教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

ニコラ英語広場の主催するクリスマス・パーティについて

2012年12月23日 | 日本の教育

クリスマス・パーティ
▼来る12月25日は近くの南浦和公民館で、「ニコラ英語広場」主催のクリスマスパーティーを行う。会のメンバーや友人知人やその家族、外部からの参加希望者などによる会になろうかと思う。(ニコラ英語広場については、別掲を参照のこと
もとより日本は外国から見れば仏教国&無宗教の国で真のキリスト教徒は少ない。だから、日本でのクリスマスに因んだパーティーは商業主義的なお祭り、イベントとならざるを得ない。アメリカ人が敬虔な気持ちや生活の習慣から教会に行くのとは大きく意味合いが違っている。
 だから、今回のパーティーもそれに沿った内容のものになる。何はともあれ ─ 主義や信仰は様々でも ─ とにかく子ども達はお祭りが好きである。

▼本来の心情に従えば、クリスマス行事はキリスト教、年末の寺院での鐘突き等は仏教、新年の神社への参拝等は神道ということになろう。しかし、欧米ではクリスマスを中心にその勢いで新年になだれ込むのに対し、日本の場合には八百万の神々の会合に始まりクリスマスを経て徐々に新年のクライマックスへと盛り上げていく。そんな感じだ。いかにも日本風である。
 大して宗教心もないのにクリスマスを祝うなんて節操がないと言えばそうだが(日本人は仏教徒が殆どなのに、4月8日の釈迦の誕生日、灌仏会、花祭りを祝う人は少ない)、《踊らにゃ損々》と言えばそうとも言えるかな。誠に節操がない。

▼既に学校は休みに入り、巷は年の瀬でやたらと忙しい時期だが、それはもう年寄りの世代の話。若いカップルは《プレゼントは何?》《イヴはどうするか?》等が関心で、子ども達は学校から解放された暫しの長期休暇を楽しむ時かも知れない。

▼今は平成の時代、明治は随分遠くなった(昭和も)。しかし、それに代わる新しいものが誕生した訳ではない。確かに技術革新は目覚しいが、それで精神世界に革命が起きた訳でもない。全ては仮のもの、間に合わせのものである。日本という土壌に根を張り葉を広げ花開いたものはまだ何処にもない。
 それが今の政治であり、文化社会であり、教育の姿である。暗がりの中一家の団欒もなく塾通いしている子ども達や親御さんを見るといい。誰もそれが最良の方法だとは思っていない。でも、とにかくやらねばならない、そんな感じだ。

▼だけど、日本という社会も段々米国流の《サラダボール》の社会になってきた。国粋主義者といえども《日本は単一民族の神国である》とはもはや言えまい。今後はそういう事態を踏まえた上で日本丸の舵取りをしなければならない。今回のパーティーもそんな見通しの一端であろうか。
(因みに、英語では、石原慎太郎氏が作った党を“Sunrise Party”、日本維新の会の人達を“imperialist”と言うそうな。そんな字面を見て妙に納得した。一体互いに何を闘っているのか良く分からないヘボ囲碁も岡目で見ればよく見える。もしかすると英語勉強の効用はこういうところにもあるかもしれない。)
 安倍ちゃん、不沈空母がタイタニックにならないよう、宜しくお願いします。(はて、話が逸れてしまったか…)
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