今日はです。
この時期に北海道が暑いのは
異常気象かな?と思います。
今回は『振り回されない』という事について
私自身の体験を振り返りながら書いてみました。
『振り回されない』と聞くと色々な事を連想すると思います。
私は
○他人に振り回されない
○病気に振り回されない
○自分自身に振り回されない
○仕事に振り回されない
○社会(流行)に振り回されない
と連想します。
この中でも特に私自身が気を付けているのは
下線を引いた
○病気に振り回されない
○自分自身に振り回されない
の2点です。
これらを知ったのは、
私自身の体験である自殺未遂からです。
三途の川を渡ろうとした私
でも、生きていました。
この時、私の心の友から
死ぬことよりも生きることの方が大変なんだ。
生きて生きて生き抜け!
と言われ何故か涙が止まりませんでした。
この後
私は何故、生きているんだろうか?
存在する意味は何か?
と自分自身に問わずにはいられませんでした。
同時に、本当は生きていたいんだと思えました。
これを問うてから苦悶の日々でした。
死ぬにも本当は生きていたい自分がいる。
だから
死ぬにも死ねない。
じゃあ。
自分が存在している意味は何だ?
そんな繰り返しの日々
妻から一冊の本を渡され読んで見てと言われました。
何で本なんか!
と思っていました。
自分自身の中で、
死ぬにも死ねない。
じゃあ。
自分が存在している意味は何だ?
と。
繰り返しの日々に疲れていた頃
本を読んで見ようと思いました。
その本の内容は今でもハッキリ憶えています。
「こんな夜更けにバナナかよ」です。
北海道に住む鹿野靖明さん。40歳
進行性筋ジストロフィーでありながら自由を貫いた人と
生きる手応えを求めて介助に通う主婦や学生ボランティア
を描いた実話である。
鹿野靖明さんは逝去されますが
本の中で
「なんで、オレは生きているのかってのが、ずーっとあるんですよ。
なんでオレは生きているの?っていうのに、何か意味が欲しい」
と鹿野の友人は語り、鹿野の葬儀は、まさにその解答を示して
くれたかのようだった。
と言うのがある。
確かに、私自身もこの本を読んで
鹿野靖明さんの生き方は見事だと思いました。
言い尽くせない気持ちが込み上げて来ました。
それから
私の頭の中に
「障がい者」
「福祉」
「ボランティア」
これらの言葉が浮かび上がって来ました。
浮かび上がって来たのも
自分自身の当時の現状と重なる部分が多かったのだと思います。
病気を発症してから、これらの言葉を浮かべれるまで約3年強、掛かりました。
自分自身の当時の現状に則していたとは言え
同じ様な病気を抱え苦しんでいる人がいるんではないか?
と考えられるようになり「福祉」に目が向きました。
その中で、色々な人を見て私自身が肌で感じて来ました。
それからの事は省略しますが
自分自身が
生きる意味や存在している意味を自分自身で感じるようになったのは
今年に入ってからです。
やはり、長い時間が掛かったと思います。
しかし、それだけで十分だとも言えません。
これからも時間は掛かると思います。
生きる意味や存在している意味=「希望」
だと私は思っています。
「希望」は誰かに押しつけられたり教えられたりして見つけられるものでは
無いと思っています。
自分自身で苦しく辛いけれど、見つけるものだと思います。
苦しく辛い中で見つけられるから「希望」だと思っています。
私もそうでしたが
独りでは「希望」を見つけるのは無理かも知れませんが
家族や理解してくれる人たちが、少しだけ手助けしてくれたから
見つけだせたのだと思います。
自分自身の中に「希望」という二文字があれば
○病気に振り回されること
や
○自分自身に振り回されること
は、少なくなったと感じています。
私が今、好んで何度も繰り返し読んでいる本があります。
イバン・イリイチと言う哲学者です。
2002年12月2日に、ドイツのブレーメンで死去されました。
このイバン・イリイチと言う方の本は難しいので何度も繰り返し
読まないと私には理解出来ない事が多いのですが、人の本質
を研究されているなぁと感じます。
その本の中で
「人びとに闇の中を生きろと勧めているのか、と問いかける場面で、
イリイチは、私が勧めているのは、自分自身が闇の中のろうそくの灯
であると知ること、それによって他の人びとの人生を照らす灯になる
ことだと。」
「けっして諦めてはいけない。人が生きている限り、灰の下のどこかに
僅かな残り火が隠れている」と言うカマラの言葉を引用している。
難しいので、良くは分らないと思いますが
イリイチが言いたかったのは
「未来」は自分自身を含めて誰にも分らないけれども
「希望」は誰にも分らなくても、自分自身には分る。
と言うことが言いたかったのでは無いかと私は思っています。
おそらく
人間は死ぬまで修行なんでしょう。
末期に始めて、良い人生だったと感謝と謙虚な気持ちで死ぬことが出来たら
私は幸せだと今は、感じます。
そのために
今を。
この時を。
この瞬間を。
一生懸命に生きるのだと思っています。
今回は長文になってしまいました。
ここまで、読んで頂きありがとうございます。