金魚日和

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Painkiller

2012年10月31日 | 音楽

Nikon D90 +AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED
  

TOYOTAに『マークX』という車がある。

《大人の男》をターゲットにして売り出されたこの車、
2004年の登場以来、一貫してシリがムズ痒くなるCMを連発している。

イメージキャラクターに佐藤浩市氏を配し、
《この車を買いさえすれば貴男も『出来る男/色気のある男/部下(♀)から想いを寄せられる男』になれますよ》と啓蒙、
世の中に大量の“自称・佐藤浩市”なお父さんズを輩出してしまった罪な車だ。


幸いテレビを見ない生活をしている為、“自称・佐藤浩市”になることは免れて来たのだが、
近頃、出勤時に聞いているラジオのCMで耳にするようになった。
地方局制作の地域限定モノなのかもしれないが、今展開中の内容は:

 娘:お父さんが一番燃え上がった恋をしたのは、いつ?
 父:なんだょいきなり
 娘: ねぇいつ?
 父:…これからに決ってるだろっ(きっとドヤ顔)
 娘:はぁ"−っ!?

みたいなヤリトリのモノ。聞いているコチラが恥ずかしくなる事この上ない。


最近は正気を取り戻す為 &『自称・佐藤浩市病』の発症を防ぐ為に、
よくこの歌↓を視聴している。

『俺なりのペインキラー/The 冠』

※ニコニコ動画を見れない方はyoutubeでどうぞ:ただし低解像度


結論:人間、どこかでバランスをとることが大切だ


【解説】

ここで言う『ペインキラー』とは、『ジューダス・プリースト』という有名なヘビーメタルバンドの有名な曲のことです。
動画は、日本が誇るヘビーメタラー、『The 冠』さんのライブの模様。
 
合コンの場で独り浮いている冠さん。周囲に話しかけるも全くウケない/相手にされない。
キャバ嬢から「なにか歌って」と言われて『ペインキラー』を本気で歌うもドン引きされてしまう。
 
という悲しみをヘビーメタルサウンドにのせて絶唱しております。是非最後までご視聴下さい。
  

  


フルサイズの誘惑 VS F2.8ズームの誘惑

2012年10月30日 | カメラ・撮影

【キンモクセイ】
Nikon D90 +AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED
  

働けど働けどなおわが生活楽にならざり。ぢっと手を見る。

…昔はメチャメチャ生命線が短かったのにいつの間にか長くなってる!
ってそんな話しでは無い。


それなりに働いているように振る舞ってはいるのだが、なかなかどうして、生活は豊にならない。
それは勿論、《振る舞っているだけで実際には大して働いていない》所為なのだが、
それでもそろそろポルシェの1台位、買えても良いような気がする。

「ぼくは しょうらい そうりだいじんになる 気がする。」という小学生男児と同じレベルでの「気がする」、な訳だが。


最近、my物欲が賑わしい。

4月に『ナノクリマイクロ』こと『AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED』を買った後は
比較的大人しくしていたmy物欲スピリッツなのだが、
『D600~廉価フルサイズ機』の発表・発売騒動を機に、俄然その存在の主張をはじめた。
信憑性がありそうなソースで《本体価格15万円位かも!》などという釣り糸が垂らされた為、
「その気になれば買えるじゃん!」なんて思ってしまったのが運の尽き[その1]。
※実際には売り出し価格は22万円でした;今現在もさして変わらず

一旦『15万円』という金額を払う気になってしまうと、
今迄買う気も無かったモノまで「・・・買えるじゃん」と思いはじめるのが単細胞クオリティ。
セミに生まれていたら間違いなく『(その)ヒグラシ』であっただろう。
  

今使っているカメラ『D90』に不満があるのかと言えば、無い。
『D60』を使っていた時には明確な不満~操作性が悪い/ファインダー倍率が低い/サブ液晶が無い等~があったのだが、
D90をランクアップしなければならない必要性を感じたことは、全くと言って良い程無い。
「フルサイズ機 or D600が欲しい」というのは不満からではなく、純粋にまだ見ぬ新しい世界への憧れからだ。


なので、D600、もしくはそれ以降のフルサイズ機を待つことは苦では無い。
そのかわり、まだまだこの先もD90を使うのだと思ったら、あらためて常用ズームが欲しくなってきた。

春先位までは『AF-S DX NIKKOR 16-85mm f/3.5-5.6G ED VR』が欲しいレンズの筆頭だった
広角端が16mmであること、解像感に定評があること、手ブレ補正機構がついていることなどがその主な理由。
ほぼ購入することを決めていたのだが、タイの洪水により供給が不足し価格が高騰、
もとの水準に戻るのを待っている間に、ダークホースだったナノクリマイクロさんを買ってしまった。

これが運の尽き[その2]。

焦点が合っている範囲はカリカリに解像し、それ以外は気持ちよくボケるナノクリマイクロさん=開放F2.8。
同じくF2.8まで絞ると無敵状態になる『AF-S DX Nikkor 35mm F1.8G』。
それら開放F値が小さいレンズに慣れてしまうと、単焦点とズームという違い以上に、
手持ちズームの『AF-S DX Zoom Nikkor ED 18-70mm F3.5-4.5G ED』では物足りなさを感じてしまうようになった。
もともと『開放バカ』なのだ。

最近ではもっぱら先の単焦点2本だけを持って散策るありさま。
今更『f/3.5-5.6』というズームには魅力を感じなくなってしまった。
  

そうなるとですね、標準ズームの中でですね、残された道はとなるとですね、
『AF-S DX Zoom-Nikkor 17-55mm f/2.8G IF-ED』しか残されていない訳ですよ、純正レンズの中では。
※『AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8G ED』という選択もありますが、それにはまた別の問題がある

17-55mm。良いレンズなのでしょう。
なんせ重さは755グラム、希望小売価格は22万円(税別)のレンズなのだ。
ちなみにD90は620グラム。余裕でレンズの方が重い。

当然、22万円(税別)のレンズなんか買える訳が無い。
ぢっと手を見て、穴が空くまで見続けたとしても、買えるか!そんなもんっ!      …新品ではね♪

最近の中古相場では8万から10万円といったところのこのレンズ。
どーよこの悩ましい金額。計上予算内で買える金額。中途半端に手が届きそうな金額。

数日前、カメラ店で中古のソレをmyカメラに装着させていただいた。言うまでもなくコレが運の尽き、[その3]。

あー欲しい、、、欲しいすぎる。
ほしのあき以上に「ほし~の♪」と言っている毎日だ。

コレを我慢してその後フルサイズに移行するのか。
※大雑把に言うと、このレンズはフルサイズ機では使えません
それともコレ買ってD90を使い続けるのか。
あるいは、
油田を掘り当てて両方&ポルシェを手に入れるのか。


結論:そのまま単焦点2本の生活を続ければいいんジャマイカ
  


UK_5-3

2012年10月29日 | カメラ・撮影

【動き出せば300km/h】
Nikon D90 +AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED


【続き】
残りの展示期間は一ヶ月をきった。

これまでの葛藤を大雑把にまとめれば、
『被写体自体に魅力・価値があるモノを探し出し、それを写しとること』がmy表現における正解なのか、
それとも『ありふれた被写体でも、自分の感性で切り取った画』こそが正解なのか、という問題になる。

前者へのアプローチが《触れ合う人ズの姿をカメラにおさめる》と言う事だとすれば、
後者は、カメラに嵌るきっかけにもなった《光と影、色、構図の面白さに惹かれた被写体》と言う事になるだろう。

その選択に加え
『デザイン屋としての感性と画像加工技術はどこまで画作りに取り入れるのか』という問題も根底にある為、
乗算に乗算を重ねて得られる選択肢は、「無限か!」とツッコミを入れたくなる程迄に膨れ上がっていた。

 『写真』を追求したいのか。
 『絵・画』としての面白さを追求したいのか。
 『写真と絵画、デザイン』をクロスオーバーさせることがオリジナリティなのか。
 『今日の昼飯』は何食ったのか。
 『金の卵を産むガチョウ』を飼ってた農夫の名前は?
 『ブー・フー・ウー』って『暴風雨』と何か関係あったっけ?
  

考え事が限界近くに達して来ると現実逃避に走るのは昔からの悪い癖だ。
堂々巡りに見切りをつけ、意味も正解も意識しないまま、
ただ『ストックの中から目に止まった画像をモノクロに変換する作業』に取りかかった。
するとどうだ、
A3サイズ止まりだった前回のプリントとは異なり、B2サイズを筆頭に『大きさ』を伴った成果物ズは、
クオリティは別としても、こちらの意図や葛藤を無視し、『作品然』としてフレームに納まっているでは無いか。

これ以上無い形で《下手の考え休むに似たり》を経験することとなった。

※         ※         

能天気に《結果オーライ♪》を受け入れるつもりは無いのですが、
短期間の展示にも関わらず「入替前とは反応が変わった」と言うオーナーさんからのありがたいお言葉もあり、
それなりに満足を得られる結果に繋がりました。
この場をお借りして、展示期間中にご高覧いただいた皆様、関係者の皆様にお礼申し上げます:ありがとうございました。


それ以降、今現在に至っては、ある程度の方向性を見定めております。
まだまだ迷いはあるものの、目標らしきものの後ろ姿が見えてきた感じです。


そろそろ『巨匠』と呼ばれる準備にかかります。サインをご希望の方はお早めに◎
  


ヒトリゴト

2012年10月28日 | 生活

【hanamizuki】
Nikon D90 +AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED
  

《感動》や《感激》、などと言ってしまうと逆に嘘くさくなる。
そう言い切れるほど深く関わっていた訳では無いのだから、その人とは。

でも確かに感情を揺り動かされた。
そんな出来事が昨夜、おこった。


毎日更新するブログの管理者と、時々コメントを書き入れるその人とは、
とても深い絆で結ばれているようだった。
詳しいことは何も知らないし、今後も聞くことは無いと思うのだが、
お互いが相手を尊重し、お互いに礼を尽くし合っていることは
文字のやり取りをただ眺めていただけの自分にも十分伝わってくるだけの温度を有していた。

信頼関係があるからこそであろう、
その人は自分の体調、病状、死期に関する話しについて書くことを管理者に禁じていた。


ひっそりと姿を消された日も、
それ以降も何事もなかったかのように沈黙は守られたままだ。

偶然、とある事情からその人が旅立たれた事を知った自分は、
顔も名前も知らないその人の不在に打ち拉がれた。
コメントの場ですら一言二言しか交わしたことが無い相手ではあったのだが、
単なる知人以上に近く、大切な人になろうとしていたのだから。

病床のその人に、ハガキの一枚もお出ししなかったことを少なからず悔いた。


昨夜、
その人のお子さんがそのブログにコメントをされた。

母親と同じように、花の名のハンドルネームを名乗って。


感謝とも安堵とも違う感情で満たされた胸に、また少しの熱が戻った。
  


「お刺身」と「お造り」

2012年10月27日 | 料理・食べ物

Nikon D90 + AF-S DX Nikkor 35mm F1.8G
  

加熱していない魚介類を一口大に切った料理、刺身。

my定義において『おかず』とは《米を食う際のサポート役》を意味する。
乳幼児の頃から一貫して酒を呑まない自分には、
サポート力の低い『刺身』は、『おかず』としては少々ありがたくない一品だ。
  

今でも夕食のメインが刺身だったりすると「…これでどうやって飯を食えと言うのだ」、と途方に暮れたりする。
が、口に出して抗議すると、途方に暮れるどころか家を追い出されて路頭に迷う可能性があるので何も言わない。


仕事柄、飲食店のメニューをつくる機会が多い。
その際、『お刺身』とするか『お造り』にするかで迷う事があり、それらの語源について調べてみたことがある。

それによると、
武家社会では「切る/刺す」という言葉を忌み嫌った為に「つくる」という言葉を代用するようになったらしい。
中には、
《正確には『造里』と書き、皿の中で『里』の風景を『造る』ことに由来する》と書いてあるところまであった。
大根の千切りが『山』をあらわし、大葉は『林』、刺身は『人の住む場所』を表現しているのだとか。ホントか?
なんか納得いくようないかんような話しである。


画像は10月の初旬、コチラのお店で撮ったもの。
で、次。コチラの画像をご覧いただきたい。昨年の9月に同じお店で撮った『お造り』である。

先の理論では《山も林も無い人口密集地を表している》この一皿、見事なまでに同じ盛り付けだ。
皿の柄に対しての位置/配置まで同じ。 
…なんか色んな意味でビックリするなぁ、、、ってしませんかそうですか。
  

結論:『お造り』を「おぞうり」と読むmy娘にもビックリする