忙しすぎて読書の時間がなかなか取れない。
人類の歴史、の次は人間の歴史だ。
気候が歴史の動乱を駆動したという単純化した議論がある。
人間は自然を超えられないという「運命論」につながる議論だ。
1950年代の毛沢東の「大躍進」でさえ、気候のせいだという。
だとすると、1995年前後の北朝鮮の大飢饉と餓死さえ、気候のせいだとなってしまう。
それは、その時の政治の失敗に「免罪符」を与えてしまう短絡した議論だ。
そんなことよりも私が知りたいのは、長期政権の名君と短命政権の暗君、それを中国史の中に今一度見てみたいと思う。
もちろん自然の厳しさをどう乗り越えるハンドリングができるかは名君の重要な条件だ。
そんな知恵は5千年も費やせば、人の頭脳の中で進化しているはずだ。
この本の上巻はやっと、随。
おもしろいのは、「孔孟」の理想主義と「老荘」の流れに任せよ、との相対する思想の生まれた時代背景だ。
これは、政治や宗教の世界の話だけではない。
西洋では、プラトンとアリストテレスの哲学に始まる、理想主義と現実主義の関係にも似ているのだ。
科学では、還元主義という理想主義と森羅万象のありのままの中に真理を見る、総合主義との関係にも似る。
さて、随以降、中国のはどのように成長したのかね。
日本の飛鳥時代だ。