教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

オバマ氏に習って、“Yes,I(we)can.”の心意気で

2009年01月12日 | 「大人のフリースクール」公開講座
内閣不支持70%、危機的水準 定額給付金評価せず70%(共同通信) - goo ニュース

今日の新聞の朝刊を開くと、読売や共同等の調査で、麻生内閣の支持率が軒並み70%を割り込んでいますね。まさにブッシュ大統領以下の末期的支持率です。ここまで来るともはやアッパレと言うしかない。

要因としては2兆円の財源による定額給付金のばら撒きに見られるような、2世3世の世間知らずのお坊ちゃま政治家ということもあるが(民衆がパンを求めて暴動を起こしたと聞くと“では、お菓子でも食べたら…”とか言ったというマリー・アントワネットを想起する)、それを超えて、もう自民党の政治家の誰がなっても同じだろうという、自民党の政治手法の賞味期限切れというか、耐用年数が過ぎたというか、まあ、国民から完全に遊離した自民党政治の終焉ということであろう。

(だが、これは何も自民党に限ったことではない。旧来の政治手法を掲げているところは、一見庶民の味方のように見えながら、同様の旧弊を抱えている。どの政党も支持する国民の代弁者を気取っていながら、党利主義に陥っているのには変わりはないとも言える)

もう間もなく、アメリカは新大統領のバラク・オバマ氏に代わりますね。アメリカ型の未曾有(“みぞう”と読みましょうね)の金融危機を称して“100年来の…”とマスコミで言う人がいるけれども、「ちょっと待ってください。日本は60数年前に敗戦のナイナイ尽くしの状態から立ち上がったのじゃありませんか。それをお忘れですか?」という人がいます。我々はこの経験を活かさなければいけませんね。そして、立ち上がってくる過程で何か大事な忘れ物をして来ていたこともね。

そもそも株券や証券が実体経済から離れて一人歩きしていることを不思議に思わなかったこと自体がおかしい。ホリエモン(この名称ももう過去のことか)が“会社は株主に儲けさせるためにある”とほざいていた時からおかしかったのだ。その音頭をとったのは誰だったかな、ねえ小泉くん?会社組織は本来社会的な人格を持ち、社会貢献するためにあるということがまったく忘れ去られていた。もちろんそこで働く人たちのためにもあることを。

今日は成人式。本来ならとうとう成人となり社会的責任を果たせる大人の仲間入りをしたことを誇らしく思う日。そして、例年なら酒を飲んで羽目を外す馬鹿者たちもいた。それも成人式のご愛嬌だった。が、今日の地方紙の4コマ漫画を見ると、若者たちの視線はお祝いの挨拶をする演者の方に向けられていない。みんな足元や下を見ているのだ。まるで“大人の仲間入りをしたことを恥じている”ように

かつて、我々が若かった頃は、根拠があろうとなかろうと、荒唐無稽に未来への希望を抱いていたものだった。爪先立つ背伸びもあったが、それが若さと言うものだった。“大人が何するものぞ、俺が…”という気概があった。あとは現実にぶち当たって修正していけば良かったのだ。そういう“若さ”というものが今の若者にはまるで感じられない。“いつまでも子どもでいたい。大人になりたくない”というのが本音のようだ。だから、成人式で晴れやかな顔をするのではなく、“まずいことになった”というような顔つきになるのだろう。

彼らと対極にいる不登校や引きこもりの若者と“別に…、何も…”という若者の間には、限りないグレーゾーンが広がっている。だから、“普通”の若者も不登校や引きこもりの気持ちが分かると言う。

でもね、出来合いの結果を想定して軽々しく判断しない方がいい。今回、ノーベル賞をとった人たちも結果を見て研究したわけではない。“根気・持続力がすべて”だという。オワンクラゲの発光を研究した下條さんが19年間にすくったクラゲは85万匹、重量5トンにも及ぶという。結果を先に考えたら到底不可能に見えて研究を投げ出していたことだろう。

我々は今、新しい地平に立っているのだと考えて、荒唐無稽でもいい、空騒ぎでもいい、“いま、ここから”始めるしかない。結果は後からついてくるだろう。“それでいいのだ”そこで、私も年頭に当たって、オバマ氏に習って、言いたい。
“Yes,I(we)can.” この心意気で行きたい