金魚日和

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あと13日

2013年04月04日 | 本・作家

Direct Mail~故人が愛した三色で】 

再来週の今頃は、
君の『最初で最後』、と銘打たれ個展が幕を開けている筈。

開催にこぎつける為に東奔西走していたナカムラミオさんを筆頭に、
多くの仲間が~君が聞いたら卒倒するような名だたる作家達と関係者が~個展開催の為に尽力してくれた結果、
君の不在が信じられないような素晴らしい展示が実現するみたいだよ。

・・・ってスマン、「~だよ」って言うのは、、、あまり手伝って無いんだ、オレ(笑

当日はイチ来廊者として楽しませていただきますm(_ _)m

*     *     *

今日は4月4日。
自他ともに認める女好きだった君には少々ふさわしくない『オカマの日』、月命日。
でもほら、なぜかオカマ疑惑も持ち上がってたよね(笑

ショートカットの茶髪にベビーフェイス、
キモノ着て『錦でチーママやっとるで来てねぇ♪』と言えば、
そのスジの人が見ても疑われ無い程度にはママっぽかった、とは思う。

真剣に『いかに自分が女好きであるか」というメールを送って来てくれたことが懐かしなぁ。。。

*     *     *

日常の、ちょっとした出来事で君の不在を思い知らされることがある。

数日前、君のブログの様子が変わっていた。
『60日間投稿が無いためテンプレートを切り替えております』、だってさ。

管理者不在なんだからどうしようも無いじゃんねぇ(笑

君がいなくなったまま、今も時を刻み続けているブログを見るのは、なんだか複雑な気分になるよ。

*     *     *

7日、次の日曜日。
『花見』を口実に、皆でサラに集まります。

ちょこちょこと暴露ネタが耳に入って来るようになった昨今、悪口満載で楽しませてもらうね♪

では3日後に。

*     *     *

鈴木聖也展
~さいしょでさいごのてんらんかい~

4/18(木)~4/28(日)
12:00~18:00(月・火・水曜日休み)
 
名古屋市中区栄5・4・33 えいわビル1F
ハートフィールドギャラリー
 
是非とも足をお運びくださいませ
  


@GRASSE

2013年02月24日 | 本・作家

Nikon D90 + AF-S DX NIKKOR 16-85mm f/3.5-5.6G ED VR

お友達と談笑する縞々パンツにブルー・ニットな出立ちの女性は、
メープルシロップとカエデの関係を知りません。
一体全体、メープルシロップは何から出来ていると思っていたのか逆に訊いてみたいのですが、
返って来る答えが怖くてソレも出来ません。

が。

彼女は美しい絵を描きます。
どうやら、色と形と直接対話が出来る人のようなのです。
…人との会話ですら満足に出来ないような人なんですが。
  

鳥居純子。もうすぐ35歳。
 
鳥肌実氏の尻を見ても「絶対に欲情しません。」と言い切る女。
浴場の絵を描いて『風呂』というなんのヒネリも無いタイトルをつける友人がいる女。
※談笑中の相手ではありません 

そんな彼女は、
「描き続ける」という契約さえ守れるのであれば、
絵の神様(&笑いの神様)から惜しみない愛情を受け続けられる人のようです。


げっ歯類界の栗山千明と呼ばれているその人は、
少し早めの誕生日プレゼントとして、『個展大成功』という贈り物を貰いましたとさ。


おめでとうございます&おつかれさまでした
  


The first step

2012年12月11日 | 本・作家

Nikon D90 + TAMRON SP AF90mm F/2.8 Di MACRO


専門科に属していた高校の3年間と浪人期間である1年間、
大学受験に失敗した後、細々と描いていた数年を足した《のべ10年にも満たない年月》が、
自分が絵画に関わっていた全ての期間である。

そんなワタクシ、合格にはいたらなかったものの、わりと優秀な『受験用絵画の受験生』でしたの♪

だがその『受験』というワクが外れ、『作家として作品を作る/表現してゆく』という段になってはじめて、
自分には『表現者としての資質がそなわっていない事』に気がついた。
ただ『描く技量を有していたから猫いていた』のであって、『描きたいモノ・描くべきコト』があった訳では無かったのだ。

公私ともに色々な出来事と重なった結果、
自らの資質に気がついたその時期を境に、絵筆を握ることはなくなった。

今から10万20年あまり前の事である。


そんな『中途半端な作家生活経験者』でしかない自分が、
今まさに作家としての第一歩を踏み出した若者~恒森将晃さん~の作品展を観に行った。
ご丁寧にも若者の師匠は、観に行く前から「観終わったら感想レポートを提出するように。」と通達して来た為、
なんとかソレラシイモノをでっち上げてみたいと思う。 

※         ※         
 

今年の9月。
展示会のDM制作を請け負った関係で、はじめて恒森さんの作品を見た/手にした。
その時の正直な感想は、「・・・・・・。。。」


好き嫌い/良い悪いを評する以前に、
自分にはどの面を切り取っても語るべき言葉を持ち合わせていない作品に思えた。
簡単に言えば、《とっかかりが無い》。

もともと『受験絵画』で終わっている自分には、『抽象画』を咀嚼し評価出来るだけの度量が無い。
色や構図を手がかりに解釈の真似事が可能な作品もあるにはあるのだが、
恒森さんの作品にはその手がかりさえ見つけられそうになかった。

どうしても先入観とある種のレッテルを貼ってしまいそうになる。
出来るだけニュートラルな状態で個展会場入り出来るよう、10万2分程滝に打たれてから名古屋へと向かった。


会場のドアを開けるといくつかの作品が目に飛び込んで来た。
その中には自分が知っている唯一の作品~とっかかりがみつからなかった小品~も含まれていた。
会場に入り「はじめまして。」の挨拶を交わし、ゆっくりと周囲を見渡す。
隣り合う作品を眺め、何度か会場内を往復していると、
数ヶ月前、初めて作品を前にした時とは明らかに違う印象で全体を眺めていることに気がついた。

それはギャラリーという空間がもたらした作用(会場にのまれた:なんとなく良く観える)では無く、
お互いがお互いの作品を補完しあうことで生み出している『翻訳効果』的なモノの為せる業。
『ただ塗っている』ようにしか観えなかった画面には、『描かれたモノである主張』が漂っていた。


1つの作品だけでは『無秩序』という『秩序』すら感じ取ることが出来なかったのだが、
いくつかの作品がならぶ事で、『知性と生理により構築されたモノであること』が明確に感じられた。

これなら大丈夫◎これなら理解出来る。
師匠曰く「(観に来られた人の感想は)予想以上の高評価」だという現象も、これなら頷ける。
そこに在るのは『知性と生理が支配している画面に経験が加わって行く過程を楽しみにさせてくれる作品ズ』だったのだから。


今はまだ、取り入れるべき事も捨てるべき事も沢山ある作風/作者である(偉そうでスミマセン)。
現時点での作品単位での評論は師匠にお任せするとして、
小さいながらも、社会に対して『自分はココにいる』というクサビを打ち込んだ若者にエールを送りたい。

なにはともあれ、初個展、おめでとうございます。描き続けて下さい。


結論:文中、1カ所だけ『描』でな無く『猫』の部分がある。
  


異形の美

2012年11月15日 | 本・作家

Nikon D90 +AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED


その昔、
『ロボコップ演芸』で一世を風靡したのは『吹越満(ふきこしみつる)』氏。
ギーガシャん ギーガシャん
ギーギー  ブルルルルっ バスバス。

その吹越氏とギーガシャん、
字面&リズム感は似ているもののブルルルルっ、
全くのギーギー、別人であるのがバスバス『舟越桂(ふなこしかつら)』氏だ。

ドンガシャン ドンガシャン ドンガシャン ドンガシャン!

…この記事は元ネタを知らないと少しもギーガシャん面白く無いな。って事で、【youtube】


先の日曜日、とある喫茶店のトイレで恐怖した後、
小牧市にあるメナード美術館に『舟越桂展』を観に行った。

舟越氏の作品を簡潔に説明すれば、《木材を寄せ、削り、磨き、着彩した彫像》である。
彫刻家として活動を始めた比較的初期の作品~1988年発表の『冬の本』~で氏を知ったわけだが、
恥ずかしながら実際の作品を目にするのははじめてである。
期待とトイレ内での恐怖を引きずりながら会場に足を踏み入れた。
 

最近の作品に近い『スフィンクス』のシリーズが出迎える【展示室1】を抜けると、
初期の作品が集まった【展示室2】、
『月の降る森』だけが飾られた【ミニギャラリー】を挟むように、
おもちゃや絵本を展示した【展示室3】と、最近の作品が展示された【展示室4】が配されている。
※さらに奥へ進むと、舟越氏がセレクトした収蔵絵画が展示してある【展示室5】もあります。
 個人的にはこの展示がものすごく面白かった:シーレ大好き◎


写真やモニター越しでは解らなかった/見えなかったモノが、ソコにはあった。

木でなければならない理由。
着彩の効果。
生き物として『眼』が持っている記号性の高さ。
  

先に上げた《木材を寄せ、削り、磨き、着彩した彫像》
という説明は、実際の作品を目にした事が無い人間の説明であり、
今となっては《木材を寄せ、削り、磨き、着彩して命をまとわせた彫像》と表記すべきだと感じる。


生きてはいないが、命の切れ端を身にまとっている作品。


「体温は低いが外気温と同じでは無い」
「呼吸器官は無いが血液は循環しているかもしれない」
「脳内で結像することは無いが目には何かが映っていそうだ」と思わせる程度の生命力・生命感。

それらは《本物そっくりにツクラレテいるから》という次元とは根本的に異なっている。 


《木材を寄せ、削り、磨き、着彩して命をまとわせた》舟越作品は、
《死亡したニンゲンに色々なモノくっつけて再生させた『ロボコップ』》に似ているのかもしれないバスバスバスっ。
  

結論:感じ方には個人差がある

展示期間は残り10日。「名前は知ってるけど実物を観たことが無い人」はダッシュすべき。
  


フェルマーの最終定理

2011年10月14日 | 本・作家

D90withタムキュー@東山植物園

クシャミとともに腰が崩壊したその日
身動きがとれないのを良いことに、横になってひたすら本を読んだ。

当初は土屋賢二氏、中島らも氏、原田宗典氏らの軽目なエッセイを手に取り適当に読み飛ばしていたのだが、
折角結構な時間があるのだし、日頃の習慣:就寝前の読書タイムでは手を出し難い類の本を読もう、と思い立った。


当然、自宅にある本なので過去に一度は読んだことがある本が対象だ。
その中で“もう一度読みたいとは思いつつなんらかの理由で読んでいない本”を数冊ピックアップしてみた。
で、最終的に残った候補が以下の3作:
 ・イエスの遺伝子/マイクル・コーディー
 ・奇妙な論理~だまされやすさの研究/マーチン・ガードナー
 ・フェルマーの最終定理/サイモン・シン

『イエスの遺伝子』
遺伝子学者の主人公が娘の遺伝子を解析した結果、余命1年であることを知る。
死を回避する為に“奇蹟の治癒能力を持つ人物のDNA~イエスの遺伝子”を探し回り、やがて、、、といったお話し。
~エンターテイメントとしては楽しめた記憶はあるが、いまいちトンデモだったかも、で、却下~

『奇妙な論理』
その“トンデモ科学”を批判的に楽しむ体系の基になったとされる名著。と、言われている本。
~著者の分析・解析能力が高いことはわかるのだが、ちと退屈/文体(勿論翻訳)が生理的に合わない為却下~

というワケで、『フェルマーの最終定理』を読むことにした。


日本語版の単行本が発売された当時(2000年)、書店で冒頭の数ページを立ち読みしてすぐに購入に走ったこの本は、
17世紀の数学者ピエール・ド・フェルマーが書き残した1つのメモと式~“自分はこの式の証明が出来るけど、アンタ達出来る?”
という挑発に対し、歴代の名立たる数学者達が立ち向かっては破れ、
360年(!)の月日が経過した後、ようやく一人の天才数学者が完全証明するまでに到った過程を
ピタゴラスイッチの時代から現代数学までの流れを解り易く解説しつつ追ったドキュメントである。


いやぁ、久しぶりに読みましたが面白いですよ、この本。
酢の物以上に“理数はサッパり”な自分でも十分理解できます
(ところどころ理解できない部分も出てきますが、本を読み進める為の足枷にはなりません)。

こういった時間の使い方が出来るのなら、ギックリ腰も悪くないかも、と思えるほど。


結論:仮病に勝る安らぎ無し