楽学天真のWrap Up


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知的遺産のピラミッド作り

日本学術会議主催学術フォーラム「危機の時代におけるアカデミーと未来」

2021-02-28 06:16:37 | 社会

学術フォーラム「危機の時代におけるアカデミーと未来」

  昨日、日本学術会議主催のフォーラムが午後目一杯Youtube公開で開かれた。3月末までに政府と学術会議の間のすり合わせによって日本とアカデミーの新しい方向が決まる。

 最初の井上科学技術特命大臣と梶田学術会議会長の2つの講演がすり合わせの現状を端的に表していた。理念は概ね一致、すなわち、ナショナルアカデミーの必要性。そこへの大幅な財政出動の必要性も。

 今だに不透明なのは組織形態。日本学術会議側中間報告では行政司法立法の三権から独立した会計検査院型国立組織。政府は問題の発足時に主張した独立行政法人型の民営化。昨日は学術会議側もこの論点は避けた。井上大臣も述べなかった。先送り事項だろう。学術会議の選出方法は会議内でも未だまとまっておらず、政府自民党内でも統一されてはいない。学術会議側は今の選出方法をより精密に仕上げる案を出すだろう。

 学術会議は昨日の公開フォーラムに国際学術会議会長とイギリスの王立アカデミー会長を引っ張り出し国立アカデミーの重要性を強く訴えた。ノーベル賞受賞者の梶田会長も日本のアカデミーの唯一代表としての日本学術会議の意義と強化を訴えた。下手に潰すと先進国の日本は大恥をかくよと言う外圧による政府への強い圧力である。内閣府内組織の学術会議なのであるから政府にとっては喉元の内側から刺さったトゲである。

 フォーラムでは, その他にこれまで全く知らずに驚いたことがある。それは医学界である。日本医師会は強烈な政治圧力団体であるが、その傘下にあった医学関係の学会が、特に外科学会が先頭に立って医学の政治からの独立を大きく掲げて日本医学会連合を創設していたことである。今回のコロナ禍で医学界はさらに大激変しているであろう事は想像に難くない。医学薬学アカデミー世界の大変革こそ今の歴史的大転換の中心にあることを垣間見た。

 いくつもの話があったが、その中で最も印象深かったのは四国学院大学の平田ロザリオ氏の「シンパシーからエンパシーへ」との講演。すべての議事録が残っている第一次世界大戦後のパリ講和条約を読んでの意見。そもそもドイツは敵国。イタリアは戦後処理の不満から切れて途中で席を立つ。日本は参加するもほとんど何もしゃべらず。この遅れた資本主義国三国は、後に第二次世界大戦の枢軸国となる。遅れていたがゆえに英仏を超えるべく先を急ぎ、じっくりと対話によって矛盾を解決しながら進むと言う道を飛ばしたのだとロザリオ氏は述べた。内輪のおしゃべりの「会話」から他人言い分を賛同を別にして理解する「対話」の道をアカデミーを率先しなければならないと言う主旨であった。

科学の為にも日本の為にも良い方向が生み出されることを期待したい。

 

 

 

 

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二四の瞳

2021-02-26 23:14:53 | 歴史

二四の瞳 悲しみのどん底から再び明日へ

 二十四の瞳とは、十二人のつぶらな瞳のこと。昭和のはじめ、まだ時代が穏やかな頃、瀬戸内海に浮かぶ小豆島の岬の分教場で女性教師が初めて教えた子。否応なく時代の荒波に子供も自分も、離れ小島の小さな集落も巻き込まれていく。時が過ぎ穏やかになった時、瞳の数は12になり、2つは開くことのない瞳になっていた。

 

 自らも夫と末の娘を失くす。そんなすごい話だとは全く理解していなかった。子供の頃、見たはずなのに。なぜか鮮やかな印象として記憶に残っていたのは、心が暖かさで最後は一杯になったことだけであった。変わらぬ穏やかな海と田畑。白黒映画なのに。

 

 ひょうんなきっかけで見直した。

そこに朝ドラの「おちょやん」浪速千栄子が出ているではないか!

 その場面は瞬間ではあるが、今見ると一層意味が深い。 今、戦前、前借金で奉公や色街に行かされたことが、韓国の売春婦(慰安婦)問題に絡んで問題とされている。 もう一つの朝ドラ再放送「澪つくし」にも出てくる。身売り、身受け。

 

 この映画では、教え子の一人が貧しさゆえに小学高学年で学校をやめて高松のうどんやに奉公に行かされた。そのうどん屋のおかみが「おちょやん」こと浪速千栄子の役である。そのうどん屋に大石先生らが入りその子に遭遇するのである。そして、島から一緒に育った同級生の修学旅行。出て行けずに店を飛び出し--。

 

 大きな時代の荒波が過ぎて、子らの瞳は半分になった。しかし、穏やかな時代になり、この奉公に出た子も大人。 皆、時代を生き抜き、新しい時代、前を向いて生きてゆく決意の姿で終わる。

 

 終戦からほぼ十年が経とうとした時に作られた文部省特選の映画。 今、人はこれを見て反戦左翼映画と呼ぶのであろうか?  そうだとしたら、その時代は丸ごと反戦左翼である。文部省も。 当たり前である。日本中で300万人が亡くなったのだから。この数だと、日本総人口9000万くらいだったから33人に一人。必ず身近、知り合いに戦争犠牲者がいるという勘定になる。

 でも当時、日本中に暴力を伴い荒れ狂っていた声高な反戦左翼とは明らかに違う。もう人の死を見るのは嫌だ、という心からの叫びと悲しみの咽び泣きの先に見出す明日への希望を望む映画だったのである。

 大きなショックと感動の映画であった。

 

 

 

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今、何故渋沢栄一なのか?

2021-02-22 16:48:41 | 歴史

今、何故渋沢栄一なのか?

大河ドラマの新作が始まった。主人公は渋沢栄一。大河ドラマは日本人の歴史観を大きく変える役割を担ってきた。

ということは、作り手とそこに莫大な経費を投入するNHKの意思が刷り込まれている。

まして、令和の新1万円札の顔なのであるから、それは日本国家の意思そのものでもある。

令和元号の発表は、官房長官時代の現在の菅総理。共に農民から這い上がった英雄。

北里柴三郎は、医学の英雄。人の命を救う象徴として登場する。北里の弟子には、小作農民から這い上がった野口英世もいる。

そして、津田梅子は、男社会をものともしなかったジェンダーバランスの象徴として登場する。

型ドラマも準備されているだろう。

オリンピックを成功させ、総選挙をうまく乗り切り、政治・経済を安定させれば、未来を見ることができるようになる、明治の偉人のように這い上がれ、とのメッセージ。

の権力の呼びかけとビジョンはうまくいくのだろうか。

 

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終活(14)母の家計簿・日記

2021-02-16 03:25:10 | 人間

終活(14)母の家計簿・日記

自分の終活もさることながら、残された母の50年分の家計簿とそこにメモとして記されたわずかな記録を整理している。

どれほど苦労しながら家計のやりくりをしていたのか

そんなことなど気にもかけず小遣いを無心に求めた自分

少々渋りながらもくれた母

小さな花が咲いたと喜ぶ母

雨が上がって爽やかな朝と記す母

老いていく祖父母を毎日、見舞う母

突然に、いや分かっていたけれど、訪れる望まない悲しい別れ

そんなことが満載の母の家計簿と日記

目が霞む

捨てたくはない!

でも自分らの始末の終活のためには、実物を残す余裕はない。

せめて、スキャンし、画像ファイルとして記録、遺産画像として息子、娘らへ、あるいは孫らへ残すしかない

 

断捨離

彼らも、必ず人生、先祖を振り返る時が訪れる。

その時、秘密のベールが剥がされると信じて

 

終活継続

 

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終活(13)大江健三郎資料東大へ寄贈

2021-02-13 08:45:08 | 人文

終活(13)大江健三郎資料東大へ寄贈

ノーベル文学賞の大江健三郎。文化勲章も拒否し、「憲法九条を守る会」をリードする反骨の人でもある。その彼が人生のほぼ全著作原稿などを東大に寄贈したという。彼の小説を読んだのは、人生に悩みの多かった40代後半。マルのない1ページを超える節の文章でもついていける自分に驚いた。どこまでが事実でどこからが想像なのか、夢の中に引き込まれる思いがあった。

東大とは、伏魔殿のような組織。

その中に、権力も反権力も全て内包する、アカデミーという権力の頂点にいる。

いくら東大粉砕!と言って象徴の安田講堂に旗を立てても決して崩れない。

結局、その東大に全人生の著述を託したという、反権力の象徴たる大江健三郎の終活。

その死に様を、テーマとする研究者、マスコミ人は必ず現れるということを想定した、予定調和終活である。

私なんぞは、そんな死に様はできるはずもないが、残すべき著述ものだけは整理して置いてやらなければ、残されたものが迷惑するね。

さてさて、今日の終活は?自分より前に、親父の残したものだ! 

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