金魚日和

最近の活動はインスタにアップしています

サヨナラ

2012年05月31日 | 生活

Nikon D90 +AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED

誰よりも安定を求め、
平々凡々に暮らすことを良しとし、
一生だらだらと生きて行くものだとばかり思っていたmy人生にこんな転機が訪れようとは。

今日は朝から引越し準備の為、狭い事務所の整理に追われていた。
“いた”と過去形で書いたものの、18時現在、いまだ終わっていない。
おそらく明日もまた、目に汁を溜めながら“書類の山~自分が手がけた仕事の形見~”を捨てなければならないのだろう。


本日付けで事務所を退職・退社することになった。


そう書くとだな、大半の人が
 「ついにクビになったのか金魚主」
 「むしろ今迄よく続いたもんだ」
 「ハローワークに行くにしても道に迷って辿り着けんだろアンタ」

などの激励の言葉をかけれくれそうな気がするのだが、
残念ながら現実はそんなに甘くはなく、いわゆる“ヘッドハンティング”な移動なのだよこれが。


話し自体は数年前からいただいてはいたのだが、
なによりもノホホン♪と暮らしていたい自分である、
仕事としてはやりがいがある環境なのは解っていたのだが、それ以上にダラダラした生活が捨てがたく、
遠巻きにお断りして今日まで来た。

が、色々なこと~本当に色々なことが重なった結果、あっ!と言う間も無く話しがまとまってしまった。
正直なところ、今でも“明日から環境が変わる”という実感がわかない。

実感がわかない原因の一つには、
自分個人が転職するのでは無く、今ある会社ごと移動する、という理由もある。
そう、内部的には『経営者・出資者』が変わるだけで、対外的なことは何も変わらないのだ。会社名もそのまんま。

ただ仕事をする場所のみ移動するのだが、事務所機能が完全に移行出来るのは来週の中頃であろうか。
それまでは慣れ親しんだ場所で仕事をする為、いまだに自分の決断が信じられないでもいる。


とは言え、今日だけでも相当な量の書類を捨てた。
持って出ることも考えたのだが“これも良い機会なのだろう”と、
これからのキャリアに必要なさそうな書類は全て捨てた。

“モノを捨てる”という行為が、これほどまでに悲しみを伴う行為だとは思わなかった。


今日に限っては『オセンチ三段/茶帯』、位の心情である。

今、優しい言葉をかけられるとコロっと騙されそうなので、
『英語教材』や『宝飾品』、『壷』などの勧誘販売はご遠慮下さい。
 


ムラサキッズ

2012年05月30日 | 音楽

【@名古屋栄の歩行者天国】
Nikon D90 +AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED

画像のクオリティは別として、
海外ブランド製ファストファッションのイメージ写真のような親子である。

…似合うなぁ、紫。

やはり“紫の雨(パープル・レイン/プリンス)”が降ったり、
“あぶない薬のカプセルが紫(パープル・ヘイズ/ジミ・ヘンドリクス)”だったり、
“濃い紫(ディープ・パープル)”なんて変なバンド名で「俺は高速道路の星ぃ~っ♪」なんて歌う国の人は違う。

我がお箸の国と来たら、、、…“村さ来(居酒屋)”が精一杯だもの。


結論:書くことが無い日は無理矢理更新してはいけない
 


名前を憶えられません

2012年05月29日 | 生活

Nikon D90 +AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED

地域性や世代による違いはあるのだろうが、
小6女児であるmy娘の周辺は、皆名前~『姓・名』で言うところの『名』~で呼び合っている。

『さくらももこさん』を例にすれば、“さくらさん”でも“ちびまる子ちゃん”でも無く、“ももこちゃん/ももこさん”。

そのこと自体問題があるわけでは無いのだが、
どうにも今時のご学友ズの名前は憶えにくい。
『ゆうか/ゆか/ゆな/ゆうな/ゆいな/ゆきな/ゆきえ/ゆき/ゆうき』。

この例は極端だとしても、会ったことも無い顔も知らない子の名前をあげられて、
「昼休みね、“ゆうかちゃん”と“ゆかちゃん”と遊んでいたら突然“ゆなちゃん”が~」
とか言われても、頭に入らん。画が浮かばん。何度聞いても記憶に残らん。

せめて
「昼休みね、“アホの坂田似”と“脱税で捕まった農家”と遊んでいたら突然“ストライプさん”が~」
位だったらまだ脳内に記憶すべき場所もみつけられそうなのだが、
『あだ名』的なものをつけるのは良く無いとされているのだろうか、そんな名詞は聞いた事が無い。
「だから“ゆいな”ちゃんじゃ無くて“ゆな”ちゃんだって!」とか怒られてもションボリルドルフ極まりない。
※上記の特徴は、実在するかもしれない“ゆうかちゃん/ゆかちゃん/ゆなちゃん”とは無関係です


自分よりは幾分ご学友ズを把握しているmy妻でも名前だけで記憶することは難しいらしく、
顔と名前、行動、特徴、年収、得意な相撲の決まり手等が一致しないことが多々あるようだ。

「“ほのかちゃん”って知ってる?…どんな子だったかなぁ、、、苗字とか知らないよね?」と聞かれた昨日、
「佐賀じゃね?」などと即答したら“ちょっとお前さんやるじゃない”的にほめられたものの数分後、
my娘に間違いを指摘されたらしく「佐賀じゃねーじゃねーかーっ!(怒)」と文句を言いに来た。


あんなぁ、聞いた時点ですぐに気がつきたまえ:さがほのか is イチゴの品種名
 


イカソーメン祭り

2012年05月28日 | 料理・食べ物

【画像はイメージです】
Nikon D90 + AF-S DX Zoom Nikkor ED 18-70mm F3.5-4.5G

先週の土曜日、急遽実家へ帰った。

庭に来るヒヨドリに餌をやることだけが生きがいのmy父が倒れた訳でも、
普遍的な固有名詞を使わず主観的な目線でしか会話出来ないmy母、例えば、
「昨日ダンプ通りでツタちゃんが転んだでしょ?その時ね~」
…どこなんだよダンプ通り/誰なんだよ、ツタちゃん、
そのmy母が事故を起こした訳でも無く、『急遽』った理由は処理できない魚介類を沢山手に入れた所為だ。

この手のモノを手に入れた時は自他共に認める暇人にして料理好きのmy父に捌かせるのが一番である。
『即席民宿・金魚父』を開店させるべく、クーラーボックスを手に帰郷った。


遡ること土曜日の15時過ぎ、自治会でお世話になっている釣り好きのご主人Nさんからメールが届いた:イカ食べる?
以前にも数回釣果をお裾分けっていただいたことがあり、今回も二つ返事である:もちのろん♪

前回、大量のイカをいただいた時は、仕事の関係で自分だけ『即席民宿・金魚父』に寄れず、
女子ズから「美味しかったよぉ~」という言葉だけを聞き、人知れず、なだそうそう。
今回はなにがなんでも参加する、そんな強い意志のもと、17時過ぎにはNさん宅を訪れた。


今回のイカは『スルメイカ』なのだそうで、前回の『アオリイカ』の方が美味しいかも、との事。

そんなこと言われても“イカの食べ比べ”などした事が無いし、
その違いは“峰竜太と竜雷太”より大きいのか小さいのかもわからない、
第一、新鮮なものならナニ食ったって美味いに決まっている。
10杯ほどのスルメイカと、『ハナダイ』とかいう30cmほどの綺麗なタイを5尾、
『マダイ』を鯛しゃぶ用におろしていただいたもの(当然そのまま刺身でも食える)をいただいた。
…ドーナツ8個と引き換えではあまりにも申し訳ない量だ:多謝。

19時過ぎに実家へ到着。そこからイカを処理しはじめるmy父。
電話では「イカを持って帰る」とだけしか言わなかった為、『キンキの煮付け』などを用意してくれていたmy両親ズを尻目に、
「腹減ったぁ~♪」と言うなりキンキをつつき出すmy一家三名。極楽&デリシャス&コンフォータボォ~◎
メインのイカが出てくるころには満腹モードになりかかっていたのだが、食べましたよ勿論、ええ。

2、3mmの細さのイカズを10本あまり、箸ですくって醤油につけ一気に口の中へ。
そりゃー美味いだろ。美味いに決まっている。美味く無いわけが無い。

続いてはmy父オススメの食べ方:『イカソーメン丼』で食す。作り方は、
1.暖かいご飯の上にイカソーメンを5、6cm分豪快にのせる
2.真ん中を少し窪ませ、そこにウズラタマゴの黄身を割り入れ海苔をパラり
3.お好みで青紫蘇の千切りなどを加えた後、醤油を回しかけ一気に食う

刺身で食べた“パキパキ感”とは違い、“ねっとり/まったり”しかけたこの食感も捨てがたい。美味。

自分以外の4人の総論としては、「確かに前回のイカの方が美味しかった」と言うのだが、
その違いは“柳田国男と国木田独歩”より大きいのか小さいのかは誰からも説明がなかった。


結局、鯛しゃぶを食べた時点で「もう食えん」と言うことになり、
ハナダイは開いた後、天日干しし『一夜干し』に、そのまま冷凍してもらい、次回帰郷った時に食べることにした。


結論:そんなに美味しいんですか?アオリイカ
 


デジイチ講座【実践編】、の番外編

2012年05月27日 | カメラ・撮影

【画像としてはあえて無防備】
Nikon D90 + AF-S DX Nikkor 35mm F1.8G

もともとは、“絵を描く峰不二子さん”から、
「部屋の中では上手に作品(絵画)が撮れない」
「暗くなったり黄色くなったりする」
「思ったように撮れないのよぉぉおおぉぉおっ!」
「でもあなたのハートを盗ることなんて、カ・ン・タ・ン♪」

などと言われたことをきっかけに書き始めた『初心者の為のデジイチ講座』
【実践編】を書くにあたり、あらためて同じような状況を想定して撮ってみた。
その内容は追々書くとして、今回は題材となった『絵』に関して少し。


20数年前、画家になることを夢みていた頃に描いた作品で大きさは1メートル×70センチ位。木の板に油彩。
当時は「安上がりだから」という理由でキャンバスより板やパネルに描くことが多かったのだが、
そんな板ズは絵画から遠ざかるに従い“デカいだけで邪魔な場所取り名人”になる。
引越しの度に壊したり破棄したりして、当時描いたモノのほとんどは粗大ゴミと化して消えた。
実家の玄関ホールに掛かっているコイツだけが、見れる状態で残っている唯一の作品だ。

ちなみに、当時開いた個展の案内ハガキにも使用したのだが、
その印刷を請け負ってくれたのが焼酎力さんのお父様。
まったく金になどならない仕事であるにも関わらず、もの凄く親切に対応していただいだ。今更ながら、多謝。


あまり実家に帰ることも無く、また帰ったところでマジマジと見るような機会もなかったのだが、
昨日、たまたま実家ったこともあり、“被写体として”久しぶりに対峙してみた。
 
気付いていない:意識していないモノまで写りこんでしまうのが『写真』の特徴であるのに対し、
『絵画』は、描くこと/描かないこと全てが自らの意志の帰結である。
当時は“それなりに描けている”と思っていたのだが、、、いやはや、作品として完成させるには全く手が足りていない。
もしくは描かなくて良いものを描きすぎている。
そもそもそれ以前に、、、。


20数年ぶりに焼酎力さんと再会してからというもの毎月のようにお会いする機会があり、
遅くまで語りあう中で『この作品の先にあったモノ/捨ててしまった絵画への想い』みたいなものがフツフツと沸きはじめていたのだが…
写真にもそれなりの欲を抱き始めた昨今、
皮肉にも、当時も今も変わらないコトは“テーマ不在のサクヒンである”、という点だけを再確認してしまった。


結論:他人のハートを盗る為には資質という名の才能が必要


~5月28日追記~
焼酎力さんが、この絵と当時の/今の自分に関して記事を書いて下さいました
この場を借りしてお礼申しあげます:ありがとうございました