしい

               1998年4月幻冬舎から刊行




文庫版『 リオ 』の解説にコラムニスト香山二三郎が、「本書で今野敏の警察小説の面白さに目覚めた人は引き続きご一読願いたい」書いているが、今野敏が昭和30年北海道三笠市に生まれたということばかりでなく、続けて読んでしまった。
枕元には、大沢在昌が絶賛というターニングポイントとなった新感覚警察小説の今野敏まずはコレ!1994年の『 蓬莱 』がある。



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