楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

ルーツの旅 (4)滝蔵3

2024-09-30 06:00:00 | 歴史
ルーツの旅 (4)滝蔵3

滝蔵の生まれた山間は狭い宇多川河岸と山と猫の額のような田畑の地。
農家が点在するが、尋常小学校のある集落までは片道数キロ。男子は遊びながらの通学。着物に草履に学帽を被り、軍歌に戦争ごっこの通学模様だったろう。女子は赤子を背負い子守りをしながら。途中の野山は遊び場。空腹を満たすには季節の野の実りを頬張る。宇多川は清流で、魚を獲り持ち帰ることも。

強い兵隊になることを夢見て、学校の軍事教練授業でも競っただろう。滝蔵は人一倍俊敏で、ガキ大将的存在だった。それが後に自らの運命職業選択に繋がる。

時は、日清(明治27年)から日露(明治37ー38年)戦争。滝蔵の子供時代(5歳〜15歳)と完全にダブる。

時代は富国強兵へ国全体が勢いよく進み始めた時。戊辰戦争の負け組だった奥羽越列藩の出身兵は、北海道屯田兵以来の第7師団(旭川)に見られるように、常に最前線で突入することで名を馳せていた。

西南戦争以降、小学校唱歌にもいち早く取り入れられた「抜刀隊」行進曲を歌いながら、朝、通学した姿が目に浮かぶようだ。

のびのびと育っていた滝蔵であったが、12歳の冬、家族に大異変が起こる。

(つづく)
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ルーツの旅 (3)滝蔵2

2024-09-29 06:00:00 | 歴史

相馬から福島に抜ける街道を中村街道という。相馬市から宇多川に沿って西の山間に進む。
重要無形民俗文化財の相馬野馬追の騎馬隊で、相馬の殿様を隊長として立てるのは宇多郷といって城近郊に住む侍。
相馬藩は、天皇になりそこねたと言われる平将門を祖に持ち、平安時代以来、武士の時代を通じて同じ場所に居続けた。
その勇姿は、祭りで再現され、その相馬の田園の水源が宇多川だ。

その宇多川を上流へ遡る源流は亘理伊達と福島が握る。亘理伊達では溜池で堰き止めている。国境をみるとかつて水騒動があったと想像できる。江戸時代、自ずと藩に序列ができていたであろう。
明治新政府は戊辰戦争で奥羽越列藩同盟が敗北した後に生まれたが、伊達は盟主であり、相馬も福島も負け組同盟の一員だった。明治二十二年紀元節(2月11日)、明治憲法が制定発布され、ようやく国の姿が整い始めた。

同じ明治二十二年春、紀元節後の3月、滝蔵はこの山間で、農家の次男として生まれた。滝蔵の祖父が今だ家長を務め、11名が家族をつく大所帯だ。

滝蔵の生まれた地は、亘理伊達、福島、相馬の三藩が山間で国境を接する場所。

廃藩置県、士農工商廃止、兵器狩り、廃仏毀釈、押し寄せた時代の荒波。
亘理伊達は殿様以下総出で、北海道へ移住、伊達市として今に残る。

時代の流れは、この山間へどのように届いただろう。
政治は武士の世界、などといってられただろうか? 農家は税の柱であった米を握っていたのだから。

宇多川上流の分岐点に滝がある。その守神の社の氏子総代を務める農家に滝蔵は生まれた。

その滝と社にちなんで名付けられた滝蔵はヤンチャだった。

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ルーツの旅 (2)滝蔵1

2024-09-28 06:00:00 | 
ルーツの旅 (2)滝蔵1

2015年3月常磐道が部分開通した。私は居ても立っても居られず、大学年度替わりの狭間の早朝、車で出発した。
常磐道は2011年東北沖地震と津波で大きな被害を受けた。それから四年、ようやく再開した常磐道。

相馬が近づくと対面交通、片側1車線。緊張が走る。「xxマイクロシーベルト」と光る電光掲示板が現われる。
値がどんどん上がって行く。路側帯は一切停車できないように柵がある。
道路から覗ける地には山積みされた汚染土壌の黒いビニール袋
春先で桜が咲き始め爽やかに見えるが車内へは日も差し汗ばむ。
しかし、窓を空ける気にはならない。
一刻も早くこの地を抜けようとアクセルを踏む足とハンドルを握る手に力が入る。


やがて汚染された南相馬を抜け相馬が近づく。電光掲示板の数値が下がり始め下車予定の相馬インターとなる。

ほぼ4時間のノンストップドライブだった。

相馬は、祖父、滝蔵のふるさと。まだ薄寒い里山の風景が目に飛び込んできた。

(つづく)



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ルーツの旅 (1)はじめに。

2024-09-27 01:28:48 | 
ルーツ(先祖)探し。

人生の残りが見えてくると、先祖のことを探し、記録し、未来へ送ろうと思うようになる。
そこで、ルーツ探しの旅とルーツの物語を、はじめることにした。

私の父も母もすでに他界し、彼岸にいる。

父は、私が36歳の時にその倍の歳、すなわち72歳で逝った。その時私は前を向くことで精一杯。後ろを、すなわちルーツを思う余裕はなかった。

振り向いたのは60歳、還暦を迎えた時だ。そして既に父の享年齢を超えた。

こう記すと全ては十二の倍数の時。12支のリズムとはうまくできているな〜、と改めて感心。

さて、物語を始めよう。まずは祖父・滝蔵の物語


次回予告:滝蔵 (1)
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死ぬまで研究

2024-09-24 07:26:43 | 科学
研究とは、人類にとっての未解明の問題をめ、新しい事実を発見すること。

出発点は、自分にとっての疑問だ。
地球科学をやっていると、地球のどこにでも通用する一般解を求めることが目的ではあるが、地域や時代を限った特殊解から出発する、帰納法的方法を私は採用している。

観察・観測からの出発だ。
歳をとり、経験を重ねると、新しい発見だ、との直感が働く。

その興奮を磨き研ぐのだ。

南海トラフ五百万年
それが今の私の毎日の集中課題。
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