途中で匿名の卑怯さに嫌気がさして、他の実名SNSを渡り歩いた。しかし歳を重ね、周辺の知人友人が命を終え、自分も体が弱り、晩節も残り少なくなっていることを実感するこの頃。
私のペンネーム「楽学天真」(学ぶ楽しさは天のまこと)のこのサイトの初心に戻り、公開だが匿名性が持つ自由さを晩節メッセージサイトとして発したいと思うようになったので記すことにした。
かつての読者のみならず新しい読者の皆様もよろしくお願いします。
ワクチン騒動に思う
この日本、のらくら意思決定社会。いろんな利害で行ったり来たり。
持てる者7%, 持たざる者7%, 5、4、3、2、1の5段階評価でいうと5と1。政治の世界では持てる者を右翼の側といい、持たざる者を左翼の側という。しかし右翼、左翼は2分法なので、それを5段階で焼き直すと、4(24%)は持てる側、2(24%)は持たない側、そして3(38%)は混じり合い両者がいる。
極右、極左は0.5~1.0%? この極端部分が蠢動すれば、世の中が動揺する。日本は、この蠢動が中からは生まれない文? 自然大災害の多い、かつ亜熱帯〜温帯の水が無限の国。この自然環境が、慌てずじっとしていればやがて神風が全てを押し流してくれるという稀な文化を作ったのか?
本当に不思議な社会で、興味深い。
健康保険延長手続き-ぼやき「雑務と実務」
これまで、生活に関わる煩雑な事務手続きは、秘書さんや妻や人に手伝ってもらって生きてきた。長らくお世話になった健康保険は雇用先から半分は支払われていたが、これからは違う。全額自己負担に変わる。それでようやく病院などで三割自己負担。その手続きを自分でやることにした(当たり前だが、それをしてこなかった我儘人生)。
昔、煩雑な事務仕事を「雑務」と呼んだ。研究を進める上で時間を取られるノイズ。それは煩雑だが次から次と降ってくる。それをこなして仕事をしていると誤解する向きが多いので、雑務には人を使いなさい、と先輩に教えられ、そうしてきた。一方別の先輩には、「雑務」と呼ぶことは、それをしている人へ感謝の念のない上から目線の証だ。呼ばれた方がどう感じているか、考えたことがあるか、まず、「実務」と呼びなさい、とたしなめられたことがある。
私は、後者の言い分に納得し、「実務」と呼ぶようになった。彼ら彼女らなしには、思う存分仕事もできないのだから、大変感謝してきた。
そして、本当に実質的にも隠居生活に突入することになった。健康リスクを抱え定期的に通院する私には、健康保険は重大問題。そして今日その切り替えのために、健保協会へ。高速を使って往復1時間半。面談5分。
「はい、あと2通足りないです」。証明書をもらって20日までに郵送してください。」と。
おまけに、ここはまだ印鑑世界! こんな手続き、ネットで面談しながら、書類がカメラでOKかどうか確かめれば住むことじゃん! 雑務に要した半日を返せ!私にとって最も大事なのは、今は時間なのだ!高速と駐車場にかかった金も返せ!
と叫びたい。若い時には、吠えてたね、きっと。
でも、対応女性の手続きの説明はうまかったし優しかった。分かりにくいのは、いつものことながらマニュアルだね。健保協会さん 早くYoutube解説並のものを公開し、チャット質疑応答ウェビナーにしてよ。
たまに高齢者ぼやきをお許しください。
終活(16)アルバム整理
写真、デジタル時代となった今世紀直前のものザクっと5万枚。父母の遺品を含めて同数。
さらに埋もれたものを含めて、どこまであるのか不明。それを整理しておかなければ、昇天(もしくは奈落)後、捨てられる運命。
大事な終活の一つ。
プリントはデジタル化が基本。残すのはとっておきのみ。何がとっておきか。以下に記し分類基準でそれぞれまずは各百枚?
分類は、これまで記してきたように3分類体型
① private (個人関係)
② nature and reserach (自然および研究関係)
③ public (人と学界・組織)
実行方針
使用ソフト apple 写真 アルバムシステム
整理時定数 五年間 一日平均30枚
icould アクセスを遺言指定しておく(他も含めて)
ますはprivateの下位3分類
① 家族・親族
② 同窓・同級友人
③ 一期一会友人
さ〜、これも粘りが勝負!始めるぞ〜〜。
卒業 別れと希望
曇天の桜満開、早散りゆく中、卒業式の装いが行き交う
マスク姿を除けばコロナ禍などないかのよう
卒業という儀式は、悲しみの別れ? それとも希望の始まり?
永いようで短かった人生
転校、卒業、就職、転勤、定年、葬儀--
多くの別れと出発を繰り返してきた
それらは悲しみの儀式? 希望の儀式?
悲哀が満ち溢れる中で、私はいつも思いは別で、先を見て喜んでいた気がする
時には微笑んでいたかもしれない
私自身の今年の別れは静かだ この静かさを楽しむことにしよう
新しい経験だから 来週にはどのような日々が始まるのであろうか