異形の仲間たち見聞録

私が見てきた精神疾患者たち

異形の仲間たちとの見聞録 「専門医が少ない『PTSD(心的外傷後ストレス障害)』」

2023年09月02日 11時57分32秒 | 異形の仲間たち見聞録
日本でPTSD(心的外傷後ストレス障害)がメディアに出はじめたのが1995年1月に起きた阪神・淡路大震災。余震や避難場所、その後の日常性を過ごす中で寝ている時や起きていている時もフラッシュバックや不眠、うつなど様々な身体症状に悩まされた。故 中井久夫氏はPTSDの研究や兵庫県こころのケアセンター立ち上げにも尽力されている。そういう所から見ると日本のPTSD、トラウマ研究は非常に遅いと言える。アメリカではベトナム戦争(1954~1975年)の帰還兵の異常な行動などから研究が始まっていることを考えると雲泥の差だ。日本でも第二次世界大戦/太平洋戦争の帰還兵や被災者にPTSDの症状は出ていたが、研究にまでは至らなかった。「戦争神経症」といわれるものである。私の外戚の叔父も大陸で伍長として戦って抑留生活の後、帰還したが寝ている時に大声を出したり、気鬱になったりすることが多かったと聞いた。しかし、昭和二十年代の日本には精神科に通うのは近所の眼もあったし、専門医は皆無であったことから治療することが出来なかったのだと思う。30年ほど前でも地方では精神科病院やクリニックは少なく、ましてやPTSDを診てくれるような医師は居なかった。現在でも都心や大阪などでも診てくれるところは個人医では少なく、大きな病院に行かなくてはならない。以前に取り上げた解離性障害当事者も妥協して、専門医ではない所に通院している人が多い。となると積極的な治療は行われないから寛解までの道は遠く、一生ツラい症状と付き合って行かなければならない。精神障害の年金もPTSDや解離性障害では審査が通りにくい。知識が無いからだ。病院でも詐病を疑われる。弁舌に優れている患者が雄弁にそれも長時間を掛けて説明しないと医師には伝わらない。しかし、そんな患者は当然少ない。この医療の怠慢は患者の苦しみを長くさせる。







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異形の仲間たち見聞録 「支援者が介入すべきなのか? ~統合失調症恋愛事情~ 」

2023年08月06日 00時00分19秒 | 異形の仲間たち見聞録
グループホームに務めていたとき、グループホームといっても建物一棟がグループホームなわけではなくて、アパートの4部屋だけが入居スペースだった。そんなわけで他の部屋は健常者もいれば、精神科に通院している方が混在しているところだった。
Nさんという六十過ぎの男性がグループホームの一室に入居していた。その方は統合失調症で、いつも夢想と現実を彷徨っているような人だった。Nさんの隣部屋の三十代の女性Jさんはグループホーム入居者ではなかったが、統合失調症当事者だった。Nさんの日中の生活に関して職員は介入せず、夕食と服薬確認、部屋の清掃、相談相手、金銭管理が主な仕事だった。後にNさんとJさんはどうやらお互いの部屋を行き来して、Nさんは朝食をJさんと共に摂っているらしい。いわゆる「老いらくの恋」というやつ。恋人のJさんはどのような気持ちなのか量りかねていたが、私としてはグループホームが介入するような事では無いと思っていた…。当時、私は毎日グループホームに入っているわけでは無かったので、当日勤務が同じ人から「経過」を聞いていて、同時に夕食中やその後に「問わず語り」をNさんから聞いて現状を把握していた。それも夢想か現実かこちらが神経を張り巡らせて聞く必要があったので大変骨が折れた。
そんな事が続いて、定例である月一度のスタッフミーティングがあった。そこで施設長が「これまでの経過を観て、Jさんの親御さんとも相談をして、Nさんとの関係を絶ってもらうためにNさんから身を引いてもらうか、もしくはNさんがこのアパートから転居してもらうかということで話しをして了解を得ました。私は「Jさんの了解は得たのですか?」という問いに.施設長は「いえ、親御さんとは話が出来たので」という当事者排除の物言いで、おおよそ施設長であり、精神保健福祉士(PSW)のものの言いようではなかった。その後も喰い下がったがのらりくだりの返答で、そのまま通ってしまった。そのまま通してしまった私にも責任の一端はあると思う。
結局、女性のJさんは親に言われるままに引っ越してしまった。Nさんは落胆の体で過ごすことになって、そののち妄想が激しくなって老年ということもあって、同法人の障害者高齢施設へ移った。その時は私はグループホームの職から離れていたが同輩の職員から逐一話しを聞いていたのでわかっていたが残念に思い、自責の念もあった。それから二年後にNさんはその施設で亡くなったことを法人の電子カルテで知ることとなった。
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異形仲間たちとの見聞録 「過眠と不眠の往復-『睡眠障害』」

2023年07月12日 15時37分27秒 | 異形の仲間たち見聞録
鬱の患者さんの間でよく聞かれるのが「寝ても寝ても寝足りない」、「ずーっと、寝てる/寝られる」といった『過眠型』の睡眠障害(こんな用語があるのかわかりませんが)。鬱の症状で「起き上がれない」というの睡眠障害とは言わないだろうが、鬱当事者はそれも睡眠障害とは考えている方も多い。逆に「寝られない」、「うたた寝する程度しかできない」の『過覚醒状態』というのも困ったもの。真偽の程はわからないが、アメリカで10〜20年も寝ないで過ごした女性の話を本で読んだことがある。夜になっても眠くならずに編み物をして朝まで居るとのことだった。それは精神障害に起因するものではないそうだが、ストレスなりそれ以外の原因で睡眠を司るところに異常が起こり、過眠になったり、覚醒状態が続いたりするのだろう。また、不眠になることによってか、ストレスが問題なのか、身体症状として「寝られない」こともある。「ベッドに横になっても、布団に接している肌が痛くなるので横になれない」、「足の先が誰かに触られているような感じがして寝れない」など、これも睡眠を司るところが刺激されているのか、誤作動を起こしているのかもしれない。精神疾患は人間の三大欲求に支障をきたすことはよく知られている。過剰になったり、減退したり、当の本人にしてみればたまったものではないが「これが決め手!」という治療法や薬後あるとは聞いたこととがない。一部に高圧の電気を流すような「荒療治」も有名な国立大学で今も行われてあるといいます。
上記の様々な『睡眠障害』は長く続くことが多く、睡眠薬や気分を高める薬の調整は非常に繊細でこのことでドクターショッピングせざるを得ない患者は多く、数年かかってもまだ見つからないことはざらだ。また、短期間で薬を変えるのも「何が効いて、何が効いていないのか?」処方する医師が混乱してしまう場面は多い。薬が落ち着いて効いてくるまで中期的な観察が必要で患者の言われるままに処方を来院のたびに変えてしまうのは非常に危険だ。また、医師も「薬万能主義」を捨ててじっくり腰を据えた治療をお願いしたいものだ。

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異形の仲間たちとの見聞録 「専門医が少ない『解離性障害/多重人格』」 

2023年07月04日 07時03分34秒 | 異形の仲間たち見聞録
一般に「多重人格」とし知られる『解離性障害』。私のように『PTSD(心的外傷後ストレス障害)』よりも専門医またはそれに準じるようなDr.は少ない。医療面で過疎的な道府県では居ないところも多いだろう。かといって患者は越県受診をするのは病状や金銭的面で難しい。そういう場合、解離性障害に理解の無いDr.を受診せざるを得ない場合も多いだろう。中には「興味本位」で患者を受け入れるところもあり、患者が日頃の困難を打ち明けるとDr.は応じきれなくなり「言っていることは虚言だ」などというのであればまだしも、恫喝するDr.も居ると聞いたことがある。患者としては「頼みの綱」と思って受診したのに、転院しようにも「また、新しいDr.にも怒られるのでは?」と疑心暗鬼や受診自体がトラウマになって二次被害のような形になってしまう。患者は漂流して未受診のまま過ごしてしまうケースもあり非常に問題だ。急性期の患者だと救急搬送されて隔離病棟に長く入院をして、それが二度と立ち上がれないような切っ掛けになる。私の知人だと最大で20人ほど人格が増えて、現在は減少傾向にあるものの10人程度だという。先日、連絡を取ったところ理解あるDr.に巡り会っているとのことだ。しかし、寛解までの道のりは遠い。その知人は発症から20年近く漂流していた。統合失調症、うつ病、双極性障害などを診るDr.は多い。都道府県の直轄医療機関で幅広い障害分野を網羅するような体制を取ることが必要なのではないか?



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異形の仲間たちとの見聞録 「『なぜ仲間はずれ?』コミュニケーションが難しい人たち」

2023年06月01日 11時57分21秒 | 異形の仲間たち見聞録
障害にかかわらず社会ではコミュニケーションは必須です。最小限の所では「家族」、「友人」、「学校」、「職場」などですが、最近の言葉で言うと「空気が読めない」「自分本位の発言が多い」という所が目立つと関係を深めることが困難になります。でも、「なんで?」と本人は気付かないことは誰にでもあることです。
障害を抱えるとコミュニケーションはさらに困難になると思います。コミュニケーションを取るにあたって、まさに『(心身)障害が障害』になるわけです。見た目、言動、行動を周りが見て「この人とはお話しするのは難しそうだな」と思えば、相当関心を引くような人では無い限り回避するのは当然の話かも知れません。さらに障害当事者が「私は大変な目に遭って、こんなに困っていて、世界で一番不幸なんだ!」と態度や言葉に出てしまうと、ザワザワと音を立てて下がっていきます。また、相手の気にするようなことを躊躇なく話してしまったり、相手を怒らせてしまうような行動を平気でしてしまったりすることは界隈でよく聞く話しです。周りの人が「こうした方が良いよ」とか「この人とはこう接すれば関係が良くなるな」という親切な行為は稀有です。
例えは変ですが「服の後ろにウンコが付いているのに、誰も教えないで遠くで笑っている」ということが障害を持っている方々が状態が直面している現実です。結局、本人は原因が分からずに過ごしていくということ。「なんで誰も近づいてこないのだろう?」…。障害者と孤独はセットになっている。マスコミに出ている障害者は『障害者界のトップオブザトップ』なので、それ以外の方からは共感を得られないことが多い。それどころか嫉妬、やっかみの対象になることが多い。嫉妬ややっかみは障害者が抱える困難さが反映されたものなのです。


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