埼玉県の自民党の県議団が4月からの実施を目処に「いじめ防止プロジェクトチーム」を結成し「県いじめ防止条例」の制定を目指すという。県・学校・県民・保護者の役割と責務を定め、県全体でいじめを許さない環境を作るのだという。そこには、子どもの教育の第一義的責任を有するのは保護者であり、ネットいじめについての言及もあるという。こういう県をあげての取り組みは都道府県で初めてだという。
大変結構なことであり、そのこと自体については異論はない。県議もようやく県の教育について真剣に考えるようになったのかなと思った次第だ。 だが、ちょっと待てよ。
ここには「いじめは許さない!」という取締りの発想に基づくアピールはあるが、なぜいじめが起きるのか、いじめたりいじめられたりする人間の心理状況に対する言及は全く見られない。これでは警察的発想と同じであり、「臭い物には蓋」の処理の仕方である。これではいじめはなくならない。いじめ防止条例を交付するつもりなら、そこまで踏み込まなくては意味がないだろう。絵に描いた牡丹餅に過ぎなくなる。
そう思っていたところ、とんでもない事件が発覚した。昨年の10月、さいたま市内の中学3年生が携帯電話サイトでいじめを受け、自殺していたことを学校側が伏せていたというのである。そして学校側から聞こえるのは相変わらずの弁明であり、お定まりの実態調査とやらであり、生徒へのスクールカウンセラーは派遣である。これで学校でのいじめは解明され、いじめ問題は解決されるのであろうか。 先の自民党県議団によるいじめ条例の交付の問題も、もしかするとこの事件との絡みで出てきたものなのではないのか、という気がしないでもない。
私たちのフリースクール(ぱいでぃあ)には、小中の不登校の子ども達が集うが、その子ども達は過去に何らかの意味でみないじめられた体験を持っている。その深刻さはいじめ自殺(このこと自体はとてつもなく重いが)の二次被害者の精神的なケアのレベルを遥かに超えている。だが、彼らにはそういうケアはほとんどなかったどころか、逆にそういうトラブルの震源とさえ目されもしてきたのである。
こういう事件が起きるたびに学校や教育関係者がとる対策はいつも管理者の対面をつくろうその場しのぎのように見えるのは、偏見であろうか。
大変結構なことであり、そのこと自体については異論はない。県議もようやく県の教育について真剣に考えるようになったのかなと思った次第だ。 だが、ちょっと待てよ。
ここには「いじめは許さない!」という取締りの発想に基づくアピールはあるが、なぜいじめが起きるのか、いじめたりいじめられたりする人間の心理状況に対する言及は全く見られない。これでは警察的発想と同じであり、「臭い物には蓋」の処理の仕方である。これではいじめはなくならない。いじめ防止条例を交付するつもりなら、そこまで踏み込まなくては意味がないだろう。絵に描いた牡丹餅に過ぎなくなる。
そう思っていたところ、とんでもない事件が発覚した。昨年の10月、さいたま市内の中学3年生が携帯電話サイトでいじめを受け、自殺していたことを学校側が伏せていたというのである。そして学校側から聞こえるのは相変わらずの弁明であり、お定まりの実態調査とやらであり、生徒へのスクールカウンセラーは派遣である。これで学校でのいじめは解明され、いじめ問題は解決されるのであろうか。 先の自民党県議団によるいじめ条例の交付の問題も、もしかするとこの事件との絡みで出てきたものなのではないのか、という気がしないでもない。
私たちのフリースクール(ぱいでぃあ)には、小中の不登校の子ども達が集うが、その子ども達は過去に何らかの意味でみないじめられた体験を持っている。その深刻さはいじめ自殺(このこと自体はとてつもなく重いが)の二次被害者の精神的なケアのレベルを遥かに超えている。だが、彼らにはそういうケアはほとんどなかったどころか、逆にそういうトラブルの震源とさえ目されもしてきたのである。
こういう事件が起きるたびに学校や教育関係者がとる対策はいつも管理者の対面をつくろうその場しのぎのように見えるのは、偏見であろうか。