高校無償化の前に義務教育費無償の徹底を(1)
▼国民は民主党に希望を託した
民主党が政権を取り、国民の間に「何かが変わるのではないか」という希望や期待感が漂っている。戦後ほぼ独裁的な長期政権にあった自民党の時代にはほとんどなかった空気である。これは日本の将来に向けては好ましい現象だろう。しかし、ノーベル平和賞が米国のオバマ大統領に決まり、実績よりも希望への賞だと評されたように、民主党への国民の支持も民主党が何かを為したからというのではなく飽くまでも希望的観測に基づくものである。
八つ場ダムをはじめとする全国のダム建設や郵政民営化についても「見直し」であり、高速道路無料化や子ども手当てにしても国民に公約したマニフェストとしての政策での実現が評価されてのことであり(中には反対運動の激しいものもある)まだ何かを為したことが評価されたわけではない。
▼国民は教育の変化を期待した
教育に話を絞れば(民主党の陰に日教組の強力な後押しがあったと言われている)、教員免許の更新制の廃止、全国学力テストの見直し、高校無償化や子ども手当ての実施など、かつて教員たちが自民党政権の方針に反対して打ち出したものや、経済格差が教育格差に連動する中で子育て中の親たちが望んでいた政策であるものが多い。民主党の政策がそういう国民の支持を集めたことはまず間違いはなかろう。
▼教育者の言い訳が正当化されかねない
ところが…である。自民党との政権交代や民主党主導の政治を待ち望んでいた人たちの願いがこれで十分に叶えられたかというと必ずしもそうとは言えない。今回の政権交代で日教組関係者の力が増したのだとすると、逆に教育分野では今までの国民に対する言い訳がそのまま正当化されてしまうようなことが起こらないとも限らない。つまり、新政権によって他の分野では国民の声に基づく改革が進むのに比して、教育分野では逆に停滞しかねないのである。
▼日本の教育はこれで大丈夫か
子ども手当てや高校無償化の施策は新政権らしい斬新な政策である。が、これにしてもOECD参加国の教育政策と比較したならば、遅きに失した政策の実現に過ぎない。今までの自民党には、将来に向けた国家の展望も教育が国家百年の大計である認識もあるようにはまるで見えなかった。ただ為政者にとって政権を維持するために都合のいい従順な国民を育てるための教育をしているように見えた。では、民主党の新政権になって、日本の教育はこれで大丈夫だと言えるようになるだろうか。
▼教育行政の不登校対策は疑問だらけ
何かの縁で、月刊の専門雑誌の発行やフリースクールの設立を通じて、ここ15年ほど不登校問題に接してきたが、その間教育行政でどのような変化があったかというと、平成4年の文部科学省の報告において,不登校は特定の子どもに特有の問題があることによって起こることではなく「誰にでもおこりうる」と認めたこと以外、何の進展もなく来たように見える。そして、「不登校対策」と称して見当違いの方向に多額の資金を無駄に湯水のように注いできたという印象が強い。一体、それらの対策でどんな成果が上がったというのか。
▼不登校生が求める場所に支援を
もし、──これは今のところ全く架空の話だが──それらの資金が行政や学校の不登校対策費に回されるのではなく(その中には、相談室登校や適応指導教室、カウンセリングなどの多くが含まれる──これらの機関は結局は不登校生をダメ人間扱い視する))、不登校の児童生徒が本当に救いを求めている機関(フリースクール等の文部科学省の指導から自由な学び場など)などにその何分の一かでも注がれていたならば、不登校を取り巻く状況は今とはかなり大きく変わっていたのではないかと思えてならない。
▼目先ではなく根幹からの教育の変化を
政権が交代して民主党政権が誕生し、八つ場ダム見直しなど矢継ぎ早に新政策が打ち出されているのは歓迎である。教育に関係する法案も子ども手当てや高校無償化、給付型奨学金など経済格差が教育格差に連動している今、マニフェストに掲げられた幾つかの子どもの教育を支援する法案はぜひ実現してほしいと思う。だが、そういう口当たりのいい目先の変化だけを見て、日本の教育が本当に根幹から変わりつつあるのかというと甚だ疑問である。
▼県教委と市教委の不登校への対応の差
今回、私たちは、県には一昨年訪ねているので、今年度はさいたま市の教育委員会に出向いて、不登校を抱えている家庭の窮状など様々な問題を現場の声として伝えに行こうと思った。一昨年のフリースクールとその親の会の訪問で、県教委の場合は少なくともその時点で出来るだけの対応をしてくれたと思っている。その後、県内の親御さんを招いての不登校問題での協力の要請はその現われでもあったろう。では、さいたま市教委の場合はどうか。そこには呆れるような対応が待っていた。
(その2へ続く)

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不登校とフリースクール
▼国民は民主党に希望を託した
民主党が政権を取り、国民の間に「何かが変わるのではないか」という希望や期待感が漂っている。戦後ほぼ独裁的な長期政権にあった自民党の時代にはほとんどなかった空気である。これは日本の将来に向けては好ましい現象だろう。しかし、ノーベル平和賞が米国のオバマ大統領に決まり、実績よりも希望への賞だと評されたように、民主党への国民の支持も民主党が何かを為したからというのではなく飽くまでも希望的観測に基づくものである。
八つ場ダムをはじめとする全国のダム建設や郵政民営化についても「見直し」であり、高速道路無料化や子ども手当てにしても国民に公約したマニフェストとしての政策での実現が評価されてのことであり(中には反対運動の激しいものもある)まだ何かを為したことが評価されたわけではない。
▼国民は教育の変化を期待した
教育に話を絞れば(民主党の陰に日教組の強力な後押しがあったと言われている)、教員免許の更新制の廃止、全国学力テストの見直し、高校無償化や子ども手当ての実施など、かつて教員たちが自民党政権の方針に反対して打ち出したものや、経済格差が教育格差に連動する中で子育て中の親たちが望んでいた政策であるものが多い。民主党の政策がそういう国民の支持を集めたことはまず間違いはなかろう。
▼教育者の言い訳が正当化されかねない
ところが…である。自民党との政権交代や民主党主導の政治を待ち望んでいた人たちの願いがこれで十分に叶えられたかというと必ずしもそうとは言えない。今回の政権交代で日教組関係者の力が増したのだとすると、逆に教育分野では今までの国民に対する言い訳がそのまま正当化されてしまうようなことが起こらないとも限らない。つまり、新政権によって他の分野では国民の声に基づく改革が進むのに比して、教育分野では逆に停滞しかねないのである。
▼日本の教育はこれで大丈夫か
子ども手当てや高校無償化の施策は新政権らしい斬新な政策である。が、これにしてもOECD参加国の教育政策と比較したならば、遅きに失した政策の実現に過ぎない。今までの自民党には、将来に向けた国家の展望も教育が国家百年の大計である認識もあるようにはまるで見えなかった。ただ為政者にとって政権を維持するために都合のいい従順な国民を育てるための教育をしているように見えた。では、民主党の新政権になって、日本の教育はこれで大丈夫だと言えるようになるだろうか。
▼教育行政の不登校対策は疑問だらけ
何かの縁で、月刊の専門雑誌の発行やフリースクールの設立を通じて、ここ15年ほど不登校問題に接してきたが、その間教育行政でどのような変化があったかというと、平成4年の文部科学省の報告において,不登校は特定の子どもに特有の問題があることによって起こることではなく「誰にでもおこりうる」と認めたこと以外、何の進展もなく来たように見える。そして、「不登校対策」と称して見当違いの方向に多額の資金を無駄に湯水のように注いできたという印象が強い。一体、それらの対策でどんな成果が上がったというのか。
▼不登校生が求める場所に支援を
もし、──これは今のところ全く架空の話だが──それらの資金が行政や学校の不登校対策費に回されるのではなく(その中には、相談室登校や適応指導教室、カウンセリングなどの多くが含まれる──これらの機関は結局は不登校生をダメ人間扱い視する))、不登校の児童生徒が本当に救いを求めている機関(フリースクール等の文部科学省の指導から自由な学び場など)などにその何分の一かでも注がれていたならば、不登校を取り巻く状況は今とはかなり大きく変わっていたのではないかと思えてならない。
▼目先ではなく根幹からの教育の変化を
政権が交代して民主党政権が誕生し、八つ場ダム見直しなど矢継ぎ早に新政策が打ち出されているのは歓迎である。教育に関係する法案も子ども手当てや高校無償化、給付型奨学金など経済格差が教育格差に連動している今、マニフェストに掲げられた幾つかの子どもの教育を支援する法案はぜひ実現してほしいと思う。だが、そういう口当たりのいい目先の変化だけを見て、日本の教育が本当に根幹から変わりつつあるのかというと甚だ疑問である。
▼県教委と市教委の不登校への対応の差
今回、私たちは、県には一昨年訪ねているので、今年度はさいたま市の教育委員会に出向いて、不登校を抱えている家庭の窮状など様々な問題を現場の声として伝えに行こうと思った。一昨年のフリースクールとその親の会の訪問で、県教委の場合は少なくともその時点で出来るだけの対応をしてくれたと思っている。その後、県内の親御さんを招いての不登校問題での協力の要請はその現われでもあったろう。では、さいたま市教委の場合はどうか。そこには呆れるような対応が待っていた。
(その2へ続く)

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