楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

プラトンとアリストテレス

2006-12-30 22:31:19 | 科学
プラトンとアリストテレス

さて、年末正月休み。哲学でも振り返ろうかと思う。
私の大学の専門でそのようなことを教える場はない。しかしこのことは極めて大事であるといつも思っている。
哲学の貧困は、こころの貧困。なんちゃってね。

来年度担当する予定の教員免許のための講義が「人類の地球観」と銘打ったのでその準備とでもしようかと思う。
そのはじまりはプラトンとアリストテレス論争。でもそのままやるととてつもなくつまんないよなーー。
そこで工夫、想定問答。

学生A「プラトンとアリストテレス? え!やめてください!私は高校のとき、歴史の授業か倫理社会の授業かで、聖書のように名前が一杯でてきて覚えろ覚えろ、というのでうんざりでした。また同じことをやるのですか!これは理科でしょう!」

楽学教授「いやいや名前など覚えなくてよい。でも、<プタトニックラブ>って聞いたことない?ぼくの学生時代、恋愛を頭の中だけで実行し、いくところまでいかない関係をいった。いまはなんていうのかな?そういうの。今、朝のNHKドラマで「君の名は」ってのをやっているが、あれのこと。純愛で美しい、と人はいう。僕らの世代はそれが最高のものと思う人が多かった。結婚前にーーなんて、ふしだら!ってね」

学生A「そんな恋愛、我慢できるわけないじゃないですか!」
学生B「いや、それが最高だ!恋愛とは心の問題だ。こころの伴わない関係なんて偽物だ!」

楽学教授「そうそう。困ってしまうね。感覚派か理性派か?情か理か?それがアリストテレスとプラトンの論争の本質。もそっと高尚のようだがね。私もよくわかんないので、恋愛に例えて納得することにしている。」

学生B「それが地球観とどう関係するんですか?」

楽学教授「地球観というか、科学一般に通じる考え方で、自然をどうみるか、ということにつながり、現代でもそれが底流としてある。そしていつも頭をもたげる。時には喧嘩になる。」

学生A「なにいってんだ!わかんねー!恋愛ならわかるが、俺は絶対に感覚派!」
学生B「恋愛は理性的であるべきです!」

楽学教授「そうそう、その論争をプラトンとアリストテレスはやった。ただし先生はプラトン。アリストテレスは学生。だからプラトンが当然偉そうに、理性を強調する。そしてアリストテレスは若気の反逆をする。感覚が大事だ!と」

学生A「教授は学生のとき反発して、今の奥さんと神田川状態だったとか。やはりーー」

楽学教授「私のことなどどうでもよろしい」

「さて、プラトンからはじめよっか。」

おっとっと。私の好きな「チャングムの誓い:総集編が始まる」
「またあとじゃ。」

学生A,B「またですか!いつも脱線して尻切れとんぼじゃないですか、先生の授業って」
楽学教授「これは授業じゃない、私のブログだ。また深夜続きを書くから」
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年末恒例

2006-12-30 12:29:51 | 生活
年末恒例の年賀状作成作業。
 1日半ぶっつづけ。出す相手によって3種類を作成し、住所録をWordにリンクするように作り直し、インクジェットで印刷。
住所録打ち込み作業は金欠娘に時給1,000円で発注。娘に甘い父親の足下を見られ「これは知的労働だ!」「いや肉体労働だ」と交渉のあげく根負け、1,300円。これでお年玉もか,
。ま、最後のお年玉からいいか、と甘くなる。今年はデジカメに凝ったのでそのなかから気に入ったものを貼付けた。それにしても秋に吹っ飛んだ1万枚の写真は痛い、といまさらのように悔やむ。
 ふー、なんとか山を越えた。これから正月のためのお花探しでホームセンターへ。これが楽しみである。料理関係は内の奥さんにおまかせ。あとは掃除だな。私の役割りはベランダ。花たちが寒さにめげず、清らかな環境で正月を迎えられるように。
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地球温暖化対策アメリカに変化?

2006-12-29 06:56:36 | 時評
 昨日の朝日新聞の夕刊にアメリカのホッキョクグマ絶滅危惧種指定がのっていた。 そこにスピッツベルゲンのシロクマの写真が載っていた。私はその島で、調査のために3ヶ月ほど滞在したことがある。その島からも氷河が消えてしまうのか!と思うとこの地球温暖化というのはすざましいことなのだと思ってしまう。

 アメリカでは国立大気研究センターが2040年までに北極から氷が消えると発表し、一昨日紹介したアメリカ地球物理学連合大会でのゴアの取り扱いといい、科学の成果が、経済や政治の論理を変えつつあるかに見える。ブッシュは「地球温暖化はほんとかどうかはわからん」といい、それを科学のせいにしていた。

 それに対して日本の地球環境の研究は相変わらず、「環境対策」が重点である。根本的に地球を理解し、グローバルな環境変動ー短期から地質学的時間スケールを含めた長期までーを問うものへの投資が少ない。アメリカとは逆の意味での経済の論理が極めて強い。昨日記した地球科学的つっこみへの投資が驚くほどないがしろにされているのではないだろうか?

 「ゴミを出すな」「汚すなキャンペーン」はもちろん大事であるが、この地球を愛する心を根本から養わなければ「地球環境問題への対策が定着したことにならない。その意味でも人類の中でこの地球を最もよく知る人、それは地球科学者たちである。
 私も自分の専門は環境と関係ないやと思っていた。しかし、「地球のメタボリズム」ー全地球的な物質とエネルギーの循環・代謝ーを考えると本当に深く深く結びついている。

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日本の地球科学

2006-12-28 03:54:19 | 科学
昨日はぽかぽか陽気の中、外へも出ず、終日あるところで議論が展開された。
日本の地球科学は他の科学に比べてなぜこうも地位が低いのか?と。

この問題は長年この世界に関わって来た私にとっても大きな関心事である。他の先進国においてもその位置は必ずしも高いわけではないが日本ほど低いようには見えない。

日本においては最も良く知られた一人で、大量の一般向け著作を書いている●氏が叫んだ。
「地球環境問題の理解は、地球の理解なくしてあり得ないのに、日本における環境科学はなんだ!工学だ農学だあげくの果てには文系まで乗り出して食いつぶしている!根底に座るべき地球科学は何をしておるか!」

正論である。しかし、会場はしらける。彼独特の人を食ったような言い方が他の多くの人の水を引かせるのである。ありがちな場面である。その場面を見ていて、これはまずいと思った。ものの言い方もまずいが対応もまずい。このままではこの問題はタブー化され、彼はしらけて、ますます一人パフォーマンスの世界へ帰っていく。

私はざっとそこにいる顔ぶれを見渡した。
そして、このことを認識していない人が多いのではないかと思ったので紹介した。

1。アメリカではゴアが「不都合の真実」を地球物理学連合で数千人の聴衆の前で講演した。アメリカでは地球環境問題ははっきりと地球科学の中心的課題として座っていること。地球科学者も認識しているし、アメリカ国民も、はっきりと認識しただろうこと。日本では地球惑星科学連合ができたが、そこでもっと地球環境をとりあげるべきこと。

2。また、2001年に出されたNSF (National Science Foundation:アメリカの文部科学省にあたる)の指針書 Geoscicences beyond 2001にははっきりと地球環境がこれからの地球科学の中心であると詠ってあること。それはコミュニティー総出の1年以上にわたる議論でまとめあげられたものであること。その直後にアメリカ地球物理学連合大会やアメリカ地質学会のセッション配置などが見事に変わったこと。

3。そして今はやりの「メタボリック症候群」ではないが、「地球のメタボリズム」を理解することこそ、その鍵であること。

ここでの議論は今後繰り返される。今回は初顔合わせ。しかし、それが日本の今後の地球科学の行方に重大な影響を持つことも確かである。真摯な議論を期待したい。

団塊の世代のあせりはすごい。第1線から身を引く前に、遺言としてすべてを託したいと。そのメッセージは、好き嫌い、ものの言い方を差し引いて、聞くべきところは聞き、未来へとつなげたいものである。

<もそっと言い方を変えるとうまく伝わるんだがね、団塊世代はいつまでも子供かね、ま、それも売りかな? 楽しくいこうよ楽しく>
と思いつつ。
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幕末・維新

2006-12-26 23:20:28 | 読書
幕末・維新―シリーズ日本近現代史〈1〉

岩波書店

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この明治維新論はおもしろい!
私が今、明治維新に興味を持っている理由は、なぜ明治維新を外国の干渉なしになし得たか、そして明治初期、なぜああもはやく近代科学を導入し得たか?ということを私なりの納得として知りたいからである。これは当時、中国も、インドも、全てのアジア諸国が米英仏露蘭に蹂躙された中での、世界史的に見ても奇跡的事業であると見える。

地球科学・地質学では東京の中央にナウマン、北海道にライマンという日本の地質学の黎明を特徴づける二人のお雇い外人がいる。その時代の人々の思いを見てみたい。そこの人間ドラマを見てみたい。

まだ読みはじめであるが、この本の冒頭から、当時徳川幕府の方がいかに世界を見ていたか、そして朝廷はいかに世界が見えていなかったか、というところから始まる。おもしろい!我々が昔習った常識と違う!そして孝明天皇は20代という若さであり、朝廷の重鎮、鷹司の重圧にいかに反発して判断を誤っていたかと。だから攘夷攘夷と叫べたのだと。ちょっと前の現代、気楽な野党、反米反米といえた構図に似ている。

 ペリーの来訪にはじまる激動の15年、ここに現代につながる原点がある。戦前皇国史観と戦後の史観においても見落とされて来た新しい歴史への視点、徳川幕府の正確な判断を超えてなぜ歴史は前へすすんだか?岩波新書にふさわしい力作に見える。久々に引き込まれそうである。その後にじっくりと近代科学の成立を考えよう。
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