病気になって、約1年~2年くらい、ニコ生に、のめり込んだ事がある。所謂、ストリーミング配信の双方向の個人放送である。
パソコンに電源を入れ、OSが起動してブラウザを立ち上げ、ネット検索していると、「ニコ生」というのがあった。「ニコ生」に登録して見ると、個人が放送していた。そこには、今まで経験した事のない世界であった。
年甲斐もなく、病気で苦しい事から逃げたかった俺にとり、好奇心による、ドキドキ・ワクワク感があった。
放送を俺なりに分類してみた。
① 顔を出しての放送
② 顔+スカイプ+電話の放送
③ 顔は出さず、姿を出し声の放送
④ 顔も姿も出さずに声のみの放送
⑤ 文字のみの放送
現在は、「ニコ生」を見ることは無く、このブログを書くときか、何か検索するときくらいしか、PCは使用していない。
「ニコ生」に限らず、ストリーミング配信から卒業したのは、
① 病気の苦しさから逃げてはいけないという事に気づいたため。
② 寂しさや孤独をストリーミング配信では解消できなかったため。
そして、
望むものを期待しても、得られない事に気づいた事である。
これは、俺が感じた事であり、全ての人間が同じく感じるとは、限らないし、ストリーミング配信で充実している人もいるであろう。また、ストリーミング配信を批判しているものでは、ありません。俺個人の感想です。
今は、自分自身を、ウィルと共に見つめなおす生活をしてます。自分の背丈にあった生活であると思うし、高望みをしない、質素な生活ですが、何だか、俺自身、今のままでいいんだと。思えます。
少しずつ、社会復帰に向け、前に進みたいと思います。