私が接してきた障がいを持つ人達、特に「うつ」、「解離性障害」、「統合失調症」、「PTSD」等々。家族に恵まれない方は少なくない。虐待、育児放棄、家庭崩壊と理由は様々ですが、後になって精神疾患の症状が出てくることも多くて私が接してきた方々のほとんどがそうであった。子供にとって成長過程での家族環境は脳の発達などに大きな影響を及ぼすと言われてる。
私の場合は、Dr.が書くカルテには書いていないこともというより、その他の書いていないことが疾患の直接的、間接的に影響を及ぼしていると思っている。
これは「障がい」という程では無いのかも知れないが、「親に捨てられた」、「自分の人生が狂わされた」と思っているケース。
中学生の頃に両親が離婚。出ていった母には付いていかず、父の元で育ち四十代で結婚、二人の子供を授かり、仕事に趣味に充実している、と思われていた。出ていった母とは会っていなかったわけではなかったが、遠距離であったこともあり、頻繁には会っていなかった。会うと母親に対して説教をしたり、電話でも辛く当たったりもしていた。その母親が不治の病に罹った。人的にも金銭面的にも脆弱であった母親は自分の子供に頼ることはなかった。母親は友人たちに身をゆだねて「大きくなった」はずの子は、ただただ「病院に早めに入れた方が良い」という一方で母親の「ギリギリまで自宅に居たい」という意向を無視した。母親は自宅で粘ったものの2週間の入院の後、亡くなった。子は葬儀に参列することもなかった。
ただ単に「子の意趣返し」だったのか?
結局、母と子の距離は縮まる事はなかった。
一方、子には「愛着障害」の一般的な行動も観られた。
定職に就いたのは四十代であったり、深い人間関係が構築できない、など。
子供の頃に起きた、子供にとって「天地が裂ける」ような衝撃が後年の人生に影響しないという方が不自然な解釈なのかも知れない。また、子供の時に両親が離婚した家の子供は結婚後の離婚歴は、両親が離婚せずに育った子供の離婚率と比べて高いことはよく知られている。
昨今の離婚率は高く「理想的な家族」「羨ましがられるような家族」というのはTVでも観られなくなた。「幸せの形は様々」という言葉が最近よく聞かれるが、両親が離婚して両親がそれぞれの人生をそれを幸せと思って邁進するのはかまわないが、「親の勝手な幸せ論」で子供が不幸になることは理不尽だし、「むかしの世に親が子供の犠牲になって生きるなんて...」というのかも知れないが、その覚悟無しに親になってはいけない。
その子が障害者になっても、親は子より長生きして世話できるわけではない。子供に対する親の身勝手は許されるものではない。
また、そのような環境で育った子は自分の環境に甘えてはならない。いっときは「自分は不幸だ!不幸だ!!」と思う時期があっても良い。それを大の大人まで引きずるのはそれこそ大人げない。乗り越えることが出来ないと思っても治療や自分の人生や親の人生を冷静に振り返ることによって冷静に見ていけるのではないか、そうでなくても感情を表面に出すほどにはならないのではないか?と考えている。