第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

自分が自分であるために

2007-09-11 16:02:11 | 心の旅

今日の天気はです。
季節の変わり目で体調は、あまり良くないなぁ。
曇りの日も調子が悪い。
今日の空模様です↓




職場と人間

『会社があるのは社長がいるからではありません。会社があるから
人が集まるのでもありません。
人が集まって会社というものが作られていくのです。』
私も同感です。
利益を追求する職場と、そうでない職場を分けた方がいいのかなぁと
思い、分けて話したいと思います。
利益を追求する職場は、
近年の情勢を見ていますと、合理化・競争原理が激しくなっている気
がします。
合理化・競争原理は、人間の生活を豊かにする反面、他人に自分の
弱さを見せたくない等、職場の人間関係も希薄になり相談相手すら
いない状況になりストレス等により潰れてしまうと言う面があると
思います。
ストレスによって潰れても自己責任になり、人間不信や精神疾患になる
人もいるでしょう。
それでも利益を追求する職場には換えがいるのだと思います。
悲しい事ですが、人間を人間として見ない職場になりつつある
感じがします。
利益を追求しない職場は、
何も生産しないので消費する職場だと思います。
利益を追求しない職場こそ、人が宝だと思っています。
人を育て成長させていく職場だと考えています。
職場で「人があっての職場だ」と何度も言っています。
その回答は、
いつも「職場があるからお前が働けて家族を養えるんだ」です。
声は未だに届いてはいません。
どちらの職場にしろ、心を病む人がいる事に変わりはないと思います。
心を病む人に職場は、どう向き合っていくのかが問われて
いるんじゃないかと思います。
また、
どのような職場にも心を病む人がいると思います。
その人たちに、健常者と言われる人も、
また、どう向き合って行くのかが問われているんじゃないかと思います。
いづれにしても、
心を病んだ人が働きやすい職場は健常者と言われる人が働きやすい
職場だと思います。
そんな考えの人が少しでも増えてくれる事が大切だと思います。




依存と頼る事

依存と頼る事の違いと言われて自分自身の体験からお話をする方が
いいのかなぁと思いました。
この様な病気になっている人が全て、そうだと言う訳ではなく私の
体験上の話として聞いて下さい。
依存を知ったのは、
病気になり約1年くらい職場に這ってでも行っていた時、
職場に心ある人がいました。
その人たちに、病気を理解して貰い支えて頂いた事があります。
その時は、頼ろうと思い、
必死で家族の為にも給料を持ってくるんだという想いでした
次第に自分でも気づくことなく依存していたのです。
今でも、依存していた自分を思いだすと鳥肌が立つくらい怖いです。
頼ろうと言うのは、
今、不足しているところを申し訳ないけど助けて欲しいという事と
妻や子らに心で「すまない」と思い、いつかは病気と付き合えるよう
になったら、その分、返すんで・・・
と言う気持ちと自分で何とか立ち上がろうとする姿だと思います。
依存は、
分かり易く言えば、頼ろうから深みにはまった状態かなぁ。
丸ごと相手に頼ろうとしている事だと思っています。
この状態は自分自身では気付く事は出来ないうちになっている
と思います。
何もかも相手任せで自分という者が無い状態。
相手がいなくなると生きていけなくなると言う恐怖。
自分自身で、どうしたらいいのか分らない状態。
こんな状態に体験上なります。
この依存から脱却するには、私の場合、長い期間と恐怖との
自分自身との闘いを経なければいけませんでした。
そのため、
自分自身が無いために、時に狂ったように罵声を家族を含め
周りに浴びせ迷惑を掛け、自分自身が何者なのかが分らなく
なったのです。
今回、依存の芽が出ている事に気付かせて頂いたのは、
OSAMUさんが何とか自分の力で立ち上がろうとして就職された事
で気付きました。
このままでは、また、他人に依存し迷惑を掛けてしまうと思いました。
依存の芽は、自分自身と闘わないと、つみ取れないと感じています。
ですから、
私自身、私の事を知っている人に優しい言葉を掛けられると
ダメになってしまうと思い、やや距離を置くようにしたのです。
家族も長い間、私の病気に付き合って来ているので、不思議な事に
その状態が分るんですよね。
家族も、その状態になりそうな時は、優しい言葉は掛けてくれません。
それは、私のためだと思っているからです。
私自身が独りで、つみ取るための闘いなのです。


 

自分が自分であるために
パニック障害の広場恐怖を克服したとは言え、
ちょっと気を抜くと知らないうちに行動半径が狭まってしまいます。
依存も同じです。
自分自身が病気に振り回される事は
自分であって自分で無いのだと思います。
「病気と上手く付き合っていくように」と良く言われます。
これが、
なかなか難しいと感じます。
知らずのうちに病気に振り回されている自分がいるからです。
それも、自分自身が気付かないのです。
自分自身が気付かなければ家族や他人の言っている事
は違うと思っています。
自分が自分であるために
今は、自己点検をたまにして、不足している所を
行動するしかないと思っています。
いつまで、やるのかは、やはり自分自身との闘いだと思います。