この記事は、過去に書いたもので、非公開にしていたものです。
投稿日時も、そのままにしています。
過去の非公開記事から、見つめなおす為、公開してます。
前に
職場の状況を確認するため
名前を言って
電話したところ
どなた様でしょうか?
と
言われ
固まった
もう
自分の存在は無いのかよ~
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職場の状況を確認するため
名前を言って
電話したところ
どなた様でしょうか?
と
言われ
固まった
もう
自分の存在は無いのかよ~
「徒然なる夜に」の
たんぽぽさんとは
私が休職前ですから
う~ん
約2年位前だったと思います(しっかり憶えていません)
同じ様に苦しんでいる人がいるのかと
ネットを見ていたところ
偶然に、たんぽぽさんのHPを見つけました。
HPを始めから、読んでいくうちに
しっかりした人だなぁと思いましたし
何で、こんなしっかりした人が病気になったんだろうと
不思議に感じました。
それ以降、
何度か『やりとり』をさせてもらいました。
そのやりとりで、私の事を知っています。
悩んでいるときには
時には、考え方とか教えてもらった事もあります。
今もほぼ毎日、たんぽぽさんの記事を読んでいます。
それで記事を読んで
私自身が「何か危ない」と感じたときには
メールを送ったりしてました。
そして
この度
相互リンクをさせてもらいました。
BOOK MARKの上にあるのは、その様な理由です。
ちょっとでも励まし、助け合いながら
輪が広がっていければいいなぁと思っています。
たんぽぽさん
ありがとうございます。
今日、奇跡体験!アンビリバボーの再放送を 25年ぶりの手紙 |
昭和の爆笑王と呼ばれた |
手紙には、幸江が興信所に頼んで クーペの住所を調べたこと、会ってみ たいけれどやめたほうがいいと思うこと、 そして生きているうちに 一言「生んでくれてありがとう」と伝えた かった、という言葉が並んでいた。 友人のshifoさんにも手紙を見せると、 娘を一日たりとも忘れたことがないと聞 かされていた彼女は「良かったね」とクーペ に言葉をかけた。 クーペはその夜、一心不乱に返事を書き続けた。 しかし返事を出すことはできなかった。手紙には 幸江の住所は書かれておらず、 封筒の裏には郵便局あてに「郵送先に誤りがあり届 かない場合は破棄してください」と書かれていた。 そんな中、クーペが娘に書いた返事にshifoが曲 をつけた。彼女は歌にして歌ったらいつか娘に届 くのではないかと思ったのだ。 実はshifoはmihimaruGTの「気分上々↑↑」を作曲 するなどシンガーソングライターとして活躍していた のだ。 幸江から手紙が届き、クーペは変わった。周囲も驚 いたのだが酒をやめ、届くかわからない曲を歌い続け、 さらにshifoとコンビを組みライブ活動を始めた。 クーペは歌がうまいわけではなかったがなぜか 人の心に響き、気づけば日比谷野外音楽堂で 単独ライブを行うまでになった。 |
そして次のライブは福岡でやること しかし娘の姿を見つけることはできなかった。 |
そして23歳の時に車購入のために |
彼は娘に手紙をもらった時、 そこには写真もあり、なぜか涙が次から次へと溢れてきた。 |
ライブ当日、急遽出版を差し止めたものの、
クーペさんとSHIFOさんの感動の歌は下のURLから http://www.voiceblog.jp/coupeandshifo/
|
あもさん。
参考になるかどうか分りませんが、
私が認知行動療法によって広場恐怖から脱出した事を
お話します。
あもさんが
「リハビリを始めるとこんな小さなことができないで
社会に出れるのかと涙がでます」
と言っている通り苦しく・辛いのは十分、分ります。
私の場合、
パニック障害が発症して1年後(今から約4年位前かな)に
医師の指示の下、入院していたので
認知行動療法を行いました。
私にとっては未知の世界で不安や恐怖はありました。
最初は
病棟から出る訓練
それから次第に
病院外へ出る訓練となって行きました。
どの訓練においても
苦しく・辛かったし、
初めから全て順調に出来た訳ではありません。
失敗して落ち込んで、出れなくなった事も
数え切れない位あります。
その度に
家族や医師そして看護師、職場の心ある方からの励ましや
話を聴いてもらったりして
勇気を出して挑戦しました。
未知の世界に挑戦するのは
怖かったし不安もありました。
そんな中
私の背中を押してくれたのは
家族や医師そして看護師、職場の心ある方たちでした。
私、独りでは出来なかったと思います。
特に
駅に行くこと
電車に乗ること
バスに乗ること
人混みの中にいること
飛行機に乗ること
などは時間が掛かりました。
途中で引き返して来たことは数知れませんし
救急車で運ばれたこともあります。
あもさんは「甘え」と考えている様ですが
私は「甘え」だとは思いません。
私も理解の無い周囲の人たちから
そんな事も出来ないのは
根性がないから
やる気がないから
怠けているから
自分に甘えているから
色々言われました。
根性論、精神論も時には必要かも知れませんが
それだけで治る病気じゃないと心で思っていまし
周囲の理解の無い人に説明を何度もしました。
でも
理解してもらえずに、人を信じる事が出来なって
いきました。
今、考えると
広場恐怖を克服した後も
人を信じることに
時間が掛かりました。
あもさんに聞いて欲しいのは
広場恐怖は医師などの専門家の力を借りて
克服出来ます。
その克服のため挑戦している時、
何で分ってくれないのか
と悩むと思います。
そんな時
思い出して欲しいのは
ぷぷり小隊の人たちは理解してくれている
という事です。
周囲に理解してくれる人がいなくても
その人たちだけは分ってくれている
と
思って欲しい。
苦しく・辛い時
あもさんのブログに、その心を思いっきり
書いて下さい。
どこまで、支えられるか分らないけど
出来るだけ支えるから
広場恐怖を克服した後
人を信じられなくなったら
また
その克服をしなきゃならないんで
そうならない為に
ぷぷり小隊の人たちを信じて下さい。
こんな偉そうな事を書いている私は
実は
自分自身に言い聞かせながら書いているし
調子が悪くても、悪いなりに自分の心を
書いてます。
私の場合、そうする事で少し、スッキリ
するんですが。。。
最後に
みんなで克服しましょう。
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ようやく
頭が戻ってきた感じ!
そろそろ
みんなの所へ
行きますよ~