教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

北海道旅行から考えたこと……(2)午前様で電車は満員

2009年08月05日 | スクール活動
○午前様で電車は満員

▼深夜便で羽田空港へ
 7月9日、北海道旅行からの帰りの千歳空港発の便は深夜便。意外に早く羽田空港に着いたが、時刻は既に23時過ぎ。荷物を手にしてから(そこで生徒の一人の父親に対面し一人をタッチする)羽田空港からモノレールで浜松町に出た。そして、そこからJR京浜東北線に乗って一路南浦和へと向かった。

▼電車の中で翌日に
 その帰りの電車はおそらく終電に近いもの。途中の電車の中で時計の針は12時を回り、翌日へと日にちが変わった。車内で我々は半分ふざけながら「おはよう」を言い合った。こういうことも中学生の子ども達には初めての経験だろう。普段ならとうに寝ている時間だ(たぶん)。生徒達は互いに親と連絡を取り合い、駅で待ち合わせする人、少し遅くなるが家庭まで送り届ける人などに分かれた。この子達はまだ中学生で未成年。安全とは言っても一人で帰すわけにはいかない。家で待っているなら迎えに来れば…とも思うが、責任は最後まで果たさなければならない。

▼朝帰りの客で電車は満員
 ところで、この電車は何でこんなに人々々で立錐の余地もなく込んでいるのか。さらに、赤羽駅からは余計に込んできた。この人たちは今まで何をしていたのか?考えるまでもなく、この電車の乗客はみな朝帰りの客である。この中には退社後仲間達と酒を飲んで遅くなったという人もいるかもしれない(確かに酔っている人が何人もいる)が、中には今まで会社で残業していたという人もいるようだ(大部分の人が青ざめたシラフの顔である。携帯で何かを見ている人もいる)。

▼日本の社会を高めかつ崩壊へ導いたもの
 そのどちらにせよ、この人たちには家庭生活というものがないのだろうか。あっても顧みるに値しないということだろうか。会社に入ったら家庭を顧みたくても顧みられないということだろうか。どう見たって顧みられた行動ではないのは確かだ。そのほとんどの人が会社勤めのサラリーマンのように見える。企業戦士と言えば格好はいいが、会社のためには個人の生活を犠牲にした人たちと言ってもいいだろうか。時折、アメリカ映画に見るような、何が何でも家庭を守る、場合によっては国家とも対峙する、という発想はここにはない。ああ、こういう人たちが、こういう人たちのいる会社や組織が、日本の物質文明の隆盛を招来し、また日本の家庭を崩壊に導いたのだ。改めてそんなことを考えた。「こういう生活は送りたくないな」とは、旅を共にして、帰りの電車の中でふと漏らしたある子の言葉である。その子の素直な感想なのかも知れない。

▼大人の社会に希望はあるか
 大人の都合で振り回され自分の生き方を見失いかけた子ども達…。旅という非日常の行為の中で束の間忘れていた不如意な日常の営み。そこから再び意欲と希望を持って生きていくわけだが、その日常生活でのモデルとなる大人たちの現実の一側面を今、子ども達は見ているのだ。「自分達はやがてこんな大人になるために努力しているのだろうか…」そんなことを考えた子どももいたかもしれない。今本当に問われているのは子どもたちの教育のことではないのではないか?大人たち一人ひとりの生き様こそがが問われているのではないか。そんなことを考えた帰路であった。

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