真冬日が続く厳しい寒波だったが、昨日は久しぶりに暖かに感じた日曜日。でも気温は最高でもマイナス1℃。
午前中に近くの歩道が、「さあ、走りなさい」と言わんばかりにきっちり除雪された。せば!、ということで午後からジョグ。
徒歩だけではあまり汗をかくことは無いが、しっかり汗を出した後のシャワーでは、肌の表面の油が水を弾き丸い水滴を作り、久々の運動を証明する。
私の趣味のために除雪していただき感謝!
『読書の方法 なにを、どう読むか』(吉本隆明著 光文社 2001年刊)
近くの図書館から借りて読む。本書は、1960年から1999年までの40年間における著者の読書や書物についてのエッセイやインタビューを集めたものである。
冒頭の、「何に向かって読むのか」(文京区図書館報50号1972年3月30日)では、 本を読むということは「生活のたしになることもなければ、社会を判断することのたしになるものでもない」し、「有益なわけでも有害なわけでもない」と、いきなり読者に先制パンチを食らわす。題名から創造するようなノウハウ本では無い。
本書は、第1章「なにに向かって読むのか」(読書原論)、第2章「どう読んできたか」(読書体験論)、第3章「なにを読んだか、なにを読むか」(読書対象論)という3つの視点から著者が語る。
途中にいくつかの読書リストが挙げられているが、古典が多い印象。学生時代に古典を読みなさいとよく言われたが、本当に幅広い分野の古典を著者は読んでいる。毎年多くの書物が発刊されているが、果たしてその中で何冊が古典として残るのであろうか。やはり、風雪に耐えて生き残った古典には良い所があるのであろう。
では、なぜ読書をするのだろうと改めて自分に問う。役に立つ知識を得ることができるから。他人から教養があるように見えるから。感動や新たな出会いがあるから。好きだから。楽しいから。か?
今から思うと、私は高校生の頃までほとんど本を読んでいない。受験勉強が生活の中心になっていたため、そのような時間が無かったという言い訳もあるが、本当はしっかりとした動機に欠けていたからであろう。それが、大学に入った途端、時間はたっぷり。そして、考えることを先送りしていた「問題意識」というのが沸々と湧き上がってきたのだ。まわりの友との会話や読書から、猛烈な知識欲が生じた。恋愛と同じように「相手のことがもっともっと知りたい!」と思うようになったのだ。ここが、私の読書の原点。
読書リスト部分をコピーしてから返却しよう。