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社会保障と税の一体改革

2011-02-26 17:17:17 | Weblog

情況論ノオト 第22回 社会保障と税の一体改革    

 

  2009.10.25情況論ノオト第21回「財源をどこに求めるか」、2009.12.5情況論ノオト第22回「民主党の無思想ぶり」に続く。

 

 

 傷病、失業、生活困窮・・など私たちは、いつ起きるかも知れないリスクの中で生活している。それらに備えて、年金、医療保険、介護保険、雇用保険、生活保護などの社会保障制度がある。それらの制度を運用するためには費用がかかり、私たちは、租税、社会保険料を負担している。

 

 社会保障制度を構築する際、「公平性」が重要になる。

 

適正な「受益」のレベルをどの程度にするか。ただ、受益という言葉は、プラスイメージだが、この場合、リスクというマイナスをどこまで減らすかであるため、使い方として相応しくないと考える。

 

誰が、どのような方法で、どの程度の負担にするか。国、国民、事業者などが、税によるか、料によるか。

 

 公平性の裏付けは「政府への信頼」である。また、制度は持続可能でなければならない。その裏付けは、「国家への信頼」である。

 

 フラフラ、ヨレヨレに見える菅内閣が現在取り組もうとしている「社会保障と税の一体改革」の議論における決定的な欠陥は、国民生活の不安を和らげるという本来の目的を忘れ、国家財政の再建を優先している点である。

 

 政府、国家への信頼無くして制度は動かない。反対に、信頼があれば制度の多少の矛盾は許容されるのではないか。しかし、私は既に国民国家の賞味期限が到来しており、国家を軸として信頼を構築することは不可能であると考えている。さらに、どの政党(日共も何ら提示できていない。)の考え方も備縫策のレベルであり根源的で無い。

 

 

蛇足になるが、社会保障の議論の中には、以下のような様々な謬論があり結構笑える。

・社会保障を増やすと、企業や若者は負担増を避けて海外に逃げる。

・税負担が重いと経済成長が阻害される。

・患者負担を引き上げれば、病院の「サロン」化を防げる。

 

『現代経済の解説 グローバル資本主義と日本経済』(SGCIME編 御茶ノ水書房 2010年刊)第12章「日本の社会保障」池上岳彦を参考にした。

 

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