3月31日付けの朝日新聞に、文部科学省の調査結果で、「習熟度別少人数授業」が学力の高くない子の「学力向上につながっていないケースが少なくない」ことが分かったと報道されている。
「さもありなん」というのが私の感想である。一時、まるで学力向上の切り札のような勢いで鳴り物入りで導入され、教員による自画自賛の声も多く聞かれていたが、私は最初の頃から疑問視していた。それはまるで進学塾の猿真似のように見えたが、学校は進学塾ではないのである。ベクトルの向きも逆である。
私は大学院に行くようになってからアルバイトとしてある大手の進学学習塾に勤め、間もなく男子女子の御三家受験中心のクラスを担当させられたが、確かにそこでは習熟度別の授業が当たり前のシステムとして導入されていた。学力向上のシステムとしては当時から疑問視していたが、受験生にやる気を出させるシステムとしてはそれなりの効力を持っていたと思う。彼らのような連中を指導していなければ分からないと思うが、彼らのクラスはいつも陽気であり、笑いが弾けていた。トップ校に行く連中というのは勉強だけにしがみ付くいけ好かない奴等ではないかと思っているとしたら、考え直した方がいい。それはまだ本当の力量のない連中のとる浅はかな態度であって、本当に出来る奴は余裕と自信に溢れ、極めて陽気であった。ところが、いざ勉強に取り組むとなると水を打ったように静かになる。その集中力というのもまたもの凄い。
このように、習熟度別のクラス編成というのは出来るクラスの生徒をさらに競わせるにはとてもよいシステムのように見えた。だが、塾においてさえこの習熟度別のクラス編成は、理解が悪いいわゆる出来ないクラスの生徒にとっては、つらい現実を否が応でも見せ付けられるシステムに他ならず、そういうクラスを受け持った教師なら分かるだろうが、彼らは授業を始める前から半ば死んでいるのである。クラス全体を御通夜の空気が支配していて、半分腐ったような眼をしているのだ。そして、この習熟度別システムというクラス編成は、彼ら出来ない生徒を決して救済することはないシステムなのである。それどころか、永久に下位にいることを強いるシステムなのである。当時は塾の営業の立場上言えなかったが、もしその生徒がそういう習熟度別システムの下位に属するクラスに投入されることになるならば、即刻そんな塾から離れるべきであることを教えたであろう。
だから、訳の分からない教師達が進学塾の内部事情も知らないまま、有名進学塾のような成果をあげたいと望み、学校の中に習熟度別クラス編成を導入したとするならば、それは学校教育をさらに荒廃させることにしか寄与しなかったであろうことは明白である。もし、学校でこのシステムを導入して何らかの効果をあげることが出来たとするならば、それは何も習熟度別クラス編成の賜物ではなく、少人数でやったからに他ならないだろう。そのことは朝日新聞の中にも書かれている。浅沼茂・学芸大教授が「効果が出ている学校を見ると、低学力層は10人くらいのグループにし…」とあり、子ども一人ひとりにの性格に合わせて、教材、教え方、声のかけ方まで工夫したからだと指摘している。これは当然の帰結であり、習熟度別授業の成果では全くないとこは繰り返すまでもない。
とにかく、壮大な無駄をした挙句にでも、その間違いに気付いてくれれば、まあそれでも仕方ないかと思うしかない。かつて、パソコンを使いさえすればバラ色の授業が出来ると錯覚していた時期があったように、この習熟度別授業導入の過ちもさっさと認め、即刻取りやめるべきである。生徒の悲劇をこれ以上増やしてはならない。
それにしても、教育の何たるかを心得ない教育関係者の何と多いことだろう!